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超短編小説

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空がなくなって、もう3日になる。この3日間、僕は何か特別なことをしただろうか。朝7時に家を出て、決められた仕事をこなし、決められた会話を交わし、8時に家へ帰る。夕食と翌朝の朝食を作り、朝食の分はあまり大きくない冷蔵庫に静かに保存する。最近は、カフカの短編を好んで読む。寝る前に読む本は、と聞かれれば、僕は間違いなくフランツ・カフカを選ぶだろう。死後しばらくたってからようやく日の目を浴びたこの不幸な(

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日中は晴天がつづいていた。ここ数年、梅雨の前に一度、おもいついたように夏がやってくる、そんな季節がある。梅雨がやってくるとなにか忘れ物を取りに帰るように夏はその姿を消し、そしてちょうど高校野球が各地で盛り上がりを見せるころ、夏はまた姿を現す。ごめん、ちょっと思ったより時間がかかってしまって、でも、もう大丈夫。さぁ、今年もはじめようじゃないか、とでもいいたそうに。


 そんな季節が、僕はわりと好き

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石けん

遠くで運動会の練習をする、小学生だろうか、の声がしている。そういえば最近では6月に運動会をこなしてしまう学校も増えているのを耳にする。季節はずれの台風が去ったあとの晴れで、街はいくらか普段よりも明るく見える。

 あてもなく街をさまようのは、あまり得意ではない。なんだかすごく不安定な気持ちになって、それで予定よりもかなり早く家についてしまうことがよくある。だから正直、石鹸の失踪はそんな僕に外出の動

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蚊取り線香

もちろん、いろんな方法はあった。あのとき、今すぐになんとかすることだってできていただろう。昔だったらそうしていたと思う。なんていうか、そうだな、大人になった、のかもしれない。今までは、イメージをなんとなく想像することしかできなかった。なにしろ目が見えないから、ここはどこなのか、どこにいけばいいのか、そういったものを想像するしかなかったのだ。

 もちろん今でも目は見えていないけれど、昔からは考えら

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三角と円

「冬の大三角の1辺、つまり、シリウスとプロキオンを、ぐるっと円のようにして伸ばすと、ふたご座のポルックスとカストルが見えてくる。冬の空っていうのはさ、でっかい円なんだ。」

いつ、どこで、誰に教えてもらったのかさえ忘れてしまったが、僕は冬になると必ずシリウスとプロキオンを探し、そこから円を描いてふたご座を探す。この作業を終えると、またてくてくと歩き出す。いつもの、仕事からの帰り道だ。

いつも見え

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請求書

月々の返済が滞っています。

 そんなメールがだいたい毎日続く。やれやれ、なんだって、こんなことになったんだろう。まるで世界中の人が僕の生活力を否定しているみたいだ。

 そうだ、始まりは、今年の夏、あの海岸でのことだった。

 「どうしたんだい?なにか、浮かない顔をしているけど」 あてもなく浜辺を歩いていると、男が語りかけた。

 身長は165cmくらいだろう。しかし体重は僕よりはるかに重い。こ

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財布

僕が財布の厚さに気づいたのは、昨日の午後13時42分だった。

なぜそんな正確な時間まで覚えているのかと言うと、レシートに時間が書いてあるからだ。だから本当の意味で、覚えているとはいえない。

僕は-他の人のことはあまり気にしていないので、他の人が本当のところどうなのかはわからないけれど-財布をある期間で取り替える、ということをしない。今使っている財布は、もうかれこれ10年近く使っている。しかしそ

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赤いボールペン

夜になると砂浜にはもう人影が無くて、昼間の親子連れやらカップルやらの騒々しい声がまるで雲がどこかへ流れてしまったかのようにはっきりと無くなっていた。

 いつものように浜辺を往復5回、それにきちんとしたトレーニングを行う。今自分はどこの筋肉をどうやって動かしているのか、そしてそれはどのように僕の力になっていくのかを確かめながら。

 その日は少し小降りの雨が降っていて、走っていると汗と雨で目がうま

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辞書

ピー 電池ガ消耗シテイマス。 

紙の辞書を使うことの少なくなった時代に相変わらず紙の辞書を使うことは、ちょうど、ものを書くのに鉛筆と原稿用紙を使うことに似ている。便利性と効率を重視した結果、この世界は2進数であふれ変えるようになった。つまり、ゼロ、か、イチ。オン、か、オフ、だ。 
人間の思考もそれにあわせて、ごくごくシンプルになってきているような気がする。イエス、か、ノー、か。ある、か、ない、か

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