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えっ、私がバーで働くんですか!?完結編

同居人から突然、「1日だけバーで働かないか?」と言われたぷー太郎の話の続きです。たった1日働いた話を結局一万字程度書いた自分に驚いています。しかしながら、想像以上に長くなった連載もここまで。意味もあんまりよくわからない駄文にお付き合いいただきありがとうございました。冒頭はこちらから。


団体客が帰っても、忙しさはしばらく終わらない。グラスを下げて、洗い、そして磨く作業があるからだ。ほっと一息つく暇もなく手を動かし続けてきた。その反動で、客が帰ると足に疲れが出てきた。普段図書館で本を読んでいるだけの人間である私は、こんなに長時間立っていたことがほとんどない。そのため、自分でも気づかないうちにかなりの疲労を溜めたようだ。

だからといって勝手に帰っていいわけではない。おそらくこのまま夜の2時まで働くことになるだろうから、まだ3時間はある。そんなことを考えながら作業を着々とこなしていく。

しばらくすると、マスターに

「ちょっと一息入れてこい」

と言われた。これが噂に聞く「休憩」であると理解するまでしばらく時間がかかった。ただ、休憩などしたことがないため、バイト中の休憩で何をしていいのかが全くわからなかった。すると同居人が

「椅子に座って水を飲むといい」

と教えてくれた。私は水をもらって奥に引っ込んだ。団体客が帰った後の部屋で休憩をした。その間5分程度だった。しばらく虚空を見つめていたが、思いついたようにメニューを手に取った。バーのメニューを眺めてみることにしたのだ。よくよく考えたら、働き始めたからといって急にメニューに詳しくなるわけではない。もしこの後、ほとんどあり得ないシチュエーションではあるが、おすすめを聞かれたら何も答えられないことに気がついた。そうでなくても、自分が今日一日働いていた店のメニューが気になったので、少し眺めてみた。

さっぱりわからなかった。たくさんの酒の名前が並んでいた。なるほど、酒の世界は奥が深いなぁ、という世界で一番浅い感想を持ったところで、そっとメニューを閉じた。立ち上がって、休憩を終えた。

特にやることもないので、突っ立ていた。突っ立ちかたにもなんとなくこだわってみる。バーで一般的にされていそうな腕の位置を想像し、誰に対しても失礼にならなそうな表情を浮かべるにはどうしたらいいか考えた。考えてもよくわからなかったので、適当な微笑を浮かべてみたのだが、目の前にあった鏡に映った自分が実に気持ち悪かったので、下を向くことにした。あたかも何かカウンターの下で作業しているように見えるように、下を向いていると、二人のほとんど泥酔したお客さんが入っていた。

マスターの知り合いらしい二人組の一人は中年の男女だった。口調がよっぱり特有のふにゃふにゃしたもので、語尾に不必要な「!」がついていた。なるほど、時間が遅くなると酔っ払いもくるよな、と妙に納得した。

「マスタぁぁ。何か私のイメージで作ってぇぇぇ」

ああ、これほんとに言う人いるんだ、と私が感動していると、マスターはほとんど間髪入れずに

「では、メニューにはないんですが、プリティ・ウーマンなんていかがでしょう」

とこれまたドラマのワンシーンのような受け答えをみることができて感動した。この受け答えや人当たりの良さがないと客商売は務まらないのだなぁと思いながら、じゃあ俺には一生かかっても無理だともおもった。

お客さんには、マスターは柔和な顔を見せる。バイトには威厳のある顔を見せる。バイトには見せることのない顔を客には見せるマスターの顔が、よくわからなくなった。人間は多面的であるというのを頭では理解しているつもりでも、実際に目の前で見ると、その人をどう捉えていいのかわからなくなる。多分それは、歩んできた人生そのもので22歳の若造には到底理解できないような苦労があったのではないかと身勝手ながら予想した。

マスターが手際よくカクテルを作り始めた。私はその光景を眺めるわけでもなく、また眺めないわけでもなく時間を過ごした。おそらく修行とは元来こういうものだったのではないかと思う。師匠の手捌きをバレないように見て「盗む」。そして自分の血肉にしていく。レシピでは表せないような細かい部分を盗んでいく。いつの日か自分が店を出すその日に思いを馳せながら。

「どうぞ、プリティ・ウーマンです。」

「私がジュリア・ロバーツに見えたってことぉぉ?」

まあ、そんなことはないだろうけど解釈は自由だ。このカクテルが出てきたという結果を人がどう解釈するのかは議論の余地が残るし、究極的には誰にもわからない。だから受け取る側がそう思えばきっとそうだとも言える。

締め作業が始まり、再び店を拭きあげる。皿やその他細々としたものを洗って、着替える。

帰り際にマスターに言われる。

「木村くんはバイトしてないんだよね。」

「はい。なのでいつでも暇です」

「君、今いつでもって言ったね。それはいいことを聞いた。俺はいつでもって言葉が大好きなんだ。解釈の余地が残るだろ」

「はい。また何かあったらよろしくお願いします」

私は深々と頭を下げて給料を手渡しでもらった。

帰り際、同居人が初バイト祝いとしてカップ麺とアイスを奢ってくれた。帰って2人で金麦を飲んだ。なぜこんなにうまいのかほとんど理解ができなかった。


同居人が言った。

「労働はたった数百円のコンビニ飯をこれほどまでに美味しくする。だけど目先のこと以外考えられなくなる。将来何しようとか、そういうことは全然頭になくなる。」


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