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タイムマシーンに乗った中年男の挽回劇

「勉強、しっかりとやっておけばよかった……」

「あの時、もっと……」

何をやっても中途半端どころか、真似ごとに少し毛が生えた程度になると飽きてしまう自分の ”ええかっこしい” には、情けなさやら恨みやらが混ぜこぜになって息が詰まりそうになる。

これまで何度も自分より年若い者に対して、どれだけの財産をもってしても買えない価値が、時間であることを散々に説いてきたけど、すべて過去の自分への恨み節というのが本当のところだ。

さすがに、一人で部屋に居ると気が滅入るので、着替えて外へ出てみた。

「あの頃に戻れたら……」

ぼろ雑巾(ぞうきん)のように使い古された言葉に、ため息しか出ない。

見上げた空は「意に介さず」の姿勢で、爽快な青を突き付ける。

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若気の至りで、大して上手くもないギターに抱えられながら歌を唄い、全国各地のライブハウスを仰々しく「ツアー」と称して自費で周り、レコード会社のオーディションを受けては落ちる、そんなことをただ繰り返すことで「夢を追う」姿を売り物にして、自分に酔っていた。

「いつか必ず報われるときが来るはずだ」と、今から思えば明らかに方向を間違えた思い込みに頼った努力を積み上げていたのだ。

バカ丸出しとは、まさに私のことだろう。

ようやく自分の才能の無さに諦めがついたのが、27歳の時。

随分と時間がかかったものだ。

正直に白状すると
「やっと、これで楽になれる」と、腹の奥底ではそう感じていた。


「もう、勘違いに気付きながら走らなくて済むんだ」と、救われた気持ちに安堵のため息を吐いた。


しかし、
ようやくそこから始まった周回遅れの社会人としてのスタートは、自分の無能っぷりをより一層さらけ出す序章にしか過ぎなかった。


残酷なものだ。

基礎学力がごっそりと欠けているのか?と疑わしくなるくらい、周りの連中の理解の早さに圧倒される日々。


自分の対応力の無さに辟易し、これまで描いていた自分像は、勘違いも甚だしく、穴があったら入りたい気持ちだった。


苦々しくてしょっぱい、そんな込み上げてくる感情が、恥なのか悔しさなのか、馬鹿らしさなのか、自分でも理解と整理ができない状態が続いた。


「負けず嫌い」なんて言葉は、目も当てられないくらい虚しく空を切る。

無理もない。

道楽な夢に遊び呆けているうちに、同年代の若者たちは、厳しい大学入試の関門をくぐり抜け、新しい出会いから生まれる人脈を築き、知識を蓄えながら毎日戦い、様々な経験と思い出を重ねた実力に追いつけるはずなどない。

突如として古びたタイムマシーンに乗って過去から訪ねてきたような、いつかどこかで見た間抜けな存在を、異物混入と同じように扱って当然だろう

今から思えば、唯一の救いとなったのは、それでも執念深く、自尊心だけは手放さなかったことだ。

臆病な証拠だ。


周回遅れを取り戻さなければ、自尊心に満ちた自分が音を立てて壊れることが簡単に想像できたので、それがとてつもなく怖かった。

怖れ

そこからというもの、
仕事を終えてからの時間のほぼ全てを、憑りつかれたかのように資格取得のための学びの時間に費やした。


休みに関係なく、朝は遅くても6時には起床し、テキストを読み込む。

昼食は15分で済ませ、会社から少し離れた静かな喫茶店で問題集を解く。

営業時間のうち、移動時間のすべてをテキストを読み込む時間に充てる。

夜は資格の学校へ通い、課題を進めて理解を深める。

そんな状態を6年ほど続けた。
それでも、先を走る同年代の連中に追いつくことは難しかったけど、これまでの自分を打ち消すような努力を続ける中で、明らかな成長を感じられるようにはなっていた。

