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■ 其の180 ■ 百貨店の魅力、いつまでも

百貨店 / 魅力 / みつば百貨店おりおり便り


山口から広島に出てきて市内を巡ったとき、これぞ都会と思ったのは百貨店の存在でした。入口の重たいガラス扉にぐっと力をいれる瞬間、自分は一段上の世界へ立ち入るような気がしました。今はもう見かけなくなりましたが、エレベーターガールのいで立ちと「上へまいります」の所作や口調に、百貨店だけの特別なサービスとは何かを感じました。大学生のとき深夜の催事場の入れ替えアルバイトをした際、止まったエスカレーターを上り下りしたのは特別な秘密を手に入れたような体験でした。
そうした百貨店の特別感は、慣れや年齢を重ね、また時代の変化とともに薄れていきました。週末に見掛けるお客さんの数は減り、活気も以前ほどではなくなりました。十年ほど前、広島市内から天満屋が、呉駅前からはそごうが撤退してしまいました。隣県の島根では今年1月に一畑百貨店が65年の歴史に幕を下ろし、デパートゼロ県になりました。
さみしいです。オワコンだなんて言う人もいますが、ふんばって欲しいです。絶対に百貨店でしか味わえない雰囲気やたたずまいがあるのですから。それは決して郊外の大型モールでは感じられないものです。

そんな思いを抱くわたしに、百貨店の魅力を語ってくれるのが「みつば百貨店おりおり便り」です。 その中から、きらりとした一節をご紹介します。


 幼い時分は魔法の階段(エスカレーター)に夢中になり、舶来の積み木で遊び始めたらとまらず、中元歳暮のご贈答品コーナーでは包装の華麗な手さばきに魅せられ、雛人形の陳列会ではちんまりとした黒牛が曳く牛車だけが欲しいとせがんで親を困らせておりましたのが、やがてちまちまと貯めたお小遣いで千代紙を求め、英国製の便箋をじっくりと吟味し、髪に結わえる繻子(しゅす)のリボンを友人と贈りあうようにもなりました。
 そうしたすべてをかき集めましても、わたしがみつば百貨店で費やした金額は微々たるものでしょう。それでも滞在したひとときも含めたすべてが輝く宝石のように、まるで色褪せることはありません。


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