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冥丁、「古風」という名盤


 冥丁は日本の音楽家でジャンルとしては電子音楽だ。でも今の時代、一口に「電子音楽」や「エレクトニカ」といっても幅が広すぎる。取り敢えず聴いてみた方が早い。
 入り込みやすさを考慮した上で、おすすめの曲のリンクを貼っておきましたので、是非。

 アルバム「古風」から
「花魁Ⅰ」

「貞奴」

「女房」


アルバム「古風Ⅱ」から
「八百八町」

「忍」

「黒沢明」


サンプリングと協調


 使われている音はアンビエントミュージックに基礎を持っているように感じる。人工的に配置された素朴な音はシンプルながら力強い枠組みを作る。人工的なアンビエント(環境)とは。
それはさておき、そのシンプルな基礎の上にサンプリングが加わる。それは昔の日本で録音されたであろう音源に聴こえる。サーっとノイズが入り、昔のマイクの質感を通したような音がノスタルジーで愛おしく感じる。古い音源である為か、はっきりしない部分もあり、震えるような危うさを持つ繊細な音源だ。
 喜多嶋修の「弁才天」を聴いたときも感じたが、ある音(楽器)を使いたいときに周りの音をどのように対応させるかで曲全体の協調を図るのは大事だ。冥丁の作品もそういった点に気遣っている印象がある。喜多嶋修は和楽器に対して、冥丁は録音物に対して協調を図ったのだ。そして、どちらも扱ったのは繊細な「和」の音だった。

サンプリングの妙


 彼のアルバム作品は「怪談」、「小町」、「古風」、「古風2」がある。特筆すべきは「古風」、「古風2」の2枚だろう。この作品からサンプリングが大胆になって行き「昔の日本」的な雰囲気が強くなる。
 彼の用いるサンプリングの中でも耳に残りやすいのは女性の声の素材だと思う。その声は何と言っているのかは絶妙にわかりにくいという点もそそられる。昔風味の歌い方に現代的なセンスの音を纏わせる。さっきは「シンプルな枠組みの上にサンプリングを添加する」と書いてしまっていたがこれでは逆だ。服が先か、人が先か。まあ、いい。新しい要素と古い要素の双方が歩み寄り絶妙に絡み合っているのだ。着たい服の為に痩せるみたいに。
「サンプリングの声をシンデレラとして冥丁がガラスの靴を作り出した」とか思い切ったウザい例えを言ってみてもいいのかもしれない。しかし、実際はシンデレラたるサンプリングも大胆に音程や長さが加工されているので、その表現だとシンデレラがグニャグニャになってしまう。「変幻自在のシンデレラに〜」とか言えばいいか。ちなみに「修羅雪姫」という曲がある。更に言うと彼女は歌わない。

ノイズをデザインし、扱う


 先程から「昔」や「古さ」と強調するのはサンプリングされた音源のノイズの質感が与える印象が大きい。冥丁の手に掛かればノイズすら楽器の一部として使われる。ときにはスネアをブラシで擦る音のように、また別のときには細かく裁断されハイハットのようにノイズが用いられる。
 ブラシのようなノイズは不可抗力なところもあるのかなとも思うが、裁断された音源が頭から再生されるリズムと共に、ソフトなノイズもリフレインし続ける。普通にドラム音源を使っている部分もあるかもしれないが。
 リズムを刻む音に注意が向いたきっかけの曲が「貞奴」だ。途中でアップテンポになる瞬間があるが、刻まれる音がシンバルでなくノイズの塊を置いてるような感じなのだ。ノイズを切り取って音量を上げたものなのかなと推理している。また、打ち込み音源の存在感もある曲なので、派手な動きをするサンプリングされた昔の音と激しく入り交じるのを感じて欲しい。似たような面白さは「花魁Ⅰ」も持っている。というか、こちらの方が入り交じり方が激しいような気がする。

冥丁、「古風」の世界


 「貞奴」の中では外国人男性の「Japanese people」という言葉が木霊する。サンプリングの声は何と言っているかわからないものも多い為、はっきり聞こえる言葉が印象的に映える事がある。「日本情緒に誘い込むのでございます」「寒くない?」何かの劇中のセリフなのだろうか。
 アルバムのジャケットのイメージもあってか明治、大正時代から昭和初期の録音物を用いているように感じる。実際は分からないが。もし、違っていたとしても、イメージと音を結びつけてそう思い込ませられたのだから、それは冥丁の手腕の光るところだ。
 


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