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さんごくし#2


『三國志』#1

🐞「桃園の誓」

「母さん、おやすみ」
「備や、ゆっくりおやすみ。」

母との挨拶を機に、最後まで灯っていたろうそくを消す。
自分も、床に入った。
今日はいつもよりも忙しい日だった。

幼馴染のだいちゃんが数年ぶりに家に遊びに来たのだ。

わけはこうだった。
備と同年代の子たちは、弱冠をすぎ、いわゆる就活という世代にあった。
だいちゃんは、無事就職先が見つかったということであった。


ここで、当時の就職状況において、整理しておこう。

後漢時代の中国、後漢といっても三国志の始まりは後漢末期である。
このころ、一番なるのが難しいとされていた職種は、国家公務員、官僚である。
群や県の一役人くらいなら、試験やいくつかの面接を通り抜ければどんな身分からでもなることができたが、(それでも難しいが)、特に中央の官僚はコネと身分がすべての世界であった。いわゆる上級国民がつく職種であったのである。
そして、軍人である。
軍人も、朝廷から採用されるものと地方でそのまま採用されるもので大きく変わる。まあ、中央政府で採用されてもまずは地方守備から任されるのがふつうである。いわゆる地方転勤。かなりきつい仕事ではある。
続いて、職人・技巧である。
職人は政府と取引するような技工所もあれば、日用品を取り扱う小さな技工所もあった。もちろん、もうかるのは前者である。
医師・薬剤師は、まず師匠をみつけ弟子入りするところからはじまる。
弟子を募集していないところもあるので、注意が必要だ。
そこからさきも、経典の勉強、薬草の勉強など覚えることは山積みだ。

閑話休題。
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だいちゃんの就職先は、地方官僚であった。
備は正直驚いた。
昔、数年前かな、一緒に盧植先生のもとで勉強していたときには突出して賢いというわけではなかったはずだからだ。
むしろ先生から褒められる回数で言ったら自分の方が多かった。
だいちゃんの就職祝いということで、その日は一緒に夕食を食べた。
備の母お手製の料理であった。
備の家は貧しく、いつも質素なご飯が多かったが、備自身も食べたことないような味付けの料理もあり、豪華なうたげとなった。
備としてもとても楽しい一日だった。
その一方で、一抹の焦りを覚えたことも否定できない。
だいちゃんから、周りのみんなの状況も聞いたからだ。
あそこの、りーくんは、琢郡で有力な技工所に就職が決まり、将来は安定だの、だいちゃんの隣の家からは、朝廷から軍人として採用が決まっただの、みんなそれぞれ就職先が決まって言っているようだ。
当然、自分のことも聞かれた。
普段、自分でも認めるほど温厚な性格の備であるが、さすがに恥ずかしさとむなしさを隠し通すことはできなかった。
自分が、まだ蓆織りをして母と二人ぎりぎりの生活を養っているなんて、だれが堂々といえよう。
自分もそろそろ将来を考えないといけないだろう。
自分はなにになりたいだろうか。
なにになるべきだろうか。
母とそのような話になることはほとんどなかった。

備は寝返りをうった。外の月灯りが、布団の脇においた剣の柄に反射して少しまぶしい。
ふたたび、体の向きを戻し、眠りについた。


朝の起床は6時。朝日とともにめざめ、ニワトリの声とともに起きる。

そんな生活を生まれてからこのかたずっと続けている。

昨日の夜、自分がふと感じた、自分の悩み。

朝起きて、いつもどおりの生活が始まると、それは、より鮮明にリアルな悩みとなって自分に降りかかってきた。

このまま蓆織として骨をうずめるのはいかがなものだろうか。

今の生活に納得がいっていない自分がいる。
だからといって、いまの自分がなれる職種も頼れるあてもない。


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