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始まりを完了するために

三年前、贖罪の洞窟から抜けだしたくて書きました。


 今度こそ変わる
 これで変われる
そう思って挑んだことがありました
 


結果
一つもまともにこなすことができず
一つの結果も残すことができず
どうしようもない
情けない自分にフタをしました。
それ以来、SNSへの投稿もやめました。
ろくに見なくもなりました。
見れば輝いている人ばかりで、ツラかったから。


他の人はスゴイね 私はダメだな・・・


自分のものさしで他人と比較し
さらに自己評価を下げていました。 
そんなことしたって 何にもいいことない
そうわかっていても、 です。

私はとにかく、自分に自信がありません

引きこもりの時も
年収二千万の時も
借金三千万の時も
どんな時でも、変われませんでした

なぜ 、こんなに自信がないのか?
突きつめた時、出てきたのは


私には価値がない。


小さい頃は、生まれた時から長くは生きられない
姉を中心に 世界がまわっていました。
大好きで大キライな姉
両親に対しても、気持ちは同じでした。

消えてしまえ。死んじゃえ。


何かあるたびに、心でそう叫びました
それが現実になったとき
私は心底、自分が嫌いになりました

姉の死を願ったことを後悔しながら  
その死を喜ぶ自分
悲しみながら、姉の死と自分の死を比較し 
屈辱感を味わう自分
多くの人の励ましの言葉に
泣いてうなずき 心の中で反発する自分

全てが
私の全てが 嫌いでした。
死ぬべきは 私でした。
それなのに、死ぬ勇気さえ出せず。

これが、神様が私に与えた罰なんだ。

 
私は、罰を受けるために生まれてきたんだ。


八才の時、そう思いました


あれから何十年も経ちました。
事実と解釈の区別は完了した。
そう思っていました。
でも最近、ふと思い知らされることがありました。

私の幸せって何なんだろう?


そもそも、幸せになりたいって思っているんだろうか。
自分の幸せの定義が、全く出てこなかったんです。
仕事のことはまだしも、プライベートは
恐ろしいほど浮かびませんでした。


私は、一度も結婚したことがありません。
人と向き合うことは、極力避けてきました。

自分を許せない、許してはいけない。
色々やってきたのに、まだあるんだなあ


いい加減、悲劇の主人公は終わりにしたいなあ


もう、いいんじゃないか
そう自分に言い聞かせても、折り合いがつきませんでした。
何日間か向き合って、ふっと出てきたのがコレです。
自分を許せない、許してはいけない
その気持ちのまま、受け取る愛する。

思えば私はいつも、探していました。
答えを聞いていました。
私の使命は、私の天職は、私の幸せは

それと
私はずっと、いい悪い、白黒はっきりさせてきました。

それも自分の勝手な思い込みで、です。

咲いたら花だった。やったらこうだった。
そんな感じでいいんじゃないか

そうも思いました。

これが正しいかなんて、わからないけれど
これが浮かんだとき、すごくラクになりました。

そして
ダメな自分にフタをしてやらなかった投稿も
せっかくの始まりを完了させるためにも
やってみてもいいんじゃない、って思いました。


まあ、こんなこと投稿してさらに嫌われるだろ
いや大丈夫、友達少ないから
なんて、どこまでも自信のない私なんですが。

ここからもう一度、私の幸せって何なのか
考えてみたいと思います。

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今読み返しても、心の成長は、書き留めておくとわかりやすいな、とあらためて思います。無駄なことも無駄な感情も、何一つない。それがあったからこそ、今が在る。痛みを感じれる、寄り添える。


※最後までお付き合い下さり、ありがとうございました。もしよければ、Twitterへのフォローやいいね、して下さるとうれしいです。





 



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