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■ 其の173 ■ 宗田理さん‥僕らの七日間戦争

宗田理さんがお亡くなりになりました。
95歳、昭和3年生まれ。
以前朝日新聞に掲載された『おやじの背中』を読み返してみました。
今だと、断定しすぎとか、不適切と言われそうな箇所もありますが、ほぼ一世紀前に生まれた方の時代感覚や感性を再確認した気がします。

 母と男二人女四人のきょうだいは、愛知県の一色町にある母の実家を頼りました。ぼくは長男で、父が生きていれば、何の不自由をもなく医者を目指したことでしょう。ところが、母が詐欺に遭う不幸もあり、進学が思うようになりませんでした。
 こういう苦労を味わうと、人生なんて七転びだと思えるようになります。今の若い人たちが、すぐ自殺してしまうのが理解できません。戦時中を生きたぼくなんか、いつも「生きたい」と思ってきました。前に進むことをあきらめないでほしいと思います。
 父を早く失ったせいか、理想の父親像をよく考えるのです。こういう父がいるといいなあ、と。ぼくの作品には、父と子の関係を描いているところがたくさんあるのです。
 『僕の泥棒日記』という作品があります。今の子どもは、父親が会社勤めで、働いているところを見ていないから、父親を尊敬できない。この作品に登場する子は、泥棒の父のすごい仕事ぶりを見て、尊敬しています。
 逮捕されてはいけないから、父母の夫婦仲はすごくいい。家庭円満。理想の家庭ともいえるのです。
 三歳のとき、一緒に遊んでいた女の子が、間違ってぼくの右の中指のあたまの肉をハサミで半分切り落としてしまいました。
父が飛んで来て、その肉をピンセットでつまむと、指にくっつけたのです。すごいことに、指はもと通り。今でも、傷跡を見ると父を思い出します。こんな出来事も、作品に影響したのでしょうか。

朝日新聞1994年9月26日


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