見出し画像

無価値の価値

先日、「致知」という雑誌を読んでいたら、(2024 January)

「松尾芭蕉の名句に学ぶ人生の大事」という記事の中に


無価値の価値」という言葉が出てきました。


芭蕉37歳の頃、「私が詠みたいのはこういう句だ」といい

「枯枝に烏の泊まりけり秋の暮」

情景としては、絵葉書になるようなきれいな情景ではないけれど、

芭蕉は,皆が決して美しいと思わなかったものの中に、深い美を見出している


禅には、「無価値の価値」という言葉があります。

文字通り、価値がないと思われるものに大変な価値があるという意味。


呼吸などはその典型なものでしょう。

日常生活で一体どれだけの人が人の呼吸に価値を感じて生きているでしょうか。

しかし、呼吸はこれがなくては生きていけない一番の価値です。


鼻から出入りする呼吸、

その無価値に意識を向け、無価値の価値を発見するのが

まさに坐禅なのです。


この枯枝と烏の句から4年後、このような句を詠みました。

「霧しぐれ富士をみぬ日ぞ面白き」


今も昔も、富士山を眺められることは旅の醍醐味です。

ところが、芭蕉は霧しぐれによって富士山がよく見えない状況を

感嘆しているわけです。

これも 無価値なものに価値を見出した一句です。



「よくみれば薺(ナズナ)花さく垣ねかな」

小さい小さい花なのに、拡大鏡を使って見ると

芭蕉の何とも言えない美しさがそこにあります。


「無価値の価値」というものは表面的に

見ているだけでは分からないことを

薺は私に教えてくれました。


よくみれば」、芭蕉がこの5文字に込めた思いはどこまでも深いのです。


これは、金子徹先生という静岡県の中学校の先生の話です。

金子先生は、この句を知って深い感銘を受けられました。


「私は、これまで勉強や運動のできる子、

つまり大きな花を咲かせている子に関心を抱いて

教育をしてきたが、

勉強も運動もできない子も

素晴らしい小さな花を持っていることを芭蕉に教えられた。


これからはたとえ小さな花であっても、

そういう子のすばらしさを発見し教員生活を送ろう。」

そう決意され、以来、

生徒一人ひとりを深い眼差しで見つめられるようになったのです。

(致知:特集人生の大事より抜粋)


「無価値の価値」という言葉は、わたしは初めて聞いた言葉ですが、

とても心惹かれました。




この世に、価値のないものは 何一つない


小さな小さな 野に咲く花の中にも

何とも言えない美しさを発見できたらいいよね~


ほめ達は価値を発見する達人でもあります。


まさしく ほめ達のためにあるような言葉・・・

座右の銘にしよう!!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?