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じぃじたちの修学旅行(其の壱)

<まえがき>

 入学から半世紀余経った大学の同窓生で各々の地元を訪ねる旅をしようと決め、第1回目は前年夏に長野小布施、戸隠などを旅した。
前回、事情で3名しか参加出来なかったので、今回は出来るだけ多くの参加を集い、群馬太田出身のOくんの地元を名所、旧跡に絞り回ることとした。
結果、途中参加も含め6名が参加することとなった。
尚、企画は原案を地元を良く知るOくんが立案し、オンライン会合で昨年末までに仕上げた。
1日目の夜の宴席がメインではあるが、太田市、足利市、深谷市と隣接するエリアの名所、旧跡6ヶ所を回り、食事も出来るだけその土地ならではの物を食べようという事になった。

<キャスト>

⭐️Oくん 群馬太田出身 元公務員
性格温厚で一番大人。クラシックギター演奏を得意とする。今回引率者。

⭐️Kくん 長野小布施出身 りんご園経営 無類の日本酒好きで酔うとカラムのを得意とする。通称ケンちゃん。

⭐️Nくん 鹿児島大口出身埼玉在住 電子顕微鏡の会社代表 サッカー審判にも従事し忙しくしている。九州男児で計算高い男。

⭐️Dくん 徳之島出身埼玉在住 元病院職員 マシンガントークを得意とする。嵐を呼ぶ男で平坦に事が運ぶことを好まない。

⭐️Tくん 群馬前橋出身千葉在住 電気工事会社代表 元ビートルズ狂も現在は根っからの職人気質となり、当時の面影は全くない。

⭐️私    東京出身神奈川在住 フリーランス 旅行程表作成者。

※以降、文中敬称略。

<旅行先>

群馬太田市 ①史跡金山城
      ②縁切寺満徳寺&歴史公園
栃木足利市 ③足利学校
      ④鑁阿寺
埼玉深谷市 ⑤渋沢栄一中の家
      ⑥渋沢栄一記念館

<旅程>

1月29日 朝10時30分JR籠原駅集合し、太田在住のOのクルマに同乗し、O、K、N、私の計4人で予定した①、③を回り、昼食後、④を散策。

夜は、ビジネスホテル併設の居酒屋で宴席。
途中参加でクルマで駆け付けたD、Tも合流。

1月30日 朝食後、②を回り、昼食後、⑤、⑥を散策。

<目的>

1、旧交を温めること

2、地域の名所・旧跡を訪ね頭に栄養を与えること

3、その地域特有の食べ物に触れること

4、最後にLINEのグループトークに苦手な2人も参加させること

<旅日記1日目>

舞台も整ったところで、旅を始めよう。
まずは集合場所から1時間弱で行ける金山城にO、K、Nと私の4名で向かう。

①史跡金山城

難攻不落 金山城

 駐車場に着くと、ぽかぽか陽気であることをOが笑いながら呟いた。
『この間まで吹き曝しで寒かったのに、晴れて暖かくて良かったよ。やっぱり、皆さんの普段のおこないが良いからだね。』

眼下には太田市内から平野が広がっていて、とても気持ちの良い眺めだ。我々はクルマなのでわけなく到着出来たが、地元ハイカーは徒歩で登ってくるようだ。

途中、何組かのハイカーとすれ違い、『こんにちわ』とお決まりの挨拶。不思議なもので知らない土地ですれ違いざまのこの挨拶って、凄く清々しい。

私は、歴史にまったく疎く、苦手な分野なので詳細をお伝えするのが憚れるが、新田一族の岩松家純という方が築城されたそうだ。

普通のお城と違って山尾根を利用した山城で、確かにこのような山頂で身構えていれば、敵から攻められても簡単には落ちないのが頷ける。
しかし、当時ここまで資材を良く運んできたものだとつくづく思う。

山頂からの眺めは爽快で、関東一円が見渡せ、西の方には富士山の頭だけが微かに見え、東方向にも目を凝らすと都心のビル群がシルエットのように浮かんで見える。

小一時間、散策し記念撮影も居合わせた女性2人組にお願いし無事スマホに収めたし、この場を去ることとした。

美味しい空気を吸い、1時間ばかし歩いたので昼食を取ることにした。
当初は、Oが薦める地元B級グルメの焼きそばと焼きまんじゅうのお店を予定していたが、話し合いの結果、地域で繁っている蕎麦店に向かうこととなった。

蕎好きが3人集まれば、結局のところこうなる。(笑)😋

少し住宅地を外れた山際にひっそりと佇む良さげな店構え。

これは、期待できそうだ!😄

1日目昼食 蕎麦店『竹林』

駐車場からの店構え
店正面の暖簾

12時を回っていたが、店内は6割くらいの入り。
我々が入店後、続々と入店者が続き10分も経たずに満席に。

色々と逡巡した挙句、竹セットの特盛を4人とも注文。

竹セット

食べ始めると、皆無口になり黙々と蕎麦を味わう。
『美味いねー。』と各々小声を発しつつ。

流石に特盛、2人分だ。食べ終わると暫し動きたくなくなる満足感。
満腹で身体が重くなったところで、これ以上休んでいると眠くなりそうなので次の予定地に向かうこととした。

