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夢の記録「深夜の山の祭と閻魔大王」(2020年 初夢)

新居に引っ越したばかりの私が新しい家に帰ろうとうろうろと近辺を歩いている道すがら、とある角を曲がると、目の前に、見たことがない山があった。

見ると、祭りがこれから始まるのだろうか、山道の入口にはいくつもの松明が焚かれ、神輿が用意されている。しかし、既に終電も終わるような深夜である。「こんな夜遅くに何のお祭りなのか?」といぶかしく思いながらも、私は不思議な深夜の祭りに出くわした偶然を面白く思い、興味深く見守っていた。

そうしているとあっという間に、どこからともなくワラワラと湧き出した無数の民衆が山の細い道を埋め尽くすように列を成し、松明を掲げて奇声歓声を上げながら山を練り歩き始めたではないか。列を成す人々に目を凝らすと、貧しい民衆たちに混ざって無造作に赤い襦袢だけを付けたような女達もおり、私になんとなく、アメノウズメや阿国歌舞伎、ひいては河原乞食といった日本の演劇の始まりを想い起こさせた。私はその祭りを偶然にも目撃していることに感激して畏敬の念をもって山に向かって手を合わせた。

どれだけその祭りに惹き込まれていたのかわからない。気づくと夜がすっかり明けており、朝の光を浴びながら、私は山と真逆の「現実」の方向に向き直ると朝早い舗装された道を歩き始める。その後ろ姿に向かって、妄想と噂だけで生きているような見知らぬおばさん2人が、「かわいそうに」と、何万回も同じ話を吹聴すれば事実に仕立て上げられるとでも思い込んでいるかのように事実と異なる嘘ストーリーを負け惜しみのように言ってみせているのを感じ取るが、私は「そうしているしかない人達こそが最もかわいそうだ」と心で思いながら早朝の澄んだ空を仰いだ。

すると、空いっぱいに映し出された神のような存在がまっすぐに大きな瞳を見開いて私を見ているのと目が合った。その存在の周囲には行灯が焚かれており、侍従もいるように見えたが、私は、それが閻魔大王のように思える。しかし、その瞳は、嘘で塗り固められた人間界の真実を自身の目で確かめて何かに気づかれたようなまっすぐに澄んで優しく穏やかなものであった。

そこで、私は安心して、空に向かって手を合わせて感謝を述べると、そのまま清々しい気持ちで歩き始めた。

→ここで目が覚めました。変な初夢(笑)。解釈は長くなってしまったので改めますが、閻魔(地獄の主)が出てきたといえば恐怖を感じる方もいらっしゃるかもしれませんが、私的には逆で、この夢の中にはどこにも負の感覚はなく、正しく閻魔大王に何が嘘かを把握されたことにより、助かった、または、これまで押し付けられてきた役割がほどかれ、様々な世界との本来の距離感を取り戻せる吉夢と感じました。

(Facebookにて2020年1月2日に投稿した内容の転載です;写真はネットからお借りしました。夢とイメージが近かったものです)


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