ブログの威力

2024/4/12(金)
先の記事で書いたとおり、私は無事父を看取り、そして見送るという二大プロジェクトを完遂できました。

今回は、どうして父の看取りブログを始めたかについてのお話です。

最初は、「父の看取りのこと」は業務連絡(笑)をラクにしようとして始めました。
父を自宅に戻すにあたり、たくさんの方々に父の考えや私の思いを伝える必要があります。
電話やSNSで全てを伝えるのは大変ですし、誰にどこまで伝えたかもわからなくなりますから、全ての人に同じレベルで情報を伝え続けることは不可能です。
それに時間を取られて、父のケアがテキトーになってしまっては本末転倒もいいところです。

だから、ブログだったんです。
看取りプロジェクトの進捗レポートとして、ブログを書き、父に関わる全ての人に見てもらえれば、父の様子もわかりますし、私や家族の考えもわかってもらえるだろうと思ったのです。

ですが、いざ始めてみると実に嬉しい副産物がたくさん産み出されました。

一つ目は、「備忘録になる!」点。

私は生来忘れっぽいタチですので、記録を残しておかないとすぐに以前のことを忘れてしまいます。
私はゲームが大好きで、RPG をよくやるのですが、どこかの町で「○○(人名)にもう一度話を聞いてこい」などと言われても、その○○さんがどこにいるかが全く覚えておらず(そもそも名前が初耳だったり)、四方八方を探してうろつき回ることになります。ま、そのおかげでレベル不足にはならんのですが。
要は覚えてられないわけです。

さらにどうでもいい話ですが、私の奥さんは全く逆で、登場人物を完璧に覚えているのでストーリはぽんぽん進められますが、いつもレベル不足で苦しんでいます。

いざブログ(マガジン)を書き始めると、実は最高の備忘録じゃないか!ということに気付きました。
このブログでは私の考えたこと、思ったことを全てさらけだしています。内緒にしておきたいこともありませんからね。
でも、これを読み直せば、その時の自分の思考回路をトレースできます。その時の思いをいつまでも忘れずに済みます。
忘れっぽい私にはとても良いやりかたでした。

二つ目は、お世話になった皆さんへの状況報告が結果的にできてしまった点。

父は5年以上にわたってグループホームでお世話になりました。
皆さんには献身的といっていいお世話をいただきました。この皆さんには、父の最後を是非お伝えしたいと感じていましたので、皆さんにはブログのURLをお伝えしていました。

仕事としてですが、施設の皆さんは父をずっと見守ってくださいました。
万年筆を愛用するメモ魔で、車イスを嫌っていた父でした。
でも、ペンを握れなくなり、歩行器が必要となり、そして嫌だった車イスを使わざるを得なくなるという衰えていく日々を見ていただいたのは施設の皆さんです。
週イチしか行かない息子の私などより、よほど日々の喜びと悲しみを共有し、見守っていただきました。

自宅で看取る方が幸せだというのは誰だってわかっています。
私が自宅看取りをすると決めれば施設の皆さんから、父を取り上げる形になります。もちろん自宅で亡くなる方が良いのは皆さんご存知ですから「良かったね」と送り出してくださいました。
でも、施設の皆さんだって人間です。父がいなくなれば「どうなったのかな」「お元気かな」と気になる時もあることでしょう。

そのため、皆さんにはブログを始めた直後にURLをお伝えしました。
施設の皆さんにも読んでいただけたようで、父の最後の様子をほぼリアルタイムでお伝えできました。これは私にとって一番嬉しい副産物でした。

皆さんが読んでくださっていた証拠があります。
父が旅立った翌日、施設の方が実家にお越しくださいました。「ブログを拝見してお亡くなりを知りました」とのこと。
まったくの突然でした。
今回の看取りプロジェクトでの最大のサプライズでした。

最初の目的であった情報共有の面でも驚くほどの効果がありました。

当初から、訪問看護さん、ケアマネさん、ヘルパーさんといった実家に立ち寄っていただく皆さんとの情報共有をしようと思い、URLはたくさんの方にお伝えしました。
そのおかげで、私が何かをお願いしようとすると「ブログに書かれていましたよね。承知しています」と何度も言っていただきました。

さて、情報共有の面でのサプライズは葬儀場のご担当さんでした。

葬儀場では、故人を理解するためのシート(エピソードなどが書ける)を用意されています。
私はそのシートの末尾に、父のことをもっと伝える手段として、このブログ(マガジン)のURLを書きました。

葬儀場のご担当さんは、あの長い「父の看取りのこと」を全て読み、私の父を深く知ってくださいました。その上でいろんなサポートをいただいたのですが、内容の一つ一つが実にツボを抑えていて、私や父が一番望んでいた葬儀となりました。
このご担当さんには本当に感謝の言葉もありません。
この方の話は、長くなりますので、別記事にて。

さて、ブログの良いところばかり書いてきましたが、問題もありました。

一番の問題はブログを書くのにやたらと時間が取られることでした。
私のブログは基本的に長文です。
本業の「がんばりすぎないセキュリティ」もそうなんですが、書いているといろいろと書き足したいことが次々と出てきてキリがありません。
なので、「がんばりすぎなセキュリティ」では時間切れによって「今回はここまでにしといたろ」となることが多いのです。

本業であれば、それ自体が目的ですので、多少時間が取られるのは想定内の話ですが、看取りの最中にそんなのにかまけてていいのか?と問われると「ウッ」となってしまいます。
幸いなことに、父の場合はあまり手がかかりませんでした。尿はカテーテルから尿バッグに出ますし、食べないため、便も出ず、私はおむつ交換を一回もしていません。
食事もほとんどとってくれませんでしたし、飲みものを飲むのもわずかでした。
いわゆるお世話に時間を使わなくて済んだからこそ、できたことなのかもしれません。

それでもブログには価値があると思います。
どんな方法にしても、多数の関係者と情報共有するのは手間と時間が要ります。それなら、多少時間を突っ込でも、個々の説明を減らせるブログはものすごい時間節約効果があると思います。

同じような立場の方はたくさんおられると思いますが、情報共有のためのブログは本当に威力を発揮してくれますので、皆さんも(ちょっと最初の敷居は高いですが)書かれてみてはいかがでしょうか。

グダグダと長く書かず、簡潔明瞭な文章を書く技能があれば、もっと楽に書けるのでしょう。
でも、それは無理というもの。
私は長々とおしゃべりするのが大好きだしね。
うちの父も母も同様ですから、グダグダの長文になるのは仕方ないのかもしれませんね。(笑)

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