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早朝カヌーツアー自粛解除のお知らせ

ネビラキでは5月7日からカヌーツアーを再開することにしました。
※Facebookページの投稿から↓

【錦秋湖雪解けの水没林を巡るカヌーツアー限定開催のお知らせ】
新型コロナウイルスの感染拡大に伴いツアーの自粛をしてまいりましたが、岩手県内で感染者が出ていない(2020年5月4日時点)ことから、ネビラキでは2020年5月7日から早朝ツアー(5時〜9時)のみ開催をいたします。なお緊急事態宣言中ということを踏まえ、参加条件を以下の通り限定させていただきます。どうかご了承ください。

□参加条件
①岩手県内在住者 ※参加日から遡って2週間以上岩手県内に滞在している者
​②体調に不安がない方
​③マスクの持参・着用をしていただける方
​④自家用車でお越しいただき、なるべくの直行直帰をお約束していただける方
ツアー開催時はガイドする側もマスクを着用し、万全の体制でご案内させていただきたいと思います。なお状況に応じてツアーの開催を中止させて頂く場合がございます。ご不便をおかけいたしますがどうかご了承ください。

2020年5月4日
ネビラキ
代表 瀬川然
ネビラキツアーカヌーページ
https://www.nebiraki.world/nebirakicanone

“自粛”について

Facebookページの投稿文にも書きましたが、今回のツアー限定開催についてはとても悩みました。

多くの事業者が自粛している中での再開はどうなのか、、、

岩手県内限定にして差別に当たらないだろうか、、、

万が一我々のところから感染者が出たらどうする?

自粛警察って言葉が出ているけど、自分たちのところが避難されたらなんて回答する?

等々。

でも、“自粛”ってなんなんでしょうかね?

“自”って言葉が入っているけど誰かに要請されることなの?

そんなこと考えていたらこんな記事見つけました。

この記事を読んで思ったのは、自粛、自己責任、自己判断について日本人はほとんど理解してる人がいないんではないかな〜ってことです。知り合いの高校生がたまたまマスクを付けてなかったら学校の先生から注意されて「エビデンスはあるんですか?」って聞いたら「みんながマスクつけてるんだから合わせなさい」っていうことを先生から言われたらしく、この国の教育のあり方に疑問にを感じました。そんな回答では思考停止人間を量産するだけではないのか。そしてその結果が、「まわりも自粛しているから自粛しろ」というわけのわからない自粛論が通ってしまうんだと思います。

ツアーを再開した理由

こんな中でツアーを再開したのはきちんと理由があります。簡潔に言うと、

①岩手県内で感染者が出ていない

②前を向いて座りガイドが後ろで漕ぐ形式のツアーのため3密に該当しない

③錦秋湖の水没林が見られるのは1年を通じて春の約1ヶ月しかないから

①に関してはこれから感染者が出ない保障はないので、もし出た場合は速やかな方針変換をする予定です。自分らが小さい団体だからできることでもあります。

②に関してはカナディアンカヌーという性質上、向き合って乗ることはほぼなく、大自然の中のツアーなので密閉、密接、密集は避けられます。

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3密は元々避けられるツアーなのに自粛していたのは、人々の移動を助長してしまうツアーという性質を考えた上での結論でした。

③について、ここが一番自分の心が突き動かした部分でもあります。

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この景色を誰かと共有することなく夏を迎えてしまう寂しさは中々理解してもらえないかもしれませんが、もし地球が明日で終わってしまうとしたら、多分自分はこの愛する景色を誰かと共有したくなるんだと思います。シロヤナギの絵本のような芽吹きの色や、水面すれすれに飛ぶカワセミの宝石のような美しさ、アカショウビンの思わず歌いたくなるような綺麗な鳴き声、オオルリやキビタキはカヌーの季節が終わる頃にはほとんどさえずりが終わっています。ちゃんとパートナーを見つけた安心感と寂しさは毎日カヌーに乗っていないと感じ取れないことですが、地球のリズムと今に生きている感覚、自分は一人ではない喜び、それらが少しずつ感じ取れるようになってきました。そして、それを誰かと共有したい。

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一緒に早朝の心洗われる世界に飛び出しましょう。

zen

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