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原一男

1945年山口県宇部市出身。東京綜合写真専門学校中退。
1972年、小林佐智子と疾走プロダクション結成、脳性麻痺の障害者自立運動家を描いた『さよならCP』発表。
1974年、フェミニストである元同棲相手をおった『極私的エロス/恋歌1974』公開。
1987年、奥崎謙三を追った 『ゆきゆきて、神軍』。
1994年、作家・井上光晴を描いた『全身小説家』。 【井上光晴を取材していくうちに井上の経歴詐称が判明していくことになった。 カメラをむけられると演技してしまう出演者を取材対象として、ドキュメンタリーと劇映画とを判別困難にする「虚実不明」の状況を発生させ、ドキュメンタリー映画が本来もつ「やらせ的志向」を省略せずに描き、ドキュメンタリー映画のもついかがわしさを露呈させた。(この手法は師匠格の田原総一郎著作の「青春・この狂気するもの」に書かれていた)】
――と、ウィキペディアにあった。

さて。
原一男の監督映画、四本とも僕は見ているのだけれど。
初期の二本はだいぶ前のことでほとんど忘れてる。
後の二本、は、『ゆきゆきて、神軍』のが印象深かった。奥崎謙三もまた演技してしまう出演者の方だが、個性は強烈だったと思う。 軍隊での元同僚や上官への執拗な問い詰めは迫力あり、それが奥崎謙三自身によるものなのかは疑えばきりがない。ドキュメンタリー映画となっているからそうなのだろとの前提(認定?)でみているにすぎない。
その点、『全身小説家』は、井上光晴の経歴詐称が判明していくところを撮影しており、とにかく、存在そのものが小説みたいな人物の撮影に成功していると思える映画、という点で、ドキュメンタリー映画の白眉といえるだろう。

1995年、次世代ドキュメンタリー映画作家を養成すべく「CINEMA塾」を開催。 これは現在、開店休業中。そして、原一男、現在、大阪芸大映像学科教授。
その他、撮影助手(主に姫田真佐久に師事)や助監督(熊井啓の映画)や、テレビ番組演出や出演など(映像関連以外に本もだしている)、その活躍は多彩。


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