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26本目 高校野球 〜挫折という人生の劇薬〜


私の35年間の人生で、一番悔しかった昔話。

約20年前、私は高校球児でした。

門を叩いたのは、県内で甲子園に最多出場している高校。

部員数は3学年合わせて約50人。

県内から野球推薦で入学してくるメンバーもいました。


1.ビビってしまった

高校1年生。

入学したてで、上級生に交じり本練習に参加できるのはほんの一握り。

ただただ雑用や手伝い。

そんな中、6月頃
『いかとん、セカンドに入ってみろ』


上級生と共に、本練習に参加する機会が与えられました。


ここが最初のターニングポイントでした。

セカンドでノックを受けます。

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・上級生からの圧力

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・エラーした時の自責の念

 👇

・エラーしたくない、ノック受けたくない

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完全に、負のスパイラル。

翌日の練習。

いかとん『体調が悪いので、外させてください』

その後、チャンスが巡ってくることはありませんでした。

2.ぼた餅は落ちてしまった

『棚からぼた餅は、拾う準備をしてる奴が拾うことができる』

明徳義塾高校 馬渕監督の言葉。


高1の夏。
3年生が引退後、部員数がガクッと減り、試合に出るチャンスは自ずと増えるもの。

ですが、この時の私は『試合に出ないことに対しての慣れ』ができあがっていました。



『試合に出なければ、怒られることもない』
から。


自主練するわけでもなく


『どうやったら上手くなれるか』を考える訳もなく。

監督の目につかないように。

目立たないように。

練習を『こなす』ことに、一生懸命頑張りました。


3.バスは行ってしまった

高2に上がると同時に、下級生が入ってきます。

『全県優勝した中学校から二遊間が入部するらしい』


『市外の〇〇から越境してくるヤツが』


こうなってくると、一度チャンスを逃した私は、もう陽の目を浴びることはありません。


と、同時に、監督とのコミュニケーションも取りづらくなってきました。


と、言うより、自ら『避けるように』なっていました。


結果、高校2年生の夏の遠征。

同級生が20名近くいる中で、気づけば私だけが試合に出られない日がありました。


ここまで来ると、もう時が経つのを待つばかりです。

終わりに

『学生時代の後悔は。一生かけても、取り返すことができない』

ここまで書き連ねましたが、私はこの高校時代の経験に感謝しています。


前進無ければ死あるのみ。チャレンジ精神。

監督を一生かけて後悔させてやろう。反骨精神。


人の『ネガティブ・パワー』は、使い方によってとんでもないパワーとなります。


戻りたくても、戻れない。



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