「法律上は」という言葉。

この6月に新しい本『認知症の親と「成年後見人」』 (ワニブックスPLUS新書)を出版した。そして先日、東洋経済オンラインで「親の成年後見人になった私が後悔している事」という記事を書いた。1日で15万ビューと、すごく反響があったのだが、それだけに色々なコメントをもらった。

そのなかで気になったのが「法律上は」という言葉だった。本やこの記事のなかで、私は「親の成年後見人になったら、その親が亡くなるまでやめれない」「好まない専門職後見人がついたり、合わない成年後見監督人がついてもリコールできない」と書いたのだが、「民法上はリコールできるし、後見をやめることもできる。彼は不勉強だ」という意見があったのだ。

私は、この「法律上は」というのを疑って、文章を書いている。もっといえば、「法律上は」というのは、専門家がいえばいいだけの話で、私のようなその現場で実際にその制度を使っている人間は、「法律上は」という事柄なんてどうでもよく、本当の真実だけを書くべきなのだ。そうでなくて、いったいどうやって「人に真実を伝える」ことができるのか。

民法上はリコールできる、民法上は後見をやめることができる、と書くから、みんなは気軽な気持ちで、成年後見制度を使ってしまうのだ。実際になってみたらいい。「僕は今の後見監督人がまったく質問に答えてくれないから、かえてほしい」といって叶うはずもないのだ。監督人に「報酬」を払う以上、五分五分なのである。実際、親の家を売却するために、この制度を使い、結果、無事売却した後、「もう思いは叶ったからやめます」と言って、ノーと言われた人がどれだけ多いことか。

「法律上は」という言葉は、疑うべきなのだ。






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