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小学校英語必修化 初めての教科書が来た

 2020年春、日本各地の多くの学校が休校中とあって話題になっていませんが、今年度は小学校で英語が必修となった初年度にあたります。現在小学5年生のわが家の娘は、前年度まで「外国語活動」の中で英語に触れてきましたが、教科として小学校で英語を学ぶ初めての学年となりました。
 5月中旬現在、札幌市内の学校は休校中ですが、4月には始業式から1週間だけ学校があり、新年度の教科書類を受け取ることもできました。配布された英語の教科書について、感じたことを報告します。

 筆者の英語との関わりは以下の通りです。

 ・小学校後半と大学院時代の合計約7年間、米国で生活
 ・大学教員としての英語教育歴18年
 ・小学生対象の英語教育は経験なし

 また、小学校への英語教育導入に対しては、どちらかといえば批判的な意見を持ってきました。理由は、英語の導入により他の重要な科目や学習内容の履修時間が削られる懸念があること、教員のトレーニング態勢や現場へのリソース投入が十分ではないと想像されることなどでした。
 こうしたバックグラウンドを持った目で新しい英語教科書を見たのですが、これから新しい世界が開けるという高揚感が湧いて来たのは、自分でも意外なほどでした。

インターネットとの連携と音声教材
 さて、配布された教材は二点でした(写真)。教科書とPicture Dictionary(絵入り辞書)です。以下では教科書についてのみ述べます。
 教科書はNew Horizon(東京書籍)シリーズです。懐かしい!という方も多いのではないでしょうか。わたし自身が中学で使ったのはNew Prince(開隆堂)でした。当時は米国・シアトル近郊から帰国したばかりで、掲載されていたレーニア山とスペースニードルの写真に涙したものです。その頃の教科書と今の教科書の違いは、大判化していることと全面的にカラー化されていることがまず目を引きますが、最も大きな変化はオンライン教材との連携でしょう。
 各章(Unit)の随所にQRコードがついており、スマートフォンやタブレットなどから音声教材を利用することができます。かつての英語の授業では先生が教室で再生するカセットテープが使われていましたが、インターネットにつなげられるデバイスがあれば、どこでも音声教材を使ってリスニングや発音の練習ができるということです。
 音声教材には、これまでに蓄積された外国語教育の知見が反映され、歌やチャンツ(chants)が多く取り入れられています。娘は英語学習には「興味ナイ!」と言い切っていますが、音声教材だけは好きで取り組んでいます。(学校が始まって、クラスの皆と歌ったりできればより効果的とは思いますが……。)

多文化的視点の提示、日本で英語を学ぶことの意義
 次に、編集方針として見て取れる特徴を述べます。前の世代が使った教科書と同様に、日本人(の名前)の子どもが同世代の外国人と交流するという設定が使われています。しかし、昔の主流が日本人×英米人だったのに対し、この教科書にはシンガポール出身の子ども、ブラジル出身の子ども、アメリカ出身の先生が登場します。また、英語圏ではない国々の写真も掲載することで、英語の世界と日本語の世界という二項対立を避け、英語は広大な外国語の世界の一部で全部ではないことを示そうとしているように見えます。

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 個人的に面白いと思ったのは、日本で暮らす外国出身者の紹介が各Unitにあることです。インタビューを聞き取ってわかったことを書く課題ですが、スクリプトは教科書にありません。QRコード経由で音声を聞かなければ内容がわからない仕様になっています。しかし、写真を見るだけでも面白い話が聞けそうな期待がふくらみます。
 大学生用を含め、英語の教科書に従来からよくある設定は、「海外旅行先の日本人」「留学先の日本人」「日本に旅行に来た外国人の案内」ですが、こうした設定が現実になる児童・生徒・学生の割合は多くないと思われます。日本で仕事を持って住んでいる外国出身者とのコミュニケーションに英語を使う想定は、よりたくさんの学習者に、生活の中で英語を使う機会の現実的な例を示す意義があるでしょう。

日本のことを英語で紹介する
 この教科書は3つのパートに分かれており、以下のような章立てになっています。(各パートは Open the Door 1~3 という題名です。)

パート1: Unit 1~3: 自分のことを紹介する英語を学ぶ
パート2: Unit 4~6: 地域のことを紹介する英語を学ぶ
パート3: Unit 7~8: 日本のことを紹介する英語を学ぶ

 ここでは、最後の「日本のことを紹介する」パートについて触れます。
 外国から来た人に英語で日本の事物について説明するのは、それ専用の表現集が出版されているくらいですから、一定の需要があるスキルだと思われます。この教科書で紹介される日本の事物は、Unit 7で「古くからの遊び」(折り紙など)、「年中行事」、「四季」、「伝統文化」、「和食」、「ポップカルチャー」で、これらは古くからの国際交流の枠組みを使いつつ、昨今の「クール・ジャパン」キャンペーンや海外における日本のマンガ・アニメ人気などを踏まえた内容だといえるでしょう。Unit 8はWho is your hero? (あこがれの人はだれ?)というタイトルで、身近にいる尊敬できる人や海外で活躍する日本出身者、さらにはフィクション中のヒーローまでを対象に、その人(「人」でないものも掲載されていますが……)があこがれの存在である理由を尋ねる/説明する仕方を学ぶ内容です。
 このパートのテーマは、実は異文化間のコミュニケーションにおける重要な課題につながるものです。外国語を学ぶ人が遅かれ早かれ気づくことは、ある言語を別の言語に逐語的に置き換えることは、通常できないということです。(きわめて近い関係にある言語同士ならば可能な場合もあるでしょう。)これは、たとえば日本語と英語では、現実の切り取り方・概念の作り方そのものが異なるためです。今はこの問題に深入りすることはしませんが、日本独自のものを日本になじみのない人にわかるように言葉で説明するのは、易しいことではありません。ヒーロー/憧れの人について言えば、特定の人の活動が称賛を集めるかどうかは、その社会の価値観に依存します。「そのどこがすごいの?」と問い返された時、互いの文化の違いを踏まえて説明できるまでの言語力を身に着けるには、相当な時間と量の学びが必要となるでしょう。
 そうした一筋縄ではいかないコミュニケーションの入口に立つという点で、このテーマは有意義なものといえます。

おわりに
 言語教育は人間社会の権力関係と深く関わる側面を持つため、単純に良し悪しを判断できるものではありません。とはいえ、小学校における英語の初めての必修化という、日本の教育の大きな節目に際し、これだけの内容を練り上げた英語関係者・教育者(裏表紙に多数のお名前が掲載されています)の努力には敬意を表せずにはいられません。多くの議論の末に生み出された教科書であることが、一つ一つの表現やイラスト、写真の向こうに読み取れるからです。
 将来の仕事や生活のために英語力が必要と主張する圧力の一方で、「英語帝国主義」、非英語圏が英語圏への従属を強めることへの懸念もあります。日本の子どもたちがこれまでよりも早く、また高度に英語を学ぶことは、英語の存在のあり方そのものに影響を与えるでしょうか。例えば、英語は英語圏の専売特許ではなく、より多様な使い手によって育てられる言語だという認識につながるでしょうか? 英語を使う力が、ひるがえって日本語の表現力に強靭さを与えるようになるでしょうか?
 英語が必要ならば徹底して学ぶべきである一方、日本に住むすべての人が英語の使い手になる必要はない、という自分の基本的立場は変わりませんが、日本の初等・中等教育における英語教育の方向は、今後も注意して見守っていきたいと思います。

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