見出し画像

選手宣誓のようなもの

日本軍は第二次世界大戦で、真珠湾攻撃を仕掛けしました。それはどうしても勝ち目のない戦争でした。局地的には勝利を続けましたが、兵站が伸び切ったタイミングで、徹底的に分断されました。よくある手法です。それ以前の戦争の影響もあり、人員も物資も慢性的に不足している中、戦争が開始されました。

それは、悲惨な、末路をたどりました。多くの人が死にました。多くの若者が死にました。なぜこんなことが起こってしまったのでしょうか。一つには軍部の妄想があります。

「日本人なら勝てるはずだ」
「大和魂があれば、負けない」
「日本は神の国だ」

精神性で、飯は食えません。人は飢えるばかりです。戦争末期には、冗談抜きで竹槍で武装した兵士が、戦車に突撃しました。「本土決戦」に向けて民間人までもが、竹槍の扱いを学びました。飛行機と、竹槍でどうやって戦うのでしょうか。

それでも、なんの根拠もない精神論で、人が死に続けました。有望な若者も多く死にました。なぜ彼らは、死ななければならなかったのか。戦争というものをある程度体系的に学んだことがある人ならば、誰だって負けることがわかっている戦に、「でも我々は日本人だから負けない」というなんの根拠もないロジックで挑みました。

物資の残量、兵士と兵器の残量を具体的に把握し、それを元に、あくまでも具体に根差した作戦を遂行することはできなかったのでしょうか。少なくとも日本は日露戦争以降、それができなくなってしまいました。

そして人が死んだんです。くだらないイデオロギーのために人が死んだんです。訳のわからない思想のために人が死んだんです。誰かの理想のために、人が死んだんです。



この話は、何を示唆するでしょうか。まず、「気持ちで現実は変わらない」ということです。いくら精神性があっても、いくら強く願っても、飯が増えることはないし、兵士が突然強くなることはないし、兵器が開発されるわけではないのです。そこに具体の”正しい”行動が伴って初めて変化が生まれるのです。もちろんその”正しい”行動に関しては、何が正しくて、何が正しくないのか、徹底的に探求する必要があると思います。

当たり前だと思います。受験で、「勉強します!」「一日10時間勉強します!」「努力は報われます!」「逆転合格します!」と宣言することは、なんの意味もない。こんな謎の宣言をする時間があったら、大学について情報を集めたり、科目への理解を深め作戦を立たりした方が、合格に近づきます。具体の行動以外に意味はないと思います。

だから、ある種の問題には、どこまでも、どこまでも現実的にならなければならない。論理的には、世界中の全員が殺人をやめて優しくなれば戦争は無くなります。でも現実はそうならない。論理とはその程度のものです。かなり極端な言い方をすれば言葉をどれだけこねくり回しても、意味がない物事もあると僕は思っています。少なくとも僕がやりたいのはそんなことじゃありません。だから、どこまでも現実的に、具体の話をしなければならないのです。それを物言わぬ若き日本兵の死体から学びました。

具体の証拠を欠いたぼやっとした言説が許せないのは、今は亡き若者への弔いでもあります。物事に対して誠実になろうと思ったら、具体的な物事をより高い精度で行っていかなければならないと思っています。もし仮に何かを「理論的に乗り越えた」として、それがどこまで現実の問題を解決するのでしょうか。何かを「理論的に乗り越えること」が世界を良くするのならば、とっくに戦争も人種差別も環境問題もなくなっています。そうじゃないから問題は問題なんです。

あくまで具体的な問題に対して、具体的に対処していくしかない。それしか方法はないのだと思っています。それを積み上げることで初めて漸進することができるのではないのでしょうか。それが僕が思う誠実性です。




構造的な問題は、その意味では出発点でしかありません。



だから、具体にこだわるんです。どこまでも二本足で立って、目の前の物事と丸腰で向き合っていく必要があると思います。それは構造的な諸問題に対して、誠実であることの唯一の証左だと思います。そして、あくまでも現実の世界で、手を動かして、文字を紡いで、血を吐く想いで書くことくらいしか僕にできることはないと思っています。それは僕が最も大切にしていることです。

だからこそ、論理や数値に関しては相当慎重に扱っているわけです。間違った使い方をすると、最悪の場合人を殺すことになります。そうではなくても、無自覚的に詐欺の主体になり得ます。前提となる論理を数字であたかも成立しているように見せかけ、その上に新たな何かを積み上げるような行為は絶対にしたくありません。論理も数値も凶器になり得ます。だから、「具体」が指し示す意味内容にも慎重にならざるを得ないわけです。


しかしながら、僕は、どこまでいっても具体的に手を動かしことでしか、自分を語れないと思います。成果物だけが唯一の証拠です。だから、頑張ります。いつかこの気持ちが伝わることを願っています。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?