③史跡足利学校

足利学校

 入場券を求め、お金を払うと窓口の女性から『ご入学おめでとうございます。無事ご入学されました。』
入学証とパンフを手渡される。
あっけにとられつつも、何か嬉しい気分だ。

入学証

 日本でもっとも古い学校として知られ、大正時に国の史跡に指定された。
創建には諸説あるようで、歴史的には室町時代に僧を招いて現代で言う校長に据え学校経営に携わってもらい再興してからと言われている。
1500年代にはあのフランシスコザビエルによって日本の尊大な大学として世界に紹介されたそうだ。

校内の主な建物、方丈(注1)、庫裡(注2)、書院から孔子廟をぐるっと1周する。文化財として保管される多くの古文書にも一通り閲覧する。

方丈
庫裡

1.方丈(ほうじょう)・・・学生の講義や学習、学校行事や接客のための座敷として使用されたところ。
2.庫裡(くり)・・・学校の台所。食事など日常生活が行われたところ。

ひと通り回り、この場を後にしようとすると、誰彼となく『これで卒業だ。』の声。
『いや、退学じゃないの?中退かな?』などと、バカなこと言いながら足利学校を後にする。

④鑁阿寺(バンナジ)

鑁阿寺 本堂

足利学校からほど近くに位置するお寺。
まずは、鑁阿寺の名前の由来からひとくさり。
足利氏2代目足利義兼(ヨシカネ)が建立し、義兼の子義氏(ヨシウジ)が亡父の法名鑁阿寺殿にちなんで鑁阿寺と改めたそうだ。

鑁(バン)という漢字を目にするのも初めてであるが、馬に着ける飾りの事をバンと呼ぶそうである。

楼門

アーチ型の橋を渡り楼門をくぐって境内へ。
本堂をお参りした後、大きな銀杏が目に止まった。
樹齢650年とされる風格だ。
根元近くから二又に別れていて、この大きさ。
町に生えている銀杏並木とは大きな違いで長い間大事にされてきたと思いを馳せる。

大いちょう

これだけ動き回ってもお昼に摂った特盛が利いていて、中々お腹が楽にならない。

ひとしきり境内を回って後、ちょっと時間は早いけどホテルに入る事とした。

時間を同じくして、昼出発のTから羽生SAに着いているとのメールが入り、何処へ向かえば良いかの連絡。
この日の予定は既に終えたので、ホテルに向かって欲しいとお願いする。

Oのクルマで同乗の4人は、ホテルに向かい後乗りのTとDを迎えることとなる。

チェックイン後、10分足らずでDとTが立て続けに到着。

これで宴会の舞台が整った。

店が開く18時集合とし、風呂に入るなり自由時間とした。

<宴会>

残念ながらハゲはいない

一堂が集まるのは4年振りだ。メインイベントの開幕である。

ビール4人、日本酒1人、ノンアルビール1人が揃ったところで乾杯🍻
幕が開けた。

中には半世紀振りの再会もあり、一瞬ぎこちない時間があったが、すぐにマシンガントークのDが打ち破ってくれた。
いや、これはダイナマイトだ。
ダイナマイトトークの誕生だ。

おいおい、ぶち壊さないで、話をさせてくれ~

 昨年末の12月に49年振りの再会を果たしたTに向けられた質問を見事にぶち壊し自論を展開してくれた。呆然としたTの表情が見て取れたので『Tが呆れているよ。』と促すも攻撃は一向に止まらない。兎に角、聞こうが聞くまいがガンガン思いの丈を話しまくるDであった。

会話の流れを読まない自己本意の言動に痺れを切らしたNが警告を発した。

『Dくん、発言は3分までだよ!』
とキツイ口調で詰った。

前もって、忠告してあったにもかかわらず初っ端からこの動き。

その後、少しおとなしくはなったがDは喋り続けた。流石である。簡単な事では挫けない。

ワイワイ話している内に気がつけば22時も回り良い時間だ。
誰彼となくお開きのモードとなり会計はフロントで割勘計算となった。

気が付けば、フロント付近でTの肩に手を回している自分がいた。
そして、Tの飛び出たお腹を触り『凄くない?どのくらいあるの?』と尋ねた。
『1メートルあるよ。』とTの返答。
すかさず『ダメでしょ、身体に悪いよ。』

サービスコーヒーをフロントラウンジで皆で飲んでいたら、Tがサンドイッチを皆に差し出し食べる様、皆に促していた。

さらに、解散し部屋に戻ろとするとクルマから戻りパンの袋を手にしていた。
『まだ食べるの?ダメじゃん。』と呟くも、
『大丈夫だよ、いつもなんで。』の返答。

こんな遅い時間まで食べていたら、流石にウェスト1mになってしまうと思う次第。残念であると同時に身を案じた。

翌朝は、7時30分に朝食を摂り、8時30分出発で目的地に向かう。

<旅日記2日目>


クルマは、3台となってしまったので、1台はホテルに断り置いていくこととし、Oのクルマには前日と同じく、K、N、私と計4人、もう1台のDのクルマにはTが同乗した。

②縁切寺満徳寺、歴史公園

満徳寺

 徳川家の娘千姫が豊臣との縁を断ち切るために入寺したと言われている。
離婚を求めて駆け込んだ妻を救済し、夫との離婚を達成させたのが縁切寺で、当時は、鎌倉東慶寺と満徳寺がこの世に存在する縁切り寺だったそうだ。

