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■ 其の69■ 三つの自慢

🔣私は京都大学法学部を卒業後にメガバンクへ入社、二十代後半からBMWの新型車を乗り継ぎ、これまでに素敵だと思った女性は、ほとんどが相手の方から声を掛けてきました。さて、万が一これらが本当だったとして、この自慢話は誰かのためになるでしょうか。聞いた相手は嫌な気分になり、私はイヤな奴だと思われます。だれも得しない非生産的な話でしかありません。
そこでわたしは、人の役に立つかもしれない自慢話をしようと思います。

🔣① わたしは食べ物の好き嫌いがありません。というか、ひとが嫌だなと思って口にしないようなものでも割と平気で食べることができます。賞味期限が切れた食品でも気にせずいけます。消費期限を過ぎて米粒がパサつき固くなったおにぎりならお茶漬けにすればいいだけです。少しくらいカビの生えたパンなら、そこだけちぎって残りを食べるのもアリです。今日の晩ご飯は人参一本だけだと言われても、こんなもの食えるか!なんて言わずに、馬のようにかじって食べるのも全然アリです。
 これらはSDGs(エスディージーズ)であるばかりでなく、災害等で万が一厳しい状況におかれた時に、ストレスが少なくて長く生きのびることに繋がります。

🔣 ② わたしはスマートフォン(通称スマホ)を使ったことがありません。というか、欲しいと思ったことがありません。ですから、落としてガラス面にヒビが入ってショックを受けることもなければ、紛失した時に一瞬とはいえこの世が終わったような精神状態になる心配もないし、最新のiPhoneを買ったと自慢する知人をうらやましいと思うこともありません。
 たとえ孫さんや三木谷さんから、「機種代も利用料も払わなくていいからこのスマホ使っていいよ」と言われたとしても、「万が一突然あの世に行った時、決して知られたくない恥ずかしい自分の一面を家族や知人に見られたくないんです」と言って丁重にお断りすることでしょう。
 なによりあの小さな液晶画面依存症にかかる心配がなく、昭和の頃の気分で日常を過ごせるのがいいです。

🔣  わたしはリスク分散型の体質というか精神性を持っていると思います。良きにつけ悪きにつけ、一つの物事に執着や思い入れをしないのです。これは生きる上で楽です。野球観戦に行くと必ずNO CARP NO LIFE(ノーカープ、ノーライフ)のオーラを出しているファンを見かけます。ここ最近のカープは結構強くなりましたが、それでもとんでもない逆転負けをすることはあるし、5連敗することだってあります。この人は当事者でもないのに、一週間も沈んだ気分で過ごすのだろうかと少し心配になることもあります。
 そういえばno+eを見ていると、何だか思い入れが強くてつらそうだなと感じる人を見かけることがあります。良し悪しではありません。ただ気持ちをもう少し分散したらいいのにと思ってしまいます。
 かく言うわたしは、野球も見れば、映画や美術館やコンサートにも行き、ネットやチラシで見かけた講演会やイベントごとにも足を運んでいます。街の大型書店に行ったあと、山道を走り郊外の温泉につかることもあります。二年前に始めた株は、五~六銘柄に分散して最低限の数で持っているため、昇天するほどバズることもなければ、奈落の底に突き落とされることもありません。
 ちなみに勉強面では、中高生に全科目教えているので飽きることはありません。もちろん完璧ではないですが、たまに数学の近道や裏技を教えたり、英語では学校で習わない人類学的・言語学的解説を語っています。ですからたとえ理科でわからない事が出てきて「ちょっと調べてみるね」と言ったり、日本史と古文は管轄外だからと言い訳しても(たぶん)信用は落ちていないと思います。ひとつの事に全身全霊をかけるスペシャリストや、何かに一途に思いを寄せる人たちの尊さはすばらしいと感じます。ただ、辛いとか追い詰められた気分になるようなら、抜け道を用意しておき、気持ちを分散するのも一つの手だと思います。
 
 さて、みなさんには、何かいい自慢話がありますか。

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