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体の障害と私の物語 その3

こんにちは。
misakoです。

 私の過去の出来事をマイストリー仕立てで書いております。
名付けて
マイストリー人生山あり谷あり私の人生
1つ目の谷 私の体の欠点の事だけでみると長い間、闇だった。
について書きます。
続編です。

この谷の話を3部に分けて書いています。
1・2部はこちらです。
体の障害と私の物語|misako|note
体の障害と私の物語 その2|misako|note


やっとたどり着いた。
失恋で落ち込む私
この目のせいだ。と思ってしまう。
目を治す?
悩む、考える。
そういえば、
紹介状が。と思い出す。
悩んだ末に、半分やけくそで
紹介先の先生を訪ねる。
 
診察して、先生から
「左外斜視、右内斜視。手術適応です」と
私、ほっとした。
やはり私の目は病気だったんだ。
そして、
手術したら治るんだ。
と。
やっとたどり着いた。
病名告げられた時のあの瞬間は今でもしっかり覚えている。
 
症状に関する説明で、知った事
目の前にくる動く物体は
両目で中央にくる物体をみないと見えない。
だらか斜視の私には見えない。
そして、1つ電球(光)を見るには、
両目で見ると固まって見える。
斜視の私の目には、光は1本の長い線のように
散らかって見える。
 
そう、バスケのボール取れなかったのはこの目のせい。
うまくバトミントンできなかったのもこの目のせい
石が上から落ちてきてもよけれないのはこの目のせい。
歩いてて、対向からきた車のライトが眩しくて目をつぶり
危うく川に落ちそうになったのも、この目のせい。
 
やっとわかった。
苦しみから解放されたようで。
ほっとした。
逆に、よく無事に生きていた私。
この目、治せるんだ。
 
ところが、
一つ問題が、
手術するには、親の承諾が必要。
これ親に言い出すのか‥‥
初めて親に話す。ドキドキだった。
だって、今まで目の事、親子で話したことなかったから。
 
実家に行く。(当時、一人暮らししていた)
行くのにも、2時間半かかる実家。
久しぶりの実家。
両親に話す。
両親から一言、
「目は、見えていると思ってた」
私、ほんとむかついた。
どんだけ、危ない目にあったか。
見えてるようで、みえてないのだ~と
叫びたかったけど、
言ってもしゃ~ない。冷静になる私。
承諾のサインさえ頂ければ
もうそれでいい。
費用も、付き添いもなにもいらない。
 
手術は、入院が必要。
付き添いをつけるように言われたが、
一人で受けた。
 
手術が無事に終わり、
職場の上司が、見舞いに来てくれて
ほんと、ありがたかった。
初めての手術。
ほんとは一人では怖かった。
 
34歳やっとこの斜視から解放された。
手術した日の夜、病室から見た夜景は、
生まれて初めて見る光の結晶
ほんとキレイだった。
光ってこんなにまとまって光るんだと。
感動している自分。
鏡を見たら、目には手術後が痛々しい。

しばらくして、
手術して縫った糸は後でキレイにとれ、
手術後はなにも残っていない。
 
ほんとうに、無事に終わって
ほっとした。

これが私の人生の1つである谷
私の体の欠点の事だけでみると長い間、闇だった。

 長い道のりでしたが、
振り返ってみると、
貴重な経験をしたと思っています。
次回は、この困難を誰と乗り越えたか、
感謝の気持ちも込めて書きます。
次回もお付き合いくださいませ。

最後までご覧いただきありがとうございます。

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