拡張のその先にある人類の未来 2

1からの続きです。

この2年間ホーチミンで暮らし、マレーシア、タイ、ブルネイ、カンボジア、シンガポール、ミャンマー、UAE、スペイン、そしてエストニアを旅行する機会がありました。そこで感じたのはそれぞれの国が独自の問題を抱えていて、それが2~300集まることがまさしくグローバルで、グローバルというのはものすごく複雑(ざっくり)だということです。

一方で、アジア圏の発展はおしなべて先進国の発展をなぞっているように思えます。アジア諸国は文化も歴史も違うにも関わらず、industlizationだとかglobalizationにおいて、ほぼ同じ過程を経て、同じ問題に直面します。まるで発展はそれしか道がないかのようです。

僕は発展には「限界点」が存在するのではないかと考えています。

人類は間違いなく良い方向に向かい、拡張を続けています。しかし、「拡張」は人類の生物としての在り様を劇的に変えるものではありません。例えばAIが台頭し、ロボットとともに生活する様になり、宇宙ステーションに住むのが当たり前になったとして、僕たちの営みは大きく変わるでしょうか。朝起きて食事をして、人と会い泣いたり笑ったり、家族を作ったり子孫を残したり。それそのものが変化していくわけではありません。もしかしたら、みんなサイボーグ化して生殖器とかも人工培養みたいになるかもしれませんが、だからといって普段の生活は変わりません。

電車や車は人の生活を大きく変えました。けれども移動の速度が変わっただけで、人間の「移動」という動作そのものが変化したわけではありません。インターネットは人の歴史を変えましたが、言うなれば「とてつもなく送受信の早い手紙」です。

僕たちの生活は拡張によって便利になってきました。けれども拡張は拡張に過ぎません。

でもその限界を変えるのは「芸術」かもしれません。

フォンブラウンを代表するロケット開発者たちの多くは、フランスの作家が描いたSF小説「月世界旅行」を読んでロケット開発を志したと言われています。

過去、ロケットで宇宙に行くという夢はSFの中でしか在り得ないものでした。しかしそれを読んだ科学者たちによって、それはわずか100年で実現することになります。

SFやファンタジーに過ぎないことを、人間は実現しようとします。ロケットの様にもはや夢物語ではないものもたくさん存在します。ならば絵に描いたり、小説に書くことで、未来の想像を形にして、科学者たちにきっかけを与える彼らこそが、科学の生みの親と言えるのかもしれません。

人類が宇宙コロニーで暮らす様になる頃、僕がまだ知らない天才たちは、どの様な未来を描くのでしょうか。

人間の想像力が尽きない限り、科学は発展し、人間は拡張し続ける。あるいは拡張ではない進化を遂げるのかもしれません。

独自の発展を遂げたエストニアに行った時の動画を貼ります。

3に続きます


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