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僕が感動しなきゃ、読み手の心を動かすことなんてできない

昨日の日中、仕事の手を数時間だけとめて、サンリオピューロランドに行ってきた。

目的は、午後1時半からスタートする「ミラクルギフトパレード」だった。正直に言うと、僕はディズニーをはじめメルヘンなものが嫌いだった。何が面白いかわからなかったし、夢は寝ている時に見るものだ、僕らは現実世界を生きている、という考えが強かったからだ。

しかし、サンリオ好きの妻の影響で一度足を運んで以来、完全に魅了された。パレードは30分ほどだが、引き込まれるほど美しい踊りや歌、演者と観客が一体化する空気感がたまらなく好きだ!DVDまで買ってしまった。いまでは、ピューロランドにはまらなかった自分の人生を悔いるほどだ。

僕はもともと、観劇や美術鑑賞が好きだった。ちょっとかっこつけた言い方をすると、美しいものが好きなのだ。人間がつくりあげた芸術を目の当たりにし、なんて素晴らしいんだ!、と感動する体験を定期的に行なっていた。それで気持ちを前向きに保っていたし、もっとこうしたい!、と言うエネルギー源にもなっていた。

けれども、子育てと仕事をなんとかこなす日々を送る中で、何かに心を動かされる体験が激減してしまった。いや、もちろん息子の成長には感動している。

先日1歳8か月を迎え、「ああ、よくここまで大きくなったなあ。パパとママの子どもに生まれてくれて、ありがとう!」と涙が出そうになるほどだった。

けれども、子ども中心になる生活に虚しさを抱いたり、保育園送迎、予防接種スケジュール、体調管理など、神経を使うことも増えていく。僕は息子に対して、感動も抱くし、プレッシャーも感じるのだ。

今年に入ってからは、なんだか自分が何のために生きているのかわからなくなることが増えた。タスクの多さやプレッシャーに圧倒され、心が死にかけていたのだと思う。

この状態だと、企画にしろ、ライティングにしろ、雑巾絞りのように一生懸命にひねり出すことになる。これは僕の感覚だが、仕事とは自分が満たされていて、余った分を他の人の役立つ形で提供すると思っている。キャパオーバーを起こし、自分が満たされないと感じる状態では、誰かに何かを与えることは相当にきついだろう。空腹を満たしていないのに、手持ちの食料を隣の人に笑顔で差し出せるだろうか?

「キャパオーバー、感動不足」の状況では、いくら頑張っても、虚しいだけだ。思い切っていまやっていることを脇に置き、感動する心を取り戻してみる。

僕の仕事は、ライターとして読者にメッセージを伝えること。依頼者の意をくんで、文章を書くことだ。第三者の立場でものを考え、文章を書くときには、書き手である僕の心が感動している必要があると思うのだ。「これ、素敵だね!」「最高だね!」「よーし、こうやって書いたら伝わるぞ!」というふうに。

僕が感動していない心境で書いた文章には、きっと感動が乗りにくい。そしたら、読者の心は動かない。書く前に感動しよう、疲れたと思ったら、「わあ、これステキ!」と思える環境に身をおいてみよう。

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