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魚釣りは〇〇だ。

皆さんこんにちは。
久しぶりのnoteなので少し緊張しますね。

さて、今回のテーマは「釣学」です。
この記事では僕の趣味である「魚釣り」から学んだ1部をシェアしたい。
同時に読者の皆さんにも、身の回りから学んでいる事を思い出して欲しい。
そしてそれをシェアして欲しい。僕はとても気になる。好奇心が爆発している。

釣りから学んだこと。略して、釣学

皆さんにとって「魚釣り」ってどういうイメージだろうか?暇?修行?娯楽?
正直にどれも当てはまります。(笑)
釣れない時は暇だし、寒い時は修行だし、仕事じゃないから娯楽だし。
もし「魚釣り」を一言で表すのであれば、僕は「人生誘惑のモデル」のように感じている。それを少しでも共感していただければ幸いだ。

小物という誘惑

スクリーンショット 2019-12-16 8.52.58

上の画像を見て欲しい。
ここで前提にしたい事が、この小魚の下に僕たちの狙いである「大物=目的」が潜んでいる。
その前提の上で、この画像を見てどう思うだろうか?

「邪魔者」と考えた人もいれば、「ご褒美」と考えた人もいるだろう。しかし、決して「邪魔者」ではない。なぜなら、この「小魚」たちはとても美味しい事も事実だからだ。笑


人それぞれ受け取り方はあるだろうが、僕はこれを見て
あ、人生における

「誘惑」

その者だと感じた。
この小魚たちを、日々の「誘惑」と捉えると面白いほど共通点がある。

1. 美味しいという事実とどこにでもいるという事実

上でも述べたようにこの小魚達はとても美味しい。そう言った面では日々の生活の誘惑に負けた時の心情と似ている。なぜなら、例えば「ゲーム」という誘惑自体も楽しく、満足度も高いからだ。そしてこの小魚達は「どこでも」居る。これは誘惑がどこにでも存在する事と同値である。

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↑小魚のフライ

2. 小魚だけじゃ物足りない

よくこういう人がいる。
「誘惑に負けて○時間無駄にした(楽しかったけど・・・)。めちゃくちゃ後悔してる。」(これは僕もよくやってしまう・・・。)
大物が釣れない日はこの感情と類似する。
小魚は美味しい。けど・・・物足りない。
そして「悔しい」と「疲れ」が多く残る。

だからこそ「大物」を狙う。

大物を狙うと言っても、あっちに言ってくれとお願いした所で状況は変わらない。大物の所まで餌を持っていく為には「撒き餌」と「潮」を使う。
詳しい説明は避けるが、僕はこの「小魚」と「大物の魚」というファクトから日々意識している事がある。それは、

日々の生活において「誘惑」がある事を認め「避ける工夫」を考える

人生には誘惑が付きものだ。この事を経験的に学び、お腹に落とし込む行為は今後の人生において大きな影響を生むと思っている。

ちなみに↓はこの間の釣りの釣果である。

画像3

とても美味しく、満足の夜ご飯であった。
今回書いた事は釣学のごく一部である。
釣りというものはとても奥深く、毎回何かを教えてくれる。
僕の価値観の数%は「釣り」によって創られていると言っても過言ではない。
僕は「釣り」という趣味から人生における糧を多く学んでいる。

最後に問いたい。
皆さんは何を学んでいるだろうか?

ありがとうございました。

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