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オーストラリアでのキャリアインタビュー:カフェオーナー

⦅第1話⦆金なし、経験なし、英語なし、コネなし、初海外、初飛行機、初パスポートで渡豪。ワーホリの1年で帰国の予定が、気が付けばオーストラリア在住歴20年目。今ではシドニーで大人気のカフェを経営するKentaro。

オーストラリア滞在歴は?


20年目

他海外の滞在歴は?


ゼロ!

渡豪前の英語力は?


ゼロ!

オーストラリアに来るきっかけは?


小さい頃からの漠然とした夢が3つあった。

①英語を話せる人になりたい

②海外に住みたい(旅行ではなくて)

③コックさんになりたい

ただ、日本にいる時は、その3つを叶えるための行動は特に何もせず、気が付けば大学を卒業する年に。

今から一つずつ叶えていったら時間が足りない・・・まずは②を叶えて海外に住みながら、③のためにコックさんとして働き始めれば、必然的に①の英語の勉強になるんじゃね?

というシンプルな発想から、とりあえずパスポートを取りに行く。

まずは、パスポートの申請はしたものの、飛行機に乗ったこともなく、チケットをどこでどうやって買えるのかも知らず、パスポートとビザの違いも分からないレベル。

で、普通は旅行会社とかに相談に行くと思うけど、当時どこの誰に聞いていいのかサッパリで、とりあえずご近所の英会話教室に相談に行ってみた(笑)

そしてなんとびっくり、ちゃんと相談に乗ってくれた(笑)

まずは「どの国に行きたいか?」と聞かれ、「どこにも行った事ないから分からんし、決めてくれ。」と、無茶振りをしたら、「せめて条件をくれ」と言われる。

そこで、以下条件を挙げてみた。

①英語圏である事(英語の勉強がしたいから)

②物価が安い所(お金が無いから)※当時はオーストラリアも安かった

③寒いのは嫌だ(本当に無理)

④海の近くがいい(実際自分は全っったく海とか興味なかったけど、当時二十歳そこそこの自分は、「日本の友達に、海外で海の近くに住んでるって言ったらかっこいいから」という理由で。笑)

そこで、お姉さんがパソコンをパチパチとタイプして検索して出てきたのが

・・・ケアンズ💡

当時それがどこの国かも分からず、サインしたら、行き先がオーストラリアになっていた、といった具合。

(筆者M:前の記事のあやちゃんも同じだけど、まさに「案ずるより産むが易し」ですね。それにしても、行動力というか、流れに身を任せるスタンスというか、振り切ってる。笑)

ビザ取得の経緯は?


ワーホリビザ(1年ビザ)で入国 

(当時は 2nd ビザたるものがなく、最長で1年だった)

   

最初の仕事は、日本人1人の環境を求めて、オーストラリア料理のレストランで働き始める。

洗い場 →  仕込み&シェフの2セクション兼任 → デザートセクションもやらされ、いつの間にか3セクションを1人で


ビジネスビザ1回目

この頃、洗い場のセクションを抜けて、契約がキッチンハンドからシェフに契約変更に。ちょうど、ワーホリビザが切れる直前に、そのお店でビジネスビザのオファーがあり、4年ぼビザが出る。

ただ、1年半でお店が倒産し、ビザを失ってしまう。


ビジネスビザ2回目

ビザを失ったため、28日以内に国外退去、若しくは、新たなビザの申請が必要となった。

後者ができるように、すぐに飛び込みで色々探し回り、新たなビジネスビザを出してくれるギリシャレストランを見つける。

が、いざ働いてみると、かなりヒドいオーナーで、まるで奴隷のような扱いを受けていたため悩んでいるところ、他のレストランからのオファーが掛かる。


ビジネスビザ3回目

無事移動を果たし、3度目のビジネスビザ申請へ。

すぐに4年のビザが降りるも、働き始めて1年程でオーナーから、永住権ビザへの切り替えを薦められ、永住権を申請することに。


ちょっと余談

3軒目はいちシェフとして依頼を受けてスタートしたはずが、まさかの料理長ということになっていた。初日から、TAFE(専門学校)からの研修生を5〜6名つけられ、「教えるの、よろしく!」と(笑)

