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えっ、私がバーでバイトするんですか!?

同居人から、唐突に告げられた。

「明日バイト入れる人知らない?人がいなくてさ。」

同居人のバイト先は、バー。それもオーセンティックバー。一度冷やかしに見に行ったことがあるが、マスターはジャケット、バイトもワイシャツにベスト、蝶ネクタイという出立だった。バーカウンターの後ろの壁には何やら高そうな酒が所狭しと並べられていた。

そんな雰囲気むき出しのバーで急遽1日だけバイトできるような友達を私は一人も知らなかったので、

「うーん。知り合いにはいないかも〜」

と曖昧に返事した。すると、

「もし、どうしても誰も入れなかった場合には、お願いしてもいい?」

このような場合に都合よくバイトに入ってくれる知り合いは見つからない。そうして、俺が行くことになった。

私は親の脛を齧ることに関して言えば右に出るものはいないほどの「Spoiled Child」(甘やかされてダメになった子ども)であるため、飲食はおろかほとんどバイトをしたことがなかった。

そのため、当日は朝から緊張していた。まず、身だしなみを整える必要がある。家中を這いずり回って、服を見つけ出す。なんとかくしゃくしゃのワイシャツと、スラックス、ベルトとコートを棚の奥の奥から引っ張り出してくることに成功した。

ワイシャツに皺があるのは、一般的にあまりよくないことであるという知識を持っていたため、急いで洗って、できるだけ皺ができないように干した。うちにアイロンなどという高級なものはないため、苦肉の策だった。あゝ、こんなことならアイロンくらい持っておけばよかった。

そしてランニングに出かけた。帰国してからというもの、日本食がうますぎるあまり12キロもの増量に成功してしまった私は、体が弛んでいる。顔もイマイチ、シャキッとせず、マスターに初対面で悪い印象を与える恐れがあった。幸い顔のむくみは、ランニングを全力で1時間ほど行えば取ることができることが、研究によって明らかになっているので(n=1)、とにかく走った。

帰宅してシャワーを浴びた。伸びっぱなしだった無精髭やら顔に生えている謎の毛を剃れるだけ剃った。あとは靴を履くことになるため、足を入念に専用の洗剤で洗い、家中のクリームというクリームを塗りたくって臭いを抑えることに最善を尽くした。

シャワーから出て、ワイシャツに袖を通す。もう何ヶ月も着ていないそのワイシャツを着ると背筋が伸びるような気持ちになった。なんだか新しい自分になったような気さえする。だらしない顔で鏡を見ると一つの懸念事項が持ち上がった。

それはワイシャツがボタンダウンだということだ。私の洋服に関する知識のほとんどは父から教わったものである。その父が確か昔、

「ボタンダウンはフォーマルではない!アメリカの文化だ!そもそもワイシャツは下着だからそれだけで歩くな!」

と言っていたことがあった気がする。バーのマスターはおそらく服装や身だしなみに厳しい。私が持っている唯一の白ワイシャツはボタンダウンだった。もしマスターが極度のアメリカ嫌いで、

「そんなヤンキー文化は認めん!そもそもフォーマルがなんたるか貴様は何も理解していない!貴様に働く資格はない!出ていけ!」

と言われたらどうしようと思った。でもよく考えたら確かバーはアメリカ文化なのでアメリカ嫌いの線は大丈夫だ。それでもフォーマルではない、という点においては不安が残る。

「スポーツでもしにきたのか!」

と言われたら、返す言葉もない。しかし、ないものは、ない。腹を括って、ワイシャツのボタンを閉めた。もう一つ問題が浮上した。長い靴下が、ない。これも昔、父から言われた。

「足の肌が見えるのは失礼だ!スーツの時には長い靴下!これは恐竜時代から決まってる常識だ、ドラ息子!!!!!」

多分、恐竜時代にはスーツはなかったと思う。そうだとしても、今長い靴下が必要なことには変わりない。仕方なく同居人に頼んで靴下を貸してもらった。助かった。

革靴も、マーチンしかなかった。ステッチが白のタイプとはいえ、どう考えてもやばい。

「ストレートチップ以外は靴じゃねぇんだ馬鹿野郎!」

と言われたとしても、今日はどうしようもないので、最低限靴を磨いて、準備を終えた。少し爪が長くなっていたので、ぱちぱち切って、集めて捨てた。あとは髪をガッチガチにして(フォーマルな髪型に関する知識はなかったのでとりあえずセンターパートにしといた)、準備を終えた。

7時15分になると同居人と共に家を出た。同居人はだいぶ早足だった。開店準備があるという。バーがある建物につくと、同居人は管理人室へと向かい鍵を受け取った。勝手なイメージで、バーに到着したらマスターが待ち構えているものだと思っていたから、少しだけ拍子抜けした。



次回、ドキドキの初バイト編。つづく…かも……

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