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映画秘宝REVIEW傑作選・井口昇編その1 どの映画雑誌も黙殺した『シベリア超特急』 水野晴郎とぼんちゃんのスーパーシネマ方式の正体

文:井口昇(映画監督)
初出:『映画秘宝Vol.5 底抜け超大作』1996年

「あの映画評論家の水野晴郎さんが映画を撮る」
 そんな情報に妙な胸騒ぎを覚えたのはなぜだったのか。理由ははっきりとはわからないが、僕が水野さんに強い興味をもちつづけてきたのは確かだ。思えば幼い頃から「水曜ロードショー」(現「金曜ロードショー」)での水野さんの解説に慣れ親しんで育ってきた。
 毎回、どんなくだらないC級SF映画に対しても「この作品の裏側には実は痛烈な文明批判が隠されているのではないでしょうか」といった製作者側の誰もが考えつかなかった論点で「強引」にまとめあげる独自の解説を聞くのは実に楽しかった。とくに番組の最後に「いやぁ、映画って本当にいいもんですね」とキメるその笑顔には、いかなる失敗作でも名作に変えてしまうほどの無理矢理な気迫があふれていた。
 そう、水野さんの特徴といえば「強引さ」と「無理矢理」であるような気が僕はしていたのだ。
 さらに水野さんの印象で忘れてならないのが、「制服愛好者」としての一面である。水野さんは「金曜ロードショー」のラストに放映される「水野晴郎の映画がいっぱい」というミニコーナーの中でたびたび自身の制服コレクションを披露してきた。さまざまな映画情報を語るという本来の目的を無視して、自分がいかに制服(しかも警官の格好)が好きなのかを語る水野さんの表情は、どんな映画を解説するよりも熱くディープであった。
「こんなの見せるくらいなら映画をカットしないで放映してくれよ!」という視聴者の心情とは関係なく、画面ではアメリカの警官の格好をした水野さんがニコニコしながら白バイに乗っている写真が何枚も映し出されていた。短髪と口ヒゲ、そして妙に肉感的な水野さんのボディはいろんな意味で警官スタイルがよく似合っていた。
 その水野さんの制服好きが評判を呼んだのか、あるいは自分でラブコールしたのか、なんと映画に役者として出演することになった。東映映画『多羅尾伴内』(1978年、東映東京、監督・鈴木則文)である。小林旭主演のこの映画を当時小学校二年生だった僕はなぜか観に行ったのだ(この作品がアニメ以外で初めて映画館で観た映画だというのも何かの因縁だろう)。
 この作品の中で水野氏が演じているのは、やはり警官であり、しかも署長。ゲスト出演といった扱いで1シーンだけだが、作品内容と関係なく別の意味で気持ち良くなっている水野さんの生々しさが心に残った。
 当然、もう役者として彼を見ることはなかろうと思ったが、5、6年前に『落陽』というにっかつ80周年記念映画にも再び制服姿でゲスト出演した。僕は未見だが、ここでの水野氏は、シンガポール陥落で有名な実在の軍人・山下奉文大将の役で登場したらしい。顔が似ているというのが起用の理由らしいが、水野氏は別の意味で嬉しかったに違いない。