「騙された!」とも思ったものの、頑張ってみたところ、そこで飛躍的に英語力が伸びたと思う。

自分的第一次英語伸びた期は、初めての海外で働き始めた1軒目にて。怖いシェフ達に日々怒られないように必死で、半年くらいでグンと伸びた。

自分的第二次英語伸びた期は、この3軒目。「教える」立場になることで、改めて英語も身に付けられる機会に。

ビザのお話の中でも少し触れて頂きましたが、改めて、独立前までの道のりもぜひ聞きたい。


最初にいたケアンズは小さな街なので、「せっかく独立するなら一番大きい所で!」という理由だけで、8年住んだケアンズを離れて、シドニーへササッと引っ越し。

シドニーには知り合いも居ないし、コネも、ツテも、土地勘もないという、振り出しへまた戻る。

シドニーに着いた初日に1人で街をブラブラしてると、方向音痴な上に、当時はスマホがない時代で、グーグルマップに頼ることができず、完っ全に道に迷う。

進めば進むほど狭くなって行く路地・・・「やばい」と思いつつ、パニクって更に進んで歩いていったら、急に目の前に大通りが。

それが偶然ビルズ(bills)の目の前だった。(クラウンストリートにある、サリーヒルズ店。)

当時はまだ日本に1店舗しかなかった頃だったけど、「世界一の朝食」と称されたリコッタパンケーキやスクランブルエッグを手掛けるビルズの存在は知っていたので、その場で飛び込みで、「シェフ探してますか?」と聞いてみたら、「明日トライアルに来れる?」という急展開に。

早速翌日に2時間のトライアルをやって、終了時に「また明日も来れますか?今度は本店の方に」と言われたので、その次の日も行ってみたら、トライアルではなく、契約書が用意されてあって、「読んで気に入ったらサインして下さい」と、トントン拍子にコトが進んだ。

そこからもスピード感があり、サリーヒルズ店でスタートして2週間後には朝・昼の責任者を任せれ、その2ヶ月後には総本店に引き抜かれ、そしてその2ヶ月後には料理長のオファーを受ける。


「総本店の料理長は、他の店舗の料理長のお手本、教科書でないといけない」と、HQから言われていて、責任もあり、大変なこともあったけど、それ以上に楽しみながら色々学ばせてもらった。


たくさん笑って、たくさん走って、少し泣いた場所。(筆者M:泣いたの少しだけなんや。笑)


何よりも、今の自分の料理のスタイルや方向性に大きな影響を与えてくれた場所で、ある意味自分の原点になった所。


(筆者M:これもことわざで表すと「思い立ったが吉日」かな?行動力というか、フットワークの軽さというか、人並外れている気がするレベル(笑)

あと、何やら料理長のオファー時にも実は紆余曲折あって、そこにもまた物語があるらしい。なので、その辺りは第2話ででも、また詳しく聞かせてもらいたいと思いますので、ドラマをお楽しみに。笑)

Cafe OratnekとCafe Kentaroを始めたきっかけは?


シェフとして働いていくうちに、小さくてもいいから、「いつかは自分の城が欲しいなー」と漠然と思って、働き続けたらこうなっていた。

冗談抜きで、本当に、気が付いたら・・・という感じ。


ちなみに、実はCafe Oratnekが第一号店で、Cafe Kentaroが第二号店。


(筆者M:私はてっきり、Cafe Kentaroが最初だと思っていたからびっくり!笑)


オラトネックをオープンしてから2ヶ月目で、2号店のケンタロウの物件を探し始めて、6ヶ月目で見つかり、9ヶ月目で契約、と1年弱で2号店が完成。という点だけをみると、「儲かってんなー」と思われがちだけど、実は儲かる前に2号店を作った。

1号店のオラトネックが、オープンして早々に毎日行列になっていて、キッチンからも、その様子が見えた。有名店でもない、オープン仕立ての自分のお店のために長い時間並ばせてしまっていることに、日々心苦しく思っていた。

そう思っていたとある日、また長蛇の列ができていて、しかもその日は雨。そんな雨の中、傘をさしながら、同時に赤ちゃんを抱っこしながら並んでいる方を見たときに、「こりゃダメだ。なんとかして、並ぶことなく、入ってもらいたい!」と、打開策を練る決意をした。

ただ、現状のお店内でこれ以上に中にキチキチに席を詰め込みたくない、物件の前にも後ろにも拡張できない、横も無理、そして2階部分は別の人が借りてる物件。オラトネック内では解決ができなそう。

ということで、まだまだ初期投資の回収も全く出来ていなかったけど、近くに物件を借りれば、来てくれた方々を並ばせることなく入れる事が出来る!と思い、近くに2号店をオープンすることに。

