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話が長いが春は近づいている


今年はユニクロのダウンが活躍している。
例年の今頃なら、長めのコートを羽織って首元にはカシミア、手袋は片っぽを失くしている頃だった。

ユニクロのダウンの性能が上がっているのか、
今年の冬が暖かいのか、
はたまた生活や体調に変化があったのか。

確かなのは今身につけるダウンがあたたかくて軽いということ。
立春なので、きっとコートは押し入れのままだろう。




今日はVTSの形式で絵を見てみる。
1つの引っ掛かりや疑問を、3つの問いと対話によって
考えを広げたり掘り下げたりする対話型の鑑賞形式らしい。

VTSでの鑑賞は、知識よりも、能動的に絵や周りの人・自分と向き合おうとすることが大事。

敢えてでもなんでもなく「知識」が無いので、
名画らしい名画を見ればそのままVTSの本にあるような、
初等教育の子どもたちと同じような流れが出来るはず。

鑑賞って題材が大事なんだろうけど、ネットを漁るうちに
「絵といえばりんご」というかなりシンプルな答えに行きついた。

本題

最初に言っておくと、あてもなく散歩し続けるような内容です。
薄目ですーっとスクロールするのをお勧めします。

https://www.metmuseum.org/art/collection/search/435883


3つの問いかけ

①この作品の中で、どんな出来事が起きていますか?

「しまった、この静物画らしい静物画は、おそらく絵を描こうと思って作者が配置しただけのはず」と思ったけれど考える。

  • 画面ぴったりくらいの大きさの机が左側に寄っていて、右側の側面だけ少し見える
    →作品を置く台としての机じゃなくて、そこに机がある感じがする

  • 後に壁の模様や扉がある
    →布とか何もない空間でもよかったのにわざわざ描くってことは、生活空間とか、この場所っていうのが強調されてるようにも見える

  • 全体に斜めだし、切れてたり入りすぎてたりして、これが写真なら何が撮りたかったのか分かんないような画面
    →王道の、絵らしい絵が描きたくなかったのかな

  • お皿に乗ったりんごと、そうじゃないりんごがある
    →3つ思い浮かぶ
     ・高さに差を付けて画面にリズムを出したかったのかしら
     ・扱いが違っても、どちらも同じりんごって言いたかったりして
     ・どちらも同じりんごなのに、扱いに差があるって言いたかったとか

  • 赤い果物と、そうじゃない果物が分かれて置いてある
    →緑の果物は見切れてるし、赤い果物が主役って感じがする

ここから思う出来事(というかテーマ)は、
「作品と日常ってそんなに切り離されたものだろうか?」

②作品のどこからそう思いますか?

①に逐一書いちゃったから書くことがない。
しまった。

③もっと発見はありますか?

  • りんごがむっちりしていて触りたい
    →やっぱり主役は赤いりんごだと思う

  • 後ろにある扉だと思ってたものは棚かもしれない
    →扉だったら人の気配を感じてたけど、カラの棚だったらなんとなく虚しく感じる

  • セザンヌの絵は色んな角度からの視点を1枚の画面に一緒に入れて、それでも1枚として完成してるからすごいって聞いたことがある。
    今回細かく見てみて、1部ずつ見るときの視界には行き違いが無いように見えた。
    全体で見たときにもあんまりおかしく感じないのは、そこに面があるというより色に見える机と、〇〇色のゾーンって感じに、使われている色がまとまってることで何となく平面的に見えてるからかなぁと思った。

絵の内容

絵があったページにはこう書いてある(Google翻訳)

セザンヌはかつて「リンゴでパリを驚かせたい」と宣言しましたが、一見シンプルな静物画であっても、人々を驚かせ、喜ばせることに成功しました。エクス近くの家族の敷地の近くで栽培されているプロヴァンスのリンゴとブール・ディエルの梨に目を向けると、彼は伝統的な一点透視図法を廃止し、果物、皿、テーブルをさまざまな視点(真上、上、横)から調べました。

https://www.metmuseum.org/art/collection/search/435883

やってみて思うこと

1枚をじっくり見て色々考えてみたからには答え合わせがしたくなる。

問いかけが3つに分かれていたのは、複数人で話しながら進めるためかもしれない。未知の世界に挑むときに仲間がいるのがどれだけ大事かを感じた。

1人で書くなら①と②をまとめて、「だからこう思う」で一度区切ってから③に進む感じかな。

今回の形式について、書いてみた感想としては楽しいし色々発見があった。
読み返した時に面白そうかって考えると、うーん。

VTSの案内人(ファシリテーター)が、参加者の発言を言い換えたり発言同士をリンクさせたりしていくことも醍醐味っぽい。どうにかして見て考えたところを短く見やすくしつつ、案内人を登場させられないものか。うーん。

気長にやるしかないなぁ




まいごになった おまけ

絵の中に何があるのかを細かく考えながら見ると「絵だ」「りんごだ」「好き(嫌い)だ」っていう状態から一歩踏み込めることが分かった。

愛着を持ったところで答え合わせのような気持ちで解説を見たら、
私が考えたようなことでは無かったけど、全くないとも言い切れない。

技法のためだけに描いてこんなに温かな印象の絵になるのかなぁ。

気になってとりあえずWikipediaを見る。
温かさの正体が知りたい。

ざっと見た印象だけど、周りの人からの評価みたいに本人の言葉以外のものが多い気がする。

wikiの中では数少ない自分で芸術論を語ってるところを見ると、物語や出来事を描いてるわけじゃなさそうな雰囲気がある。
温かな印象に感じたものは思考の過程にある迷いとかの手触りに見えてくる。

温かさ=人の心=文学=物語(出来事) だと思っていたことに気付く。
そして、迷いや時間の経過、過程が温かさとして認識できる可能性がある。

有機的なものに心が通ってるとは限らないけど、見る人はそこに心を感じるというか。


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