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今年やれない100のこと

ねぇ、100はさすがに多いってば。  




「今年やりたいこと100」。
いや、100じゃなくたって10でも50でもなんでもいい。
一年の始めに決まった数の目標をリストにするやつを、私はこれまで一切してこなかった。

しかし去年、初めて作ったのだ。
いや、作ったというよりは、作ろうとしただけ。


というのも、去年の今くらいの時期に、他大学の学生と交流する機会があった。
そこで、とある学生が「今年やりたいこと100」を作ったという話をしてくれた。
その人の話が上手かったのか、はたまた私の気まぐれなのか、その話を聞いてどういうわけか自分も作ろっかなって思い立った。
柄にもなく、衝動的に。

それで、2023もとうに年始を過ぎた頃に「今年やりたいこと100」を作ろうとリストアップを始めた。

すると、驚くほどリストが埋まらなかった。
やっぱり、100もやりたいことなんてないのだ。


間違いなく、単純にリストを埋めるのが下手ということもある。
タスクを細分化するとか、そういうこと。
小さな目標を立てるのが苦手なのは既に認めている。

だとしてもやっぱり、そんなにやりたいことがないっぽい。
自分には、1年の目標100個は重すぎる。
そんなエネルギーない。

だって、1年に100個やるとしたら、3日か4日に1つ達成しなきゃいけない。
それを100回、1年間続けなくちゃいけない。
一生持久走してるみたいで気が滅入る。

なのでリストの続きを作るのをやめた。
「やりたいこと100」を全然消化できなかったとかですらなく、スタートを切る前に挫折した。
そういう意気地なし。



そういえば、冬の体育といえば持久走が定番だったな。

単純に苦手だった。すごい嫌だった。

ゴールまでの2割か3割かしか走ってないのに、「あ、無理かも」「まだまだ続けないとだめじゃん」っていう重たい感覚が脳内に蔓延る感覚。
「もう限界っぽいんだけど、ゴールまっだまだ先だわあ」ってなるやつ。

ランナーズハイなんてほぼない。
気のせいかな? くらいの微々たる仄かな香りしかしない。

まあ、一度歩いたらもう走れないので大抵最後まで走ることになるんだけど。
でも何回やっても「ゴールまだまだ先だなあ」って途方もなくなる感覚が序盤の時点でやってくる。
正直、身体の疲れよりもその思考の方が不快だったまである。

100個の目標を1年で成そうと思えば、その「まだまだ続けないとだめじゃん」が、1年間。

うん、やってらんないわ。


っていうことで、「今年やりたいこと100」のスタート前、リスト作りの時点で断念した思い出。

当然今年は、作っちゃいない。
別に100じゃなくて10くらいだったらいいかもしれないんだけど、それもあんまり作る気しないなあ。
そんなまま、今年ももう2月になる。



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