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聞きたかったこと

山田太一さんの「男たちの旅路 ー 流氷」からの一場面がSNS上で流れていたので、改めてシナリオ集を取り出してみた。

山田太一『山田太一セレクション 男たちの旅路』(里山社、2017年)

部下の悦子(桃井かおり)が亡くなってから、北海道に身を潜めてしまった上司の吉岡(鶴田浩二)を探し出して帰京を促す部下の陽平(水谷豊)の台詞。

陽平 「特攻隊で死んだ友達を忘れねえとかなんとか、散々格好いい事を言って、それだけで消えちまっていいんですか?」

吉岡 「私はもう、特攻隊を口にはしない」

陽平 「ところが、そうはいかないって言ってるんですよ」

吉岡 「いくもいかないも(と言いかけるのを)」

陽平 「あの頃は純粋だった。生き死にを本気で考えていた、日本を生命 いのちをかけてまもる気だったとか、いい事ばっかり並べて、いなくなっちまっていいんですか?」

吉岡 「ーー」

陽平 「そりゃあね、昔の事だから、なつかしくて綺麗に見えるのは仕様がないよ。俺だって、小学校の頃のことを思うと、いまのガキよりましな暮しをしてたような気がするもんね。だけど、なつかしいような事言いまくって消えちまっていいのかね」

吉岡 「ーー」

陽平 「戦争にはもっと嫌な事があったと思うね。どうしようもねえなあ、と思ったこととか。そういう事いっぱいあったと思うね」

吉岡 「ーー」

陽平 「戦争に反対だなんて、とても言える空気じゃなかったって言ったね。大体反対だなんて思ってもいなかったって言った。いつ頃から、そういう風になって行ったか、俺はとっても聞きたいね。気がついたら、国中が戦争やる気になっていたとかさ、そういう風に、どんな風にしてなって行くのか、そういう事、司令補まだ、なんにも言わねえじゃねえか」

吉岡 「ーー」

陽平 「どうせ昔のことしゃべるなら、こんな風にいつのまにか人間てのは、戦争する気になって行くんだってエところあたりをしゃべって貰いたいね」

吉岡 「ーー」

陽平 「そうじゃないとよ、俺たち、戦争ってエのは、本当のところ、それほどひどいもんじゃねえのかもしれない、案外、勇ましくて、いい事いっぱいあるのかもしれないなんて、思っちゃうよ」

「男たちの旅路」第Ⅳ部1話より引用


幼い頃から戦争が恐ろしかった。先の大戦で敗けなければ、日本人とはいえ母が朝鮮半島から引き揚げてくることはなかっただろうから、父と出会うこともなかったはずだ。つまり終戦を迎えなければ、自分は生まれなかったという仮定が怖かった。だから戦争を知らない子どものくせに、妙に戦争が気になって仕方がない変な子だった。しかし母が語る昔話は、外地での裕福な暮らしと内地に引き揚げてからの苦労話だったし、父は戦争の思い出そのものを語ろうとしなかった。戦争で亡くなった日本人310万人といわれる中、なぜそんな戦争を始めたのか、満足な答えを見出せないでいた。

引用箇所の陽平の台詞は、私の願いそのものだった。そして、陽平の上司である吉岡司令補は、亡き父を想起させた。もしもまだ父が生きていたら、私は陽平と同じ問いを投げかけたかった。なんにも言わないで消えてしまった父に、まだ語ってほしいことが一杯あった。


🍎追記🍎
aosagi31さまが当記事を素敵なマガジン my favorites II に追加してくださいました。どうもありがとうございます。aosagi31さんも山田太一さんの「ふぞろいの林檎」について記事内で触れておられます。よろしければ、こちらもぜひ!