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車の免許をとりたての私に、母と祖父がくれたもの

「卒業と同時に車校に通う人もいるけど、大学で車に乗るんじゃなければ免許は大学2年の夏休みに取ればいいんですよ」という教えは、高校2年3年で担任をしてくれた国語の先生からもらった。実際大学2年の夏に地元の自動車学校に通うと、自動車学校に通える距離に実家のある当時のクラスメイトが2人同じ時期に免許を取りに来ていた。先生にしてみたら雑談的な話だったと思うけれど、基準を持っていない生徒たちにとってはすごい影響力のある一言だった。

学科の勉強は苦にならないタイプ。割と器用な方なので、実技面も問題なく1回ずつの講習でクリア。高校時代、合唱部の部長をしていた先輩と同じ日に試験を受けることになった。3年生は、夏も就活とか忙しそうですね。私は2年だから、余裕ですという話をした記憶がある。先輩と同じ日に、最短で運転免許を取得した。


先生の教え通り、大学2年の夏に免許を使って、帰省する度に実家の車で近所に出かけた。助手席に親をのせるとあれこれ口を出されていやにもなるけれど、小さい頃から数え切れない回数通った道も、自分でハンドルを握るとなんて細くて難易度の高い道なんだろうと驚く。右折、駐車、高速道路など、いざという時に助手席からの声に安心しながら運転技術を身につけられた。

自分の車を持つことになったのは、大学4年の夏。就職したら、絶対に車がいる。通勤では車に慣れた状態になっていないとと、卒業より少し早めの時期から一人暮らしをしていた大学近くにも車を持っていって乗ることになった。

車種に特別な希望はない。実家の車など数種類を運転してみて、小回りがきいて、バックモニターがついている車にかなうものはないと思った。それだけだった。母がピックアップしてくれたコンパクトカーを何日かに分けて見に行って、試乗して、これという車に決めた。

条件面からディーラーで軽自動車を進められることもあったけれど、その度母は「軽は事故にあったとき怖いから」と断り続けた。「この人の運転、本当心配なんですよ」と付け加えて。


渋滞中の車列にトラックが突っ込んで、軽乗用車がぺしゃんこに押しつぶされたというニュースが流れてきた。「軽は、事故にあったらぺしゃんこだよ」と繰り返していたの、本当だったんだ。挟まれて、30cmほどになってしまった軽自動車の写真を見て、ここまでとはと驚きつつ胸が痛くなった。そして、万が一の時にこうならないようにとわたしを守ってくれていた母の愛を、今になって受け取った気がした。

母とディーラーを巡って、迷って迷って決めた丸みのあるチョコレート色の車は、大好きな祖父が買ってくれた。「ゆうちゃん乗るなら、じいちゃんが出すよ」と。かわいくって、駐車場に止まっているのを見る度にうれしい気持ちになった。

わたしが1年ちょっと乗って、進学で車が欠かせない地域で暮らすことになった妹に譲り渡した。1か月も経たないうちに、廃車になったと連絡があった。自動車同士の事故で、修理できないレベルに歪んでしまったらしい。泣く泣く譲り渡したのに、と心が傷んだけれど、運転していた妹に大きな怪我はなかったのだから、それでよかった。車が妹を守ってくれたんだ。


事故によってはどんな車を選んだとしても残念な結果になることもあるとは知っている。それでも、娘、孫の安全を少しでも多く確保して、母・祖父には少し多く安心を与えてくれたもう二度と乗れない車を思い出さずにはいられなかった。


事故にあった方のご冥福をお祈りします。

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