 そんな映画愛と制服愛(それだけの方とは思いませんが)に彩られた人物が撮る映画とはどんなものなのか、僕には大変興味があった。

●水野さん、ぼんちゃん、夢の共演

『シベリア超特急』(1996年)と題されたこの映画のチラシからは、すでに「超低予算だが、超大作なみの風格を見せちゃる!」という気迫があふれ出まくっていた。なんてったってキャッチコピーが、
「ラスト二段のどんでん返しは決して話さないで下さい」
 だ。最近見かけなくなった『スティング』ばりのハッタリ精神が何より新鮮で嬉しいではないか。しかも、コピーの語感に「このラストは絶対巷のウワサになるぞぉ!」といった自信までうかがえる。
 さらに「スーパーシネマ上映方式」というわけのわからない名称の上映システムが表示されているところも妙に懐かしくてヨイ。かつて劇場内に地震を起こすことで話題となった映画『大地震』(1974年)でのセンサラウンド上映方式を彷彿とさせ、パニック映画世代の映画ファンをワクワクさせてくれるツボを見事につかんでいるのだ。
 問題は出演者のメンツだ。水野さんがゾッコンに惚れ込んでいるというヒロイン、かたせ梨乃嬢はまだしも、水野さんの愛弟子である西田和晃さん(通称ぼんちゃん)と占野しげるさんという、水野さんにどことなく似た外見の2人が、まるでスティーヴ・マックイーンとポール・ニューマンのような二大スターとしてチラシで扱われているのはどういうことなんだろうか。華のない2人が華のあるスターのように「無理矢理」表現されているのだ。たしかに水野さんは弟子思いである。水野さんが出演するテレビやイベントには120%の確率で必ずぼんちゃんも一緒に登場し、仲良さそうに語り合っている。その姿は水野さんの右腕というよりも、もはや一心同体といってしまったほうが親切だろう。
 そして、チラシの中で最も目を引くのが、格好よく銃を構える水野さん本人の姿だ。当然、軍服姿で、その姿はまるでムッチリ版イーストウッドのようだ。きっと客寄せのためのゲスト出演なんだろうなぁとこの時は思っていた……。
 さて、そんな評論家界の大御所による渾身の映画は、新宿の某ミニシアターで意外なほどひっそりと公開された。宣伝をあまりしなかったせいか、客の入りも僕を含めて5人ほどであった。
 映画本編が始まると、例の「ラスト二段のどんでん返しは誰にも話さないで下さい」というテロップがいきなり現れる。こんな人数じゃ話す人なんて誰もいないわよと思ったが、その反面、水野さんはよほど自信があるんだろうなぁと考えるとなぜだか急に悲しくなった。
 画面自体はどうやらヒッチコックに捧げられたサスペンスものらしい。第二次世界大戦中、シベリアを横断する列車内で起こる殺人事件を描いたものだが、観てる僕の頭の中にある言葉が浮かんできて仕方なかった。
 それは「安い」という言葉である。シャレたものを目指した結果「安いソウル・バス」といった印象になってしまったタイトルバック。妙に貧乏くさい外国人俳優たち。まるで日本映画に出てくるディスコのような濃い安さを感じさせる「かたせ梨乃」のヒロイン演技。どれも妙に「安い香り」をただよわせるのだが、それに輪をかけて水野さんの演出が実に「安い」。やってることはサスペンス映画へのオマージュばかりなのだが、テンポとリズムがまったくないので、誰かが殺されたり死んだりしても、「どうでもいいや」という気にさせられて、ついつい観終わった後のメシをどこで食おうかと考えてしまう。あまりに多くの映画にオマージュを捧げているのだが、まるで他人の自慢話を一晩中聞かされているのに似たような気持ちにさせられる。それでも「私はアイツにボロ雑巾のようにあつかわれたのよ」と外人女優が叫ぶと本当にボロ布のイメージカットがジャーン! と現れるようなダイレクトに「安い」シーンには僕は好感がもてたのだが。
 ところが、水野さん本人が『落陽』と同じ役、すなわち山下奉文大将役として軍服姿で登場すると、画面の様子は変わってくる。ピリッと引きしまって見えるのだ。しかも、てっきり1シーンだけの出演かと思っていたら、次第に物語の渦中に入り、ポアロのように謎解きをする主人公が水野さん本人であることが判明するではないか。実はこの作品の本当のサスペンスはこの辺にあるのだ。
 水野さんが目をつぶり、唇を舐めてナゾを考察する姿、唐突に「これが証拠だ!」とフランス語で絶叫する姿、クライマックスで「戦争はよくない!」と棒読みで演説する姿。そんな俳優・水野晴郎を、監督・水野晴郎は最も愛しているのだ。どんな役者よりも。
 最後のほうまで観ていくと、この映画が水野晴郎という名の一個の宇宙であることがわかってくる。それも他人の入ることのできない完全主観宇宙なのだ。だから水野さんをはじめとしてやたらムチッとした軍服の男たちが現れるし、ぼんちゃんがマックイーンのようにやたら格好よく列車の上でアクションをするのだ(あたかもこんな格好イイ人この世にいてもいいの、と言わんばかりに)。「水野晴郎作詞」とテロップで表示された主題歌「シベリア超特急」が流れるエンド・クレジットを見ながら僕はそう考えていた。
 水野さんのやたらりりしいモノクロ軍服写真をバックに「終」マークが出たので、僕は「アレッ、二度のどんでん返しはどうなったの!?」と心の中でつぶやいた。そのとき!

