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10分でよく分かるボルヘス

アルゼンチンの幻想作家ボルヘスとその難解な短編について。
まとめると繰り返し現れるモチーフをおさえておけば「ユダについての三つの解釈」のような難解な短編も比較的よく分かるという記事です。




繰り返されるプロジェクトX――歴史の中で


 ボルヘスの短編にはよく現れるモチーフがあって、それは「歴史の影で途方もない(あるいは異常な)努力をしたが、ほとんど理解されず忘れ去られてしまった人の軌跡」です。かの有名な伝奇集の「ドン・キホーテの著者、ピエール・メナール」もそのひとつで、あまり理解できない目標を遂げようとする男の生涯の話から発展してゆきます(あらゆる書物の記名性というテーマ意識もボルヘス的)。

 「トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス」や「バビロニアのくじ」のようにプロジェクトXは集団によって遂行されることもありますが、大抵は個人のひっそりとした営みで、それも極めて観念的な性質をまとうことが多いです。
 「八岐の園」では紅楼夢より長い奇妙な小説を完成させようとした主人公の先祖のプロジェクトXが、主人公の前に明かされるという構造になっています。また小説を書く=創作を造るというのは典型的です。
 それは例えるならシュヴァルの理想宮やヘンリー・ダーガーの著作のようなものです。

本人の死後に初めて作品が発見された孤高のアウトサイダー・アーティスト、ヘンリー・ダーガー。家族も友人も持たず孤独な生活を送っていた彼は、1万5千ページ以上もの小説と数百枚の挿絵からなる壮大な作品「非現実の王国で」を自宅のアパートで密かに完成させていた。アカデミー賞最優秀短編ドキュメンタリー賞を受賞した経験のあるジェシカ・ユー監督が、謎に包まれた彼の生涯と創作の秘密に迫るドキュメンタリー。

この映画に感動できそうならボルヘスの短編もおすすめです。

歴史について、もとい歴史に消された歴史上の人物について書くのがボルヘスは巧いです。

 そして「ユダについての三つの解釈」ですが

バシリデスが宇宙は不完全な天使らの大胆で邪悪な思いつきであると公言したころだが、われらが信仰の第二の世紀、小アジアかアレキサンドリアに生まれていたら、ニールス・ルーネベルクは異常な知的情熱に動かされて、グノーシス派の秘密会議のひとつを牛耳っていただろう。ダンテは、おそらく、火の墓を彼に振りあてただろう。彼の名はサトルニルスとカルポクラテスにはさまれ、下級の異端の教祖の名帳をふくらましていただろう。彼の行なった教説の断片は罵言を添えた上で、にせの『異端の排斥の書』に残されているか、修道院の図書室の火事がその最後の一部を消失させたとき消えてしまっているだろう。ところが神は、彼に二十世紀とルントの大学都市を振りあてた。

このような信じられないほど長い序文で始まり、途中で難しいような話を挟みつつ、結局は自分でなんかすごい理論を発見したけどその理論に基づくとこの偉大な理論を発見した自分が報われないことを理解してしまったので静かに歴史の闇に埋もれていく男という「我のいる場所は地獄であってもよいから、天国を存在せしめよ」なるバベルの図書館の箴言と同源の構図で物語は閉じてゆきます。「神の書跡」もすごく近く、好きな短編です。

無限――SCP

 ボルヘスの短編に出てくるもうひとつのモチーフはSCPです。ボルヘスは無限が好きだからか、よくSCPなアイテムが作中に登場します。「バベルの図書館」「砂の本」「ザーヒル」「エル・アレフ」、知能型でいうと「記憶の人、フネス」や「不死の人」など……。

ボルヘスと無限

他の全ての観念を腐敗させ混乱させる一つの観念がある。わたしは《悪》のことを言っているのではない。その及ぶ範囲は倫理という限られた領域でしかないのだから。わたしが言っているのは無限のことである

――『亀の化身』ボルヘス

 わたしはいま無限のと書いた。ただ修辞上の癖でこの形容詞を加えたわけではない。世界は無限であると考えるのは非論理的ではない、といいたいのだ。

――バベルの図書館

……。これが象徴的な大要である。現実にはくじ引きの回数は無限である。

――バビロニアのくじ

 他の全ての観念を腐敗させ混乱させる無限というのはボルヘスの生きた時代の数学基礎論の事情を考えると、大袈裟ではないかもしれません。
 さて初期のSCPがボルヘス的なものの影響を受けているのか――?というとこれはおそらく受けているでしょう。日本でこそあれだけど海外でのボルヘスの知名度はもっと高いはず!

ボルヘスが幻想作家、南米のマジックリアリズムとカテゴライズされる理由がこのSCPてきなモチーフです。これに関連するところはなんだかんだ面白いし想像力を働かせればとっつきやすい側面とも思います。

さいごに


 あと珍しいのは推理っぽい短編(「死のコンパス」)やクトゥルフもの(「There are more things」)、ガウチョものと呼ばれる南米特有のテーマ、そんな感じです。
 ボルヘスを読むときは歴史の中で忘れ去られた偉大な行為や無限について思いを馳せながらエモを感じてみるといいかもしれないですね。



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