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歌舞伎ファンの”業”

歌舞伎鑑賞を再開して半年。学生時分に鑑賞していたとき以上に、世襲の世界 ということが、よくよくわかってきました。

ご活躍されている坂東玉三郎さんも養子、片岡愛之助さんも養子。
実の子どもではなくても、”縁”や”より深い関係性”を求める世界なのか(って、令和の世では具体的に何かもよくわからないのですが、江戸の世の理=伝統・風習・世襲や墓守りを継ぐみたいな?)と推察しています。

歌舞伎事態が江戸の常識で演じられるものなので、それを短いお稽古期間で体現するために必要なベーススキルを、世襲・養子制度を通して日常生活から体験しておく、ということなのかなと、善意解釈です。

その延長として、歌舞伎役者さんの常識は平成令和の非常識みたいなこと・・・については、舞台の非現実と令和の現実は、同じモラル・法ではないので、そこを混同するのはNG!!と、特に今日のモラル・法を犯した方に対しては、大小関わらず思います。
”歌舞伎役者だから許される”、”〇〇だから減刑”という法律は、日本国にないでしょう。もしあれば、それを変える動きが出るのが現行法かと。

ちょっと話がそれましたが、半年歌舞伎を観ていて感じた、
児童労働・職業選択の自由
についての雑記です。

子役さんの代わりはいるのか

例えば、ヤマトタケルに出ていらっしゃる子役さんは、お家の直系でない場合、松竹さんのパンフレットに名前が出ません。重要なお役だとしても。
もしかしたら、当日も代わりがいるのかもしれません。
(幼児期から学童期、体調を崩すことも多いので、代わりがいてほしい!劇団四季などの長期公演は複数配役してますよね?!学校の出席もあるし、代わりを考慮してほしいな!!、と思って書いています)

問題は、パンフレットにお名前が出ている子役(幼少期~児童期)、多くは直系のお家(〇代XXを継ぐ立場)の方、です。

パンフレットに名前が出ている以上、公演の目玉として興行主(歌舞伎の場合、権利保持者の松竹株式会社)から、一定以上の報酬を得ていると考えられます。代わりに、出演できなかった場合のペナルティも契約締結されているかと。

直系のお家の子役さんには、自由意志・選択の自由(やりたい/やりたくない)はあるのでしょうか。
家族・一門が”歌舞伎”という家業に従事されているのであれば、本人の意思は二の次、親・一門・興行主によって、子役さんの機会またペナルティが自ずと設定されているのかと思われます。
そもそも「やりたくない」と思わないくらい、周囲に足元を固められている可能性もあります。それはこの後、職業選択の自由がある、といえるのでしょうか?

1月のうち約20日、興行主・親の采配によっては、それが労働基準法で定められている時間以外(午前5時~午後8時まで)の中で、年に数回繰り替えされるならば。
同世代との交流や、それによる幼少期・児童期の発達が制限されている、その子役さんの生涯経験の大事な機会を奪って、プレッシャーを受けてお稽古をした舞台を観て、「かわいい」「がんばってる」、そして数年後に「あの頃は可愛かった」、「〇〇サンは私が育てた」と言うのは、誰の幸福なのかと。

令和の世以降も歌舞伎という様式美を継続させたいならば、子役さんの待遇・様々な経験機会について、観る側も意識しなければいけないと思います。

幼少期のドキュメンタリー

思春期になって、周りが自分の幼少期のこと、それもメディア(他者)によく切り取られた断片を知っている、というのは、どれだけストレスだろうと思います。

こちらも歌舞伎を存続させるためにですが、世代ドキュメンタリーは本当に必要なのか、撮られている本人は『トゥルーマン・ショー』のリアリティに嫌悪を覚えないのか。長期的に考えてドキュメンタリーを逐次作成・配信した方がよいのではと思います。

(もし私が幼少~思春期のドキュメンタリーを撮られていたら、恥ずかしすぎて「消せ!全部記憶から消せ!!死ぬ!!!」と20歳頃に暴れ、30歳頃にはあきらめて笑い話にするかな。
でも、一度泣いた・傷ついた記憶は消せないので、親やドキュメンタリー制作の方への恨みは残るんじゃないかしら。。 
親戚などからの「昔こんなことをしたよね」話でさえ、特に思春期は恥ずかしくて気持ち悪くて、そういうことをさせた親や周りを許せなかったので、性格によってはトラウマレベルなのではと想像します)

幼少期の本人インタビューや映像がない方々についても、
小さな役者さんたちは、お衣装・お化粧で出てきて台詞を言ってくださっただけで(言えなくてもOK。それをフォローするベテランもまた貴重でありがたし)拍手喝采なのだから、それ以上求めませんよ。
ってにわかファンは思います。

子役さんはいつか大人になる

歌舞伎に限らず、舞台は虚構ー
ファンタジーとしての世界観の楽しみや、現実世界への問題提起、推している役者さんの演じ分け・美しさ
を観客は観にきているので、現実世界の周囲の(役者さんの)ゴシップは少ないに越したことはないと思います。

子役さんが大人になったときに、役者の道に進む/進まないかかわらず、「あれはいい経験だった」と言ってもらえるような環境づくりも、大人の仕事ですよね。

子役さんは必要最低限で

物語上、子役さんが必要なストーリーもあるのはわかります。が、上の理由から不要なものがあるなら無理に出番をつくらなくてもよいのではと思います。

ご家族が歌舞伎のお仕事に従事されていて、全員が歌舞伎座に揃っているならば、家に子どもだけ残していく方が不安だしコストもかかるし・・等々ご事情があるかもしれません。
が人間の心身の発達を長期的に考えると、小学生低学年は20時にはもう寝る準備に入るのがよいのではないかと思います。

歌舞伎公演への出演も夏休み・冬休みくらいだと、観ている方も「あ、夏休みね。〇〇さん、半年でとっても身長が伸びたのね!」と季節感や成長を感じるのでは?(笑)

歌舞伎をずっと観たいんです

歌舞伎役者さんのご家族(雇用される側、かつご自分もこのフローで生きてきた)からは疑義・意見・要望出しにくいお話だと思うので、大企業である松竹さんに、子役さんの人生設計・家族との過ごし方・休養/給与体系などご配慮いただけると幸いです。
歌舞伎を永く続けるためにも。

この記事は、3月歌舞伎の『喜撰』、これに本当に子役さんが必要だったのかと思い、書きました。

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