現在は、廃寺となり遺跡公園として本堂、門、庭等を復元している。
出発前、Dが『縁切り寺?中には不味い人もいるんじゃない?行かない方が良いと思う人もいるんじゃない?』と相変わらず減らず口を何度も叩いていたが、所謂家庭裁判所ともいうべき存在であったとの事情が飲み込めたのか、あとは静かになった。
ここではダイナマイト不発とあいなった。

新田荘歴史資料館の前に立つ新田義貞の像の前で、全員で記念写真を撮ってもらおうと受付の女性にNが頼み込むと、OKが出て男性の職員がわざわざ出てきてくれ、立像の前でスナップ撮影をしてもらった。

折角なので、資料館に入場し展示物を全て皆でつぶさに見て回った。
歴史に疎く苦手とする私が知ったのは、新田氏が徳川の祖であったということ、新田義貞が鎌倉幕府を倒幕にこの地から彼の地まで遠征したという現在交通が発達した時代であっても大きな時間を費やさねばならぬのに、当時の人は戦さに勝つ為に膨大なエネルギーを持って向かったのだと思い知った次第である。

2日目昼食 そば処『梶屋』

 途中立ち寄った道の駅を出発する際、話し合いの結果、術後消化の悪い物を口にしたくないDの発言を受け、蕎麦が食べられ、ラーメンの美味しい店に行こうとなり地元のOの薦めで「そば処梶屋」に向かった。

ラーメンが美味しいそば処

おそば屋さんでカレーが美味いという話はよく耳にするが、おそば屋さんでラーメンが一番人気というのは初めて聞くパターンだ。

入店し、周りを見るとほとんどの人がラーメンを食べている。
なるほど、これはらーめんだ。
ラーメンしかない。
メニューにはしなそばと書かれている。
しなそば4つ、Oだけは大盛、そしてDは盛り蕎麦を頼んだ。

昔風のさっぱり系の煮干しだけで出汁をとったスープが呑み疲れの胃袋にちょうど合ったようで簡単にするっと食べ終えた。

こうして最後の地に向かう。

⑤渋沢栄一「中の家(ナカンチ)」

旧渋沢邸 中の家 主屋

いよいよ、ラスト。フィナーレでござる。
大河ドラマ「青天を衝け」の主人公渋沢栄一さんの生家の場所だ。

まずは全景をバックに女性の従業員さんに撮影をお願いした。
心得たもので、建物の全景が入り全員が収まるベストな位置を示してくれ、簡単に撮影が終わった。
ネームプレートに渋沢の文字。
『もしかしてお身内の方なんですか?』と尋ねたところ、にこっと笑い
『嫁に来たんです。』の答え。
とはいえ、親族には間違いない。
何か徳した気分となった。

渋沢栄一さんの生家ではあるが、一度消失して妹夫婦が再建したものであること、そして数年前に耐震補強を施された上でリニューアルしたことを今回知った。

何より驚いたのは、渋沢栄一さんそっくりのアンドロイドだ。
遠目に見える存在感は、人間そのもので近くで見ても皮膚や手の動き、顔の表情が実にリアルで、如何にしてここまで精巧に造られたのか?と科学の進歩というか人間の英知を思い知らされた。

⑥渋沢栄一記念館

立派な建物 市立渋沢栄一記念館

続いて訪れた記念館では、またもご本人に良く似たアンドロイドを使って講義が行われた。
中の家のアンドロイドは渋沢さんが80歳代のもの、記念館のは70歳代のものとの事である。
それにしても良くできている。
講義中、ウトウトっと来たが、その度にアンドロイドの渋沢先生と目が合うと、見透かされているようで頑張って目を見開いていた。

講義後 撮影したアンドロイド

 一通り見て回ったところで、3手に分かれ解散することとなった。
同じ太田に同郷鹿児島の中学時代の友人が迎えに来たN、私とKはOのクルマで深谷駅、熊谷駅まで送ってもらい、TとDはクルマを預けてきたホテルに戻る。

こうして、中身の濃い『修学旅行』は、駐車場でお開きとなった。

<おしまいに>

(目的)
1、旧交を温めること
2、地域の名所・旧跡を訪ね頭に栄養を与えること
3、その地域特有の食べ物に触れること
4、最後にLINEのグループトークに苦手な2人も参加させること

今回、良かったことは目的の1番と2番をまずは達成できたことだ。
但し、反省点としては、3番が未消化で、4番がLINEが苦手な2人(DとT)を引き入れることであったが、2人とも、登録だけは強制的に行ったが、返信を貰うまでには至らなかった点である。
これも訓練なので、次回予定の千葉房総を巡る旅までには日々頑張って習得してもらおうと思う。



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