単純な性格が救いだったのだろう。

自分の可能性を信じることに素直であること、これは間違いなく、強みとなるところだ。


言葉遣いが、
読む本が、
話す会話が、
付き合う人が、
そんな環境が見違えるほどに変わってきた。

何よりも、
地平線上に描く夢が変わりはじめていた。

時は過ぎ。
あれから22年、現在49歳にして立っている場所から見る風景は一変した。

眺め

宅建士、簿記2級、法務関係の資格を得たあと、ウェブ解析士やブランド関連の資格、さらに大学院で経営学修士(MBA)の称号を得、西日本では最初となるビジネス数学インストラクターとして認定されるまでに至った。


仕事は、小規模事業者を対象にした経営支援や事業再生を主なものとしながら、関西を中心に企業研修講師として活躍できるまでに成長を果たした。


コワーキングスペースなどでも、ビジネスパーソンに向けて、経営学に関連するものや、ビジネス数学などの講座を開催している。


業務として役立っていないものは一つもない。

今だから言えることだが、
実は、音楽活動を諦めてから最初に勤務した会社が『ナニワ金融道』そのものの会社だった。

とは言え、何の抵抗も疑いもなかった。
性に合っていたのだろう。

そこからは、3年ほどの間隔で同業他社5社を渡り歩き、それぞれの会社の特徴などを自分なりに研究しながら、経験を重ね、責任ある立場を任されるまでに至ったのち、独立を果たした。


業界の特性もあり、怖い目に合うことも珍しくなく、随分と修羅場も経験させてもらった。

企業も人も、最悪な会社もあった。
ほぼ、犯罪集団だ。


このあたりの話については、また機会があればしたい。

今振り返れば、現在の事業再生を担う仕事において、様々な資格や修士の称号を得たことは確かに自信にはなるが、実は何よりも、泥臭い業界での経験が一番の血肉となったと考えている。

努力

一つ、確かなことがある。

タイムマシーンは実在する。

そのことを説明したい。

取り戻せないものは「時間」であることに違いはない。

自分を恨むようにして後輩に説教を垂れていた「あの頃」は、明らかに考え方が間違っていた。

間違いではなく、真逆なことに気付くことができなかった、が正しい表現だろう。

タイムマシーンは「昔に戻れるならば」のような、センチメンタルに酔うための道具ではなく、真逆に考えた者だけが、実現を果たせる夢の道具なのだ。

例えば、10年先の未来の自分を想像してみてほしい。

そこには、どんな自分が映っているだろうか。
現実的に考えてみてもらいたい。

仮に、情けない顔をして「昔に戻れるならば」と、呟いていたとしよう。
あくまでも仮の話なので、あまり神経質にならないでもらいたい。

私が「真逆」だったと気付いたのは、視点の逆転についてだ。

未来の自分が「昔に戻れるならば」と、情けなくも愛おしい吐いた言葉が、今まさに実現していることにお気付きだろうか。


十年一昔とはよく言うが、10年後の未来から戻ってきた地点が、今この瞬間だということを。

未来から時間をさかのぼり、やり直すことができる状況が「今」なのだ。

今を起点にして過去を後悔したところで、絶対に取り戻せないが、未来を起点にして今を過去にしてしまうと、いくらでも変えられる逆転の発想がタイムマシーンの正体だ。

その瞬間、さらに次の瞬間と、永遠にタイムマシーンに乗って「今」へと何度でも帰ってこれることが理解できるだろう。


未来の自分を助けるために、今をどう生きればもっと面白くなりそうか。


過去を悔いてばかりで、行動を起こさないのでは、あまりにも奴隷的で残念な姿だ。

怖れるものはもう何もない。
今すぐタイムマシーンに乗って、未来の自分を助けよう。
そのために、今がある。

この記事は、2020年4月「天狼院ライティングゼミ」受講時に、メディアグランプリに掲載されたものです。ただし、大幅に加筆修正しています。
原版については「タイムマシーンは実在する便利な道具だ」をご覧ください。


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