ただ、いざオープンしたら、1号店のお客さんが向かうだけでなく、2号店の周りに住むローカルのお客さんもきて、結局行列のままでいまいち解決策にならず・・・🙈


(筆者M:Mは1号店のオラトネックの近所に住んでいて、結構毎日散歩で前を通るけど、平日もなかなかだけど、休日は本当に毎度すごい行列。待てなくて、でもどうしても食べたいという人たちのお持ち帰りのための行列もできていることもしばしば見かける(笑)


ゆっくりできそうなおすすめの時間帯は、土日の早朝か、平日のブランチかな?あと、オラトネックは近くに公園がたくさんあるので(セイントアルフレッドパーク・レッドファーンパーク・名もなき小さな近所の公園)、天気のいい日はお持ち帰りにして、公園でピクニックをするのも楽しいかと✌️)

メニュー開発へのこだわり

 
・季節によってメニューを年に4回変える

・全てのメニューの必ずどこかに日本の要素を入れる

・オラトネックとケンタロウでメニューを変える

※客層が違うため
オラトネック:アジア系の客層が多め
ケンタロウ:コケージャンの客層が多め

・冷凍物を使わない(ドリンク用の氷とアイスクリームを除く)

・化学調味料、保存料、着色料は使わない

・既製品を使わない

・スイーツもソースもドレッシングも作れるものは全て1から手作り

・電子レンジを使わない

※ホスポタリティー業界の方は分かるかもしれないけど、シドニーに星の数ほどあるカフェやレストランの中でも、実は電子レンジがキッチンに無い所はかなり珍しい。

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Cafe Oratnek スタートまでの裏話・秘話も教えて!

店舗探し:

・一戸建て物件はマスト、そして出来れば角の物件

・カフェは 朝・昼 の営業なので、できるだけ自然光が入るように。

・メインストリートは避ける

お客さんにゆっくりしていって欲しいため、忙しいメインストリートは避けたかった。

・周りに緑が多い

のがよくない?(筆者M:はい!笑)

・家っぽい見た目の物件

こだわりのコンセプト・イメージの一つが「お休みの日にお友達を家に招待して、おもてなしをする」のため、敷居の低い、家っぽい物件を探した。


上述のどの条件も妥協したくなかったため、結局探し始めてから、見つけて契約するまで2年ほど掛かったけど、2軒とも大満足の立地に。メインストリートから外れた、一戸建物件の角物件で緑の多い通りをゲット。

(筆者M:やっぱりそういうこだわりあったんですね〜!オラトネックもケンタロウも素敵な立地だなーとはいつも思っていたので、そのこだわりの「なぜ」の部分も今回知れて、納得。素敵。)

ロゴデザイン:

ロゴ制作をデザイナーに聞いてみたところ、ン万ドルと言われたので、お金もなかったし、たまたま机の上にあったコピー用紙に手元に転がってたボールペンで私の一発勝負のフリーハンド!

それをそのまま採用し、今も現役。

描いた時のポイントとしては、

・看板に店名を載せたくない

・カフェを象徴する何かでシンプルなロゴにしたい

カップの絵だと高速道路のサービスエリアの案内看板みたいだし、ナイフの絵だと包丁屋さんみたいだしな・・・

という事で、辿り着いたのは

<1本のフォーク>

(筆者M:まさかのフリーハンド。笑 でもやっぱり日頃から思い描いているイメージとかこだわりが明確だから、いざという時にもスッと出てくるのかもねー。)

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スタートまでの裏話、秘話、物語:

この項目は、ここでは書き切れない程たくさんの物語りがあります!また次の機会に!

(筆者M:ということで、第3話も乞うご期待❤️)


今後も店舗を増やす予定はある?

ヒミツです(笑)

今後の展望


二つあります。

一つは、「恩送り」。

子どもの頃からの3つあった夢が全て叶い(英語・海外・コックさん)、その後も、外国人としてハンデがあるのは分かっていながら、「オーストラリアで独立をしたい!」という新たな夢が出てきて、それも叶ってきた。

全ての夢が叶って来た理由は、何も私が特別な人な訳でもなく、凄い人な訳でもなく、単に何んんにもない私に、周りの多くの人たちがチャンスや機会をいつも与えてくれたから。

初めは、いつかその人達に「恩返し」が出来たらと思っていたけど、その人達は見返りなんかを期待するような人達ではなく、きっと望んでもいないことに気づいく。

そこで、この先は昔の私のような若い人達の為に、これまで私が頂いて来た恩の「恩送り」が出来ればなと、日々考えている。

何にも無い自分なのに、今回の取材を受けた理由も、実は恩送りの一つで。

(筆者M:そうそう、実は今回お願いした時、「こんな自分でいいの?いや、語れることないから」って一旦断られたのです。笑)