注意!! ここから先は、この映画をまだ観ていない方は決して読まないでください!


 そのとき、「カットぉ!」という声が響き、素に戻った役者たち全員が拍手をしながら水野さんを囲んだ。「いやぁ、いやぁ、みんなよかったよぉ」とニコニコする水野さんに「いやぁ先生もサマになってましたよぉ」とぼんちゃんが明るくツッコミを入れる。なんと、映画は『シベリア超特急』の打ち上げ場面に突入するのだ。「オイオイ、これがどんでん返しかよ」と観客が呆然としたとき、実にいいタイミングで素のかたせ梨乃がスローモーションで撃ち殺される! すると今度は素のままの水野さんが再び殺人事件の推理を始めるのだ。この辺でわれわれ観客は居心地の悪い不安感につつまれる。
「この場面はどんな意味があるのだ。果たして水野さんの本意は……!?」
 そんな観客の心情を無視して、水野さんはめいっぱい渋い表情で出演者全員の前で言う。「犯人は占野組んだっ!」と。そう、犯人は素の占野しげる本人だったのだ! 殺しの動機は、占野さんの祖父がかたせ嬢の祖父に戦争中に殺されて、その復讐のためという複雑な因果によるものなんだけど、観ていてもよくわからなかったな。要するに反戦をテーマにしたこの映画の出演者にも戦争犠牲者がいて、……まぁ戦争はよくないということを語りたいらしいのだが、われわれは予想外の(華のない)占野氏の見せ場のほうに圧倒される。一世一代の長台詞を喋り、スポットライトを浴びながら泣き崩れる占野さんを見つめていた外国人俳優は気分を害して楽屋に戻る。
 その時、「かっとぉっー!」という声が再び響く。まさか……と思った瞬間、かたせ嬢が「水野先生っー❤︎」とか言いながらニコニコして立ち上がったのだ。すると素の水野さんがまたニコニコしながら「いやーっ、今の死んだ演技最高だったよー!」と言うではないか。
 どういうこっちゃ! 僕はこのとき心身ともに鳥肌が立った。心底怖くなったのだ。もしかしたら、この映画はこのままドンデン返しが永遠に続き、一生終わらないのではないか。そんな馬鹿げた不安を僕は本気で感じたのだった。
 画面では、かたせ嬢の偽装殺人は、外国人俳優たちに戦争の悲惨さを伝えるために水野さんが仕組んだものだという不条理かつシュールな説明がなされていたが、もう僕にとってはどうでもよかった。水野晴郎という名の宇宙がとてつもないブラックホールを抱えていることを理解したからだ。もうお腹いっぱいだった。その後、再びだらけた打ち上げを始める水野チームの前に「お父さーん、もう帰ろうよぉっー!」とぼんちゃんの本当の息子たちが現れた頃、スクリーンに、今度こそ、やっと本物の「終」マークも現れた。客席に地震など起こらなかったが、僕にとってはたしかに「スーパーシネマ方式」であった。
 PS:先日、僕は今回の記事を書くために再び『シベリア超特急』を某年金会館のイベント「水野晴郎のシネマトーク」で観た。弁当持参のお年寄りばかりの会場で水野さん本人が出演し、映画への夢と次回作への抱負を語った。それによると次回も山下大将もので、主演もするという。共演者にはリチャード・ドレイファスに依頼したいと真顔で言っていた。しかし、そんなビッグニュースよりも僕を驚かせたのは、この日上映された『シベ超』(略称)にあの「二度のどんでん返し」がなかったことだ。なんと実は2バージョンあったとは! なぜ!? どんな理由でラストがないの!? 水野宇宙のナゾはさらに深まるばかりだ。

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