小説 職場物語 偉大なるアドバイス


「職場ではいつも笑顔で、頼まれた事は何でも
『はい』って快く引き受ける事が一番大切だよ」
これは山川春香の父親が彼女が新入社員に
なる時に送ったアドバイスだ。
春香はそのアドバイス通りに頑張った。
「山川さん この見積作っといて」
「はい。わかりました」
「山川さん シュレッダーが一杯なんだけど」
「はい。ゴミ袋入れ替えます」
「山川さんプ リンター用紙切れ。
 プリンターの近くにいる人が
 チェックするんだよ」
「はい。わかりました」
「山川さん 今週中に成約できる?」
「はい。出来ます」
「山川さん 出来ないならそう言って」
春香より遅く入社した黒沢絵里が、
春香より早く出世した時、
「あんなに仏頂面で、頼み事を断りまくっているのになんで出世するの?」とショックを受けた。
黒沢絵里はあまり笑わなかった。
「それ私の仕事じゃないです」
「自分の事は自分でやって下さい」
「出来ません」を常に言っていた。
上司だろうが容赦なかった。
どうして?
いつも笑顔でなんでも引き受ける私は
なんで評価されないの?
失意の中、春香はその会社を退職した。
あれから15年が過ぎた。

次の会社で春香は黒沢絵里になろうと決めた。
いつも笑顔でなんでも引き受ける事は止めた。
出来ない事は引き受けなかった。
春香は気づいた。
黒沢絵里はかなりの努力をしていたのだ。
出来ません、と言う為に絵里は努力したのだ。
出来ません、と言う為に絵里はマニュアルを読み込み、試行錯誤をして出来ない事を証明した。
だから上司にも自信を持って言えたのだ。
「それは私の仕事ではありません」
「出来ません」と。
いつも笑顔で引き受けるけれど、中途半端な
結果しか出さなかった春香とは大違いだった。
春香は気づいた。
父のアドバイスは願望だったのだ。
いつも笑顔で面倒な事を引き受けてくれる社員が
いればいいなあ、との思いが口に出ただけだった。
「山川さん それ自分でやって下さいよ」と
会社で女性や若手社員からガンガン
言われていたのだろう。
「お父さんも大変だったんだね。
でも、私もつらかった」
春香は呟いた。
15年の間に定年退職をし、
悠々自適な生活を送る父親は、
「あの工務店の人は笑顔はいいんだけど、
仕事は全く駄目だね。愛想は悪くても仕事ができる所に頼むよ。仕事に笑顔はいらないから」
と母親にこぼしていた。
(終わり)


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