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「べき」にとらわれ過ぎないことと、想像力の重要さ①

キッズアプリを設計する上で、自分が重要視していることのなかに、以下の2つがある。

【1】あらゆる「べき」にとらわれ過ぎないこと
【2】想像力を持ち、常に子どもが使っていることをイメージすること

これらを順番に説明していきたいと思う。

【1】あらゆる「べき」にとらわれ過ぎないこと

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キッズアプリに限らず、なにかプロダクトを設計するときには、様々な「べき」が存在していると感じる。例えば、キッズアプリでは、

 ・文字は なるべく使わないようにするべき
 ・難しい操作(フリックやピンチ)は 入れないようにするべき
 ・サウンドは 子どもウケする分かりやすい簡素な音にするべき

と言う具合だ。

これらは、キッズアプリを設計するうえでの基本とされているが、だからと言って、盲目的にこれらに従うのは、必ずしも正しいこととは限らない。設計思想によっては、敢えてこれらの「べき」を守る必要はないと、個人的には思っている。

例えば文字についてだが、未就学児にとって、漢字やカタカナは難しく読めないことが多いし、ひらがなでさえ、スムーズに読むのは難しい。

だから文字を使わずに、視覚的に訴求したり音声を用いたりするのだが、設計思想として「遊びながら文字も学んで欲しい」というのを設定したなら、文字を積極的に使っていいと思ってる。(文字を学ぶことが主目的である教育的なアプリでない場合だとしても)

子どもは、夢中になれば遊んでいることから様々なことを学ぶ取る。それなのに、「子ども向け」だからと言って、大人がわざわざ学べる要素を排除する必要はない。

当然、全部漢字でいいのかと言えばそうではないのだけれど(ここは後述する2に関連してくる)、なんの疑問を持たず、「べき」を信じすぎることは、子どものためにならないと思っている。

"難しい操作を入れない" という例についても、「遊びながら指先のトレーニングをしてもらいたい」という思想を設定するのであれば、多少難しめの操作があってもいいと思うし、サウンドについても、思想によってはクラシック音楽のような壮大なものを使っても、全然問題ないと思う。

 ・周りがそうだから、
 ・今までがそうだったから

・・・という流れでキッズアプリを設計することが、個人的には一番危険だと感じている。


では、2の「想像力を持ち、常に子どもが使っていることをイメージすること」については、次回、書いていきたいと思う。


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