拡張のその先にある人類の未来 1

3年前、スイスのサイバスロンでROCKETが報道ステーションの取材を受けました。その当時の写真が出てきました。その番組で僕はいいことをたくさん言ったと思ったのに、10分ほどの時間で「拡張」というワードが僕の口から6回か7回出てきました。「拡張拡張うるさい」というコメントを見て、実はちょっとショックでした。今はサイバスロンなどの障害分野だけでなく、インターネットや人工知能など様々な分野で「拡張」というワードが目につくようになり、ふと昔の自分を思い出しました。


当時、中邑先生とメンバーとの議論の結論は「優生思想は技術の発展によって生まれた。科学の進歩はサイバスロンのような技術もアウシュビッツの悲劇も生む二面性がある。」「より良くなりたい、良いものを残そうという気持ちがまさに君たち(障害者)を排除しているんだ」というものでした。僕は正直この結論は気に喰わなかったです。

サイバスロンは「何かをしたい」「歩ける、走れるようになりたい」といった純粋な想いや好奇心から生み出されたものです。一方で、アウシュビッツは「不必要なものを切り捨てる」という真逆の発想です。

これは人間の思想の問題であって技術の問題ではありません。技術の進歩が優生思想を生んだわけではないのです。

例えば、人間そっくりのアンドロイドやロボットが進化すると人間の管理を超えて悪いことをしたり人間を支配したりするんじゃないかと危惧する人がいますが、アンドロイド以前に悪いことをする人間はたくさんいます。それなのにアンドロイドが悪さをすることばかり心配する。この議論に似ているような気がします。

当時の僕はサイバスロンを見た時「無い(不自由だ)からこそ自由な可能性に気づくことができる」と思っていました。これは今も変わってはいません。ただ、なぜ技術が発展するのか。それは「持っていないから」ではなく、「何かがしたい・やりたい」からです。

僕は人類はいい方向へと向かっていると思います。科学は発展すればするほど、人がやりたいことを叶えることができるようになります。

では、その意思によって人類が拡張をしていった先にある未来はどうなるのか?

2に続きます。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?