嫌な人のことを考えない
「この人のこういうところが嫌だ」
と公言してはばからなかった方のお仕事ぶりが、この方が非難していた人に近づいていてなんだかゾッとしました。
上司や同僚など、日常で顔を合わせる人はどうしたって一緒にいる時間が長くなります。相性が合えば何の問題もないのですが、相性が悪いとか、どちらかが嫌っているとか、あるいは双方が嫌っているとこの時間が苦痛になってしまいます。
「嫌」という自分の感情に対してなぜ嫌なのかと分析するには、その相手を観察しなくてはなりません。観察して、こういうところが嫌いだ、ああいうところが嫌いだ、と一つずつ言語化することで自分の中の「嫌い」を整理していくわけですね。
でもこれって相手の「嫌なところ」を拡大して観察しているわけで、つまりはかなりの時間、「嫌な相手」のことを考えているのですよね。下手したら寝ても覚めても嫌な相手のことを考えてしまう。
そうすると、いつの間にやら「嫌な相手」に自分の行動が引っ張られていくのです。
自動車教習所に通っているときのこと。前方に歩行者がいると気になってつい見てしまうのですが、教官から「あんまりそこばかり見るとそっちに車が寄っていくよ」と注意されました。
スキー初心者の頃もなかなか自分の思うように滑れなくて、あそこに人がいると思うとなぜか体がそっちにいって結局ぶつかってしまうという苦い経験を何度もしました。
つまり「じっと見ている」と「自分がそっちに行ってしまう」。
なので、「上司のこういうところが嫌だ」とあんなに言っていたはずなのに、年を重ねるごとにその元上司の行動パターンにそっくりになっていく人は今までも何人か見ていたのですけどね。
最近、また見かけてしまって、あああ、見すぎたんだな、と思ってしまったわけ。
ということは、「目標になる人」のことをせっせと考えたらいいんでしょうね。でも人間って、嫌な人の方を考えちゃうものなのかもなあ。