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25歳、農水省退職。なんの取り柄もなくて不安だった12年前のわたしへ。

2021.2.8 rewriteしました

(タイトルを書いてからもう12年も前なのかと驚いた😳)

去年(2020年)、個人事業主登録&カフェを開業して、来し方を振り返ったら、25歳で次の仕事も決めず農水省を退職したとき

心細かったなぁ!

と思い出し。しかも道はまるで見えてなくて。
何年も迷走してた気がしたけど結果、すべて今につながっていた。

でもここに至るまで、道は全然一本道じゃなくて、出口も将来像も自分が本当には何をやりたいのかさえ暗中模索。だけど言えるのは一寸先は闇ではなく一歩踏み出せばいつも光があった。

私は国家Ⅱ種の事務方であり、キャリア官僚という箔もなく専門知識も得意もなかったため、退職に伴い調理師学校夜間部に通った。料理人になりたかったわけではなく、料理が生産現場と食卓を結びつけるものであり、自分の強みを作れるのではと考えたからだ。専門学校卒業後、2年間和食の店で働き、また転職。食品のブランド立ち上げに関わったり、生産現場をまわって記事を書いたり。食という軸のまわりで畑違いの仕事を転々とした。あらゆる無茶振りを(雑ではあったかもしれないが)こなす一方、”職人””プロフェッショナル”への憧れが強く、30代前半になっても自分はどれも中途半端=これといって何も出来ない、と感じていた。

自分には強みがない、というコンプレックスを抱えたまま、転職二転三転。逆にいえば変なプライドもないからその場その場で必要とされる役回りを引き受けた。どの仕事でも評価してもらったけど、しかし自分には突出した強みがない、それは何か一つのことに邁進して来なかったから、と思っていた。ゆえに、自分からこれをやりたい!と手を挙げる事ができない人間であった。

カフェオープンを決意した一昨年、やりきる自信はなかった。しかし東北に来てから自分の経歴について話すと「そんなに蓄えてるなら色々出来るじゃん!」といったニュアンスのことを言われるようになった。
所変われば、だ。

そうか、自分は蓄えていたのか。

…脂肪を?…いや、経験を!

実際に開業して毎日お店に立っていると自分がなぜ実行に移せたか
わかった気がした。

1 いろんな経験をした結果、未知のことへの度胸がついた
 (まあなんとかなるでしょ精神)

2 尊敬できる人と一緒に働いた経験が自信になる
 (自分のせいで店を台無しにしないようにと必死に働いていた当時の自分を認める。それだけ。溢れる自信がなくてもやる)

3 良きパートナーがいる
 (一人でやれる人もいるけど、私には必要だった)

カフェをオープンしてやっといまなら昔の自分に言ってあげられる。

キャリアプランなどなくてもいいのだ。
(前前職の同僚がキャリアプランで悩んでいるのを見て、普通はこうなのかな?自分もちょっとは考えた方がいいのかな?とよぎったりした)

一年後何やってるかも見えなくてもいいのだ。
(1年半毎くらいで新しいことをしている。学生時代「仕事始めるとあっという間に30歳だよ〜」と言われたけど、いやいや20代は長かった)

もし、やりたいことがあるなら、一直線に最短距離で向かっていけばいい。

けれど、やりたいことがわからなくても、これじゃないと思ったら、とにかく一歩踏み出すことも大事だ。

いま何をしているか、が、5年後、10年後を決めるから。
(国家公務員辞めた勇気を我ながら褒めたい)

どうやって生きていったらいいんだろうと自問し続けていたとき、私を導いてくれた言葉がある。

「自分の心の奥の願いを強く強く思って叶えてね」

この言葉をもらったとき、私は自分の願いってなんだろう?と考え始めた。
それからというもの、ずーーっと動きながら考え続けた。

自分の願いを知りたいと思った。

選択肢が複数あったときには、自分の心にウソをつかないで誤魔化さないで「良い」と信じる方を選ぶようにした。

東北に移住を決断した5年前には予想もしてなかった今の暮らしだけど、かなり「願いが叶った」状態だと思っている。

漠然とした理想(願い)と現在が遠く感じても構わない、
現実を見て、望みを手放す必要はなかったんだ。

現実なんてそれこそ一寸先はわからないのだ。

目の前の仕事に意味を見出して(←どんな仕事でもこれ大事)自分の肥やしにする。

立ち止まってもいいけど、休んだらまた一歩前へ。
足を動かし続ければ、いつかたどり着く。

ei


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