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神社紹介③ ~玉置神社~

玉置たまき神社 熊野三山奥宮
奈良県吉野郡天川村坪内107

主祭神

本社 国常立尊 伊弉諾尊 伊弉冊尊 天照大御神 神日本磐余彦尊
摂社・三柱神社 倉稲魂神(うがのみたまのかみ)天御柱神 国御柱神
末社・若宮社 八幡大神 春日大神 住吉大神(すみよしのおおかみ)
末社・神武社 速玉男神 迦具土神 高倉下神(たかくらじのかみ)
末社・玉石社 大巳貴命


大峰山脈の南端に位置する標高1,076mの玉置山の山頂近くに鎮座している神社です

神武天皇が東征の折り玉置山に立ち寄ったと伝承があり、
この玉置山が熊野三山の奥の院とも称されています。


鳥居近くの駐車場から見える山々の景色


本殿




神社の紹介にも、神武天皇御東征の伝承や、熊野三山の奥の院であることについて書かれておりました。


玉石社。
大巳貴命がお祀りされています
社の周りの石が全て丸石で統一されていました。




神武天皇玉置山より東征


神武天皇が九州から大和へ「東征」した際に、
奈良県吉野郡に立ち寄ったとの伝承が下北山村の案内サイトにあります。
http://www.vill.shimokitayama.nara.jp/kankou/2012/03/1454.html

歴史の古い玉置神社ですが、神武天皇が東征の折り玉置山に立ち寄っているようです。
古事記などには記載はありませんが。浜本末造氏の著書「万世一系の原理と般若心経の謎」には

『神武天皇の一隊は、高倉下命の案内で磯伝いに、佐野の浜(※和歌山県新宮市佐野)に上陸し、そこから一隊は陸路新宮へ、一隊は海路一里を新宮川、熊野川の河口に到着しました。

ここで暫く兵を休ませることになり、神武天皇は新宮の対岸の鵜殿に本陣を構えたのであります。
高倉下命は事情を聞いて、玉置山に案内することとなり、配下とともに新宮川を遡り、途中河が浅くなって舟が進めなくなってから、三重県側に上陸し山また山越えて北山川に出て、対岸の竹筒(たけとう)から玉置山に登っていきました。

この間の事情は、新宮の速玉神社の祭礼の模様で伝えています。

御座船が鵜殿から出て、新宮市から九隻の舟が出て、神武天皇上陸地点迄早舟の行事が行われる。それであります。

この道はかつてニギハヤヒの命、ニニギの命、ラムウが辿った道と同じであります。
先祖の許を得る為には、先祖の通った道を通るのが法則のようです。
・・・高倉下の先祖は、かつて玉置に石室を作って、十種の神宝を斎き祀り、先祖の神々を大峰山、弥山等に勧請して祀っていました。
・・以下省略』



根本より二股に別れている夫婦杉


樹齢3000年を超える神代杉。

これまで見てきた御神木の中でも圧倒される程の大きさと荘厳さでした。
神々や精霊が居られるのが御神木の清浄な気から伝わってきました。


三柱稲荷大明神
こちらも境内に立派にお祀りされていました

三柱神社の神様は
倉稲魂神(うがのみたまのかみ)
天御柱神(あめのみはしらのかみ)
国御柱神(くにのみはしらのかみ)の三柱と伝わっています。



お土産には、こちらの護符を購入させて頂きました。
「悪魔祓いの護符」
空海が描いたとされる版画から作られたという説があるそうです。


悪魔祓いの儀式、「弓神楽(ゆみかぐら)」

かつて玉置神社一帯は女人禁制だったため、今も男性が巫女に扮し、本物の弓と矢を使って悪魔退散を祈願する神楽を舞います。

「玉置神社の神様が白い弓で荒神を撃退した」という故事から弓神楽を奉納して悪魔退散を祈願するようになったそうです。




山道が階段に舗装されているとはいえ、登り降りが多くありますが、
パワースポットでもあるのかあまり疲れも感じず、空気がとても綺麗なので休み休み行けば全て見て周れます。

近くにお立ち寄りの際にはぜひおすすめしたい神社です。



玉置神社HP
https://tamakijinja.or.jp/

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