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風呂掃除の話?

ちょうど一年くらい前に、家族で北海道へ行った。
母と私と弟の小さな家族(身長の話?)の
2泊3日の小さな旅行だった。

生活はしたことないが、ゆかりのある土地。
高校の修学旅行以来に上陸した。
めちゃくちゃ幼い頃に行ったことがあるらしいけど、
全くと言っていいほど記憶はない。

11月。
当たり前に地元より寒かったが、
天気が良く、十分過ごしやすかった。
見ての通り、写真を加工する必要がないくらいに。
(そもそも加工は趣味ではないけど。)

やはりiPhoneは優秀。ちなみにX。

この日まで2週間程度働きづめで、
正直体力的には疲れまくっていた。
その上、道内を2日間で600km程度、車で各所を回った。
(そして休まらないまま次の日も仕事へ行った。
世のお父さんの気持ちがわかった。)

でも、行って正解だった。
普段の生活の中でのストレス発散とは、わけが違った。
やはり、たまに大掃除が必要だと実感した。

いくら様々な土地に行って働く仕事でも、
狭い世界に生きているんだなあ、と。物理的に、ではなく。
(汲み取って!)


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支笏湖。

こういった場所で、大きくため息をつく。
身体の中にある空気を全て入れ替える。

「ため息をつくと幸せが逃げる」と、よく聞く言葉。

思うに、ため息に乗せて、体内に蔓延るドロッとしたやつを
あえて吐き出さないと、幸せは入ってこない。

(単にイライラすることだけでなく、
顧客への気遣いや、同僚への配慮など、
よかれと思ってしている事も。)

きっと無意識にこれらを風呂のような器に溜めて、
溜めすぎると、いざ身を投じた時に、溢れる。
感情の種類を問わず、器の大きさは決まっているから。
日々、湯につかる前に、湯をある程度出さなきゃいけないが、
小さな桶では、ギリギリ溢れないようにするのが、やっと。

だから、定期的に栓を抜いて、一気に湯を抜きたい。

できれば、湯を抜いた上で、
ブラシでゴシゴシ擦りたいくらいだが。

これは偏見だが、”例のセリフ”を言う人は、
他人を慮る余裕のない人だろう。
その人の器もギリギリだってことだ。
きっとその人の前で、自分が湯を出そうとすると、
その人自身の器に入れてしまうから。
(そういう人がいたら、湯を出すのを手伝ってあげよう。)

だから、”その言葉”を、こう解釈する。
「湯を抜くなら、人にかからないように配慮しなさい。」

まあ、「それが難しいんだってば!」という話。

……ではないな。


話題がずれたけど、
今年は様々な理由で、湯抜きしに出掛けることは難しいから、
せめて昨年の写真で、少しでも重いものを吐き出してみる、という話。

#みんなでつくる秋アルバム

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