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神社紹介➀~奈良編~高鴨神社

こちらでは奈良、和歌山に行った時に訪れた神社の紹介をしていきたいと思います。私の父の解説ですが、そこに私が神社の写真や見どころを付け加えております。読みにくい部分もあるかと思いますがご興味あれば是非お付き合い下さい。


◆高鴨神社-たかかもじんじゃ-
(奈良県御所市鴨神1110)

主祭神 阿遅志貴高日子根命-あじすきたかひこねのかみ-(迦毛之大御神)
    事代主命-コトシロヌシ-
    阿治須岐速雄命-アジスキタカヒコネ-
    下照姫命-シタテルヒメ-
    天稚彦命-アメノワカヒコ-

※由緒書きによると全国の賀茂神社の総社とあります。
この地は大和豪族である鴨氏一族の発祥の地であり、この神社はその氏神として祀られたものです

※国津神 阿遅鉏高日子根神(あじすたかひこねかみ)、阿遅志貴高日子根神、阿治志貴高日子根神と表記し、別名に迦毛大御神(かものおおみかみ)、阿遅鉏速雄命『日本書紀』では味耜高彦根命、『出雲国風土記』では阿遅須枳高日子と表記する。
また、阿遅鋤高日子根神(子供?)とも。

大国主神と宗像三女神の多紀理毘売命の間の子。
同母の妹に高比売命(たかひめのみこと)がいる。
農業の神、雷神、不動産業の神として信仰されており、高鴨神社(奈良県御所市)、阿遅速雄神社(大阪府大阪市鶴見区)、などに祀られている。

則ちこの神は大和国葛城の賀茂社の鴨氏が祀っていた大和の神農業神、
蛇神、雷神(Wikipedia参考)。
事代主命は恵比寿様で知られている。


拝殿


春の4月中旬から5月初旬にかけては、
500種2,200鉢以上の日本サクラソウが咲くそうで、毎年祭りも開催されているそうです。



賀茂氏(鴨氏)について


能「加茂」 別雷神(わけいかづちのかみ)


賀茂氏を調べてみると現在京都に本部を置く一般社団法人「賀茂県主同族会」と云うのがあり、その設立趣意書の冒頭部分が以下である。
『設立趣意書 私共賀茂氏族は、遠く人皇第一代神武天皇ご東征に当りご先導の武勲をたてられ「八咫烏」として尊称される賀茂武角命-かもたけつぬみのみこと-(賀茂別雷神社ご祭神のご祖父神)の後裔 こうえいとして、とくに早くに賀茂県主姓を賜って山城一円を治め、代々賀茂別雷神社に神職として奉仕し、明治維新により旧制度が廃止された後も賀茂氏族であるが故に社家として神事に奉仕して来たものであり、その一元創生の氏族は二百数十家に分かれて京都を中心として阪神、東京ほかの各地に在住しております。
現在の賀茂県主同族会は、明治九年に各家持回りで行った祖先祭祀に端を発し、昭和十五年に当同族会に改め今日に至ったものであります。』
下記サイトより抜粋
http://www.kamoagatanushi.or.jp/AboutUs.html

※八咫烏(ヤタガラス)は田中角栄のバックボーンとされた北陸のシノガラと同じ秘密結社の一つと考えられているが、現在の日本の現状を考えた時今後重要な役目を果たしてくれるのではないか?



以下上記サイトより

賀茂氏は古代からの氏神・賀茂社の奉斎を続けて神に仕えるかたわら、王朝文化,宮廷文化の一翼を担って一大文化集団を築き高度の文化を創始構築してきましたが明治維新(A.D.1868)の制度変更から第二次世界大戦終戦(A.D.1945)までの77年間は国家神道制度上首位の神社として賀茂社が国家管理下におかれ賀茂氏の伝統的神勤は廃絶いたしました。
伝統的神勤の廃絶と宮中との関係の疎隔はこの貴重な文化遺産の埋没と甚だしい散逸を齎しました。将に文化大革命的変化であって失われた77年間であったと言えましょう。
さらに、終戦後(A.D.1945)、国家神道から開放され宗教法人法に基づく一宗教法人として賀茂社が運営され再出発している現状を見るとき、我々がいつまでも恰も維新後遺症を引きずっているが如く手を拱き世に逸出されている大切貴重な文化遺産の埋没散逸を傍観しているのは愚かなことと思えます。
以上抜粋

※明治維新という美化された一連の改革、革命は、結局近代多くの資料の発掘によってその不本意性が明らかになってきている。
廃仏毀釈をはじめ全国の神社祭神の強制的変更など日本文化や歴史を抹殺しようという背後の働きであり、それは現在でも着々と進められているように思われる。



高鴨神社HP
https://takakamo.or.jp/

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