でね、いろんな大人が若者に向かって、偉そうに上から言うのを目の当たりにしたり、実際に自分も若い時にそういうのを経験したりして、そんな元々凄い経歴や肩書きの人に、あーだ、こーだ言われても響かないんだよね。「そりゃその経歴だとそうだよね・・・でも私には何にも無いから・・・」って受け手の若者は思っちゃう。

でも、俺の経歴を知ってくれたら、

「なんや!俺らと同じワーホリやん!なんも無いやん!俺にもできるんじゃね?」

となって、勇気を与えられれば、と思っている。

何にも無い・やりたい事も分かんない・夢も見つかんない。それを探しに、ワーホリでオーストラリアにきた子達にとって、身近な事例として、希望を与えられる機会になれば嬉しい。

(筆者M:忙しいところたくさん答えてくれて、しかも続きもやってくれると言ってくれて、感謝感激のところ、なんと「今回こういう機会を与えてくれてありがとう」なんて言ってくれたKentaro氏。泣ける。いつもは冗談ばっかり言ってるのに(笑)

いやしかし、このブログ自体も「すごい人を取り上げる」インタビュー記事ではなく、読者に身近に感じてもらって、オーストラリアでのキャリアを考える際の、実際に参考になる記事を書きたいと思って始めたので、Kentaro氏は凄い人でもあるけど、ちゃんとテーマに沿った本当にいいネタが得られた。ありがたや🙏

独り言長くなったけど、Back to Kentaro’s Dream!)


今後の展望の二つめは、シェフとして。

<和食>には、寿司・刺身・天ぷら以外にも もう1つ、日本独自の<洋食>という素晴らしい物があって、それを海外の人に紹介したい、と思っている。

「日本とオーストラリアとの食文化の架け橋になりたい」というのは昔から思っていた。

実際に、ここ数年で、シドニーの人にはオムライスやカツサンドをある程度広げて紹介する事は出来たと自負しているけど、今後はこの文化がオーストラリア全土に広がって、シドニーの様に誰もが「オムライス」や「カツサンド」の事を知ってくれる様になれば素敵だな、と。

これまで日本の洋食を食べた事の無い人にとっては、私が作るものが初めてになるため、日本の洋食全体の評価を背負う気持ちで責任を持って、一つ一つを丁寧に作っていくことは今後も常に心掛けていきたい。

「日本の洋食?あぁ、知ってるよ、一回食べたことある。あの不味いやつだろ?」と言われないように(笑)

というのも、以前、日本の友達が遊びに来た時に、「ケバブ作ってやろうか?」と提案したところ、「あー😩キライ、きらい。不味くね??」とか言われた事があって。

「いや?んまいよ?」って返したら、「絶対そんな事はない!だってトルコ空港で喰って、すげー不味かったもん。本場でホンモノ食べて不味かったから、アレは不味いに間違いない!!」と譲らない。

ちなみに、それでもどうにかケバブを食べてもらったら、「あれ?美味しい!!!」と覆すことができた(笑)

という訳で、この時は覆す機会はあったけど、多くは一発勝負のワンチャンスなので、毎回毎回一つ一つを丁寧に、日本代表だと言う気持ちで作っている。

(筆者M:実はMの今のパートナーとの初デートはなんと、カフェオラトネック!しかも、オージーの彼から提案してきてくれて、当時の私はその時が初めてカフェオラトネックの来店だった。

彼の両親が田舎からシドニーに来た時も、カフェオラトネックでブランチをして、帰り道のためのおやつとして、カツサンドのお持ち帰りも。

何が言いたいかと言うと、田舎の彼の60代の両親が気に入ったのだから、人種の坩堝のシドニーのような大都市だけでなく、オーストラリア全土でも日本の洋食が「特別」から「普通」になる日は、決して遠くないのでは、ということ。日本の洋食をオーストラリアで広めた第一人者として、Kentaro氏、さらに有名になりそうな予感・・・!)

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筆者M:これまで3カ国で働き(🇯🇵・🇨🇳・🇦🇺)、オーストラリアでは3社目、就労ビザ取得にも苦労し、人生迷子になって犬グルーミングの学校にも通ったことがあるけど、今は理想の会社でウェブ担当。英語就活のコンサルサービスはこちらまで。

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