体罰…ムチ

エホバの証人の話題が上がるとよく耳にする体罰、ムチ打ち。

今回はこのテーマで書いてみたいと思います。

私が小学生の頃は確かに叩かれるという事がありました。
ベルトや物差し、長めの棒だったり。
私の家は裁縫で使う30cmよりも長い物差しだった記憶があります。

この体罰ですが、もちろん時代的な事もあります。
当時は言う事を聞かない、そんな時は大人に叩かれて当然の様な時代でもありました。

エホバの証人の中でも、ハッキリと子供を叩きましょう!なんて通達はなかったかもしれませんがその風潮があったのは事実です。

では何故エホバの証人二世がそれにトラウマを覚えてしまう様になったのか、これはとても大切な事なので書きたいと思います。


まず、このムチ打ちをするエホバの証人の親にも大きく分けて2つに分かれます。

①一般的な親として、子供のしつけとして叩く
これはエホバの証人でありながらも、普通の親として子供が間違ってる時に理解させる為に叩く

②組織の中の風潮に乗り、親自身が私は立派な正しいエホバの証人だと周りに見せる為に叩く

①の場合、理不尽すぎる体罰ではありませんでしたが、たちが悪いのが②です。

考えても見てほしいのですが
小さな子供が、日曜日なれば集会に連れて行かれ
45分〜の公演を聞き、その後45分〜のものみの塔の話しをジッと黙って座って聞く。

火曜日も木曜日も集まりはあります。(当時は)
内容なんて分からない、興味すらない、親が行くから連れて行かれる。
ジッとして子供にとっては呪文の様な話しがずっと続きます。

これ、小さな子供にジッとしろ!って言う事自体が間違いです。
そして②はジッとしない子供をトイレに連れて行きお尻を叩きます。

子供があまりにジッとしない時は①も同じ様にする場合があります。

なのでトイレで叩かれてる音、子供の泣き声は毎回ありました。

「あ〜あの子連れて行かれちゃったな」

②が厄介なのは、叩くという行為が本当に子供の為ではなく、エホバの証人として自分が立派な親で組織の中で忠実に行動している、と思っている事です。
そして周りに見せる事でその立場を築きます。

例えばですが
家族で買い物や遊びに出掛けて、他人の迷惑になるような大声、言動は
「みんなの迷惑になるからダメだよ」
子供はそうやって親から教えられ、怒られて理解して学んで行きます。

でも週に3回も親の都合で連れ回され、黙ってなさい!ジッとしてなさい!
なんでジッと出来ないの?
ってとにかく叩かれて、何故自分は叩かれるのすら理解出来ず
最終的に子供達は、親の顔色を伺うだけの子供になって行きます。

ベルトにしろ物差ししろ素手にしろ
お尻を叩かれるのはめちゃくちゃ痛いです。
しばらくは真っ赤。

私の親は幸い理不尽に叩く事はありませんでしが、あの痛みが恐怖だった記憶が少しあります。
こうなると親を喜ばす、親が笑顔になる方法を考えます。
それが伝道活動や集会に行ったら手を上げて発表する事に繋がって行きます。

私達二世は産まれて来てこのコミュニティしか知らないので、どうやってココで上手く生きて行くのかを考える様になります。

小学生や中学生にはまだ逃げ場がありません、信仰心なんてもちろんありません。
叩かれない為に、痛い思いをしない為に、この世界で親が笑顔でいる為に。

当時は熱心なエホバの証人の家庭ほどこの様な感じでした。

幼少期に、普通の社会よりかなり縛られて制限された世界しか知らず、そこでよく分からない痛みを感じるとトラウマになり、精神はイビツに形成されます。

子供が社会に出て、集団の中で生きて行く為に親からのしつけや教育は当然あるものですが、親のエゴの為に子供がトラウマを受ける痛みを感じるのは断固反対です。

この時代の二世は特にトラウマを感じてる人が多いはず。
周りとは違う生き方を強制され、全てダメと言われ、理不尽な痛みを心に焼き付け、何が正しいのかどう生きればいいのかすら分からなくなる。

親にすれば一生懸命なのでしょうが、その親は二世としての経験がない為に二世の気持ちが全く分かりません。

なのでそんな幼少期を過ごした私は、宗教は成人して自分の意志で学ぶべきだと感じます。
聖書の中には
「隣人を自分の様に愛しなさい」
とありますが、子供にトラウマを植え付けて隣人を愛してる場合ではありません。

ただ当時からも
エホバの証人の全員が怖い人間だったのかと言えばそうでもなく、本当に優しい人も多かったのを憶えています。
これがコミュニティの怖い所です。


人数がある程度いるコミュニティなら宗教関係なく起こる現象ですが

・立場をやたらと気にする
・本来の目的を分かっていない
・妙にカッコつける
・周りに認められたい

この様な人が必ず湧いてくる事です。

なのでもちろん真理を学んでいても勘違いする人種は一定数いました。
その勘違いした親を持った二世は地獄です。

なので二世の話しを聞くと

・思い出したくない過去、親が嫌い
・たくさん叩かれたけど親は嫌いじゃない

と別れる事が多々あります。

どちらにしろエホバの証人から離れた二世にとって胸を張って自慢出来る過去ではありません。


時代的な背景はあったにしろ、子供と宗教はもっと法で守られてもいいんじゃないかと思います。

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