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信じているものは何(16)

慰霊(慰問) 小児病棟

ある場所へ慰霊(慰問)することになったんですが、
Mさんの言われる慰霊(慰問)は次のようなことを
します。

その場所(慰霊慰問する場所)を歩き、ロザリオを
祈る、その他、自身の祈りを祈る。ということでした。

その場所へ行くことは、その場所の霊を感じる(視る)
そして、その霊に必要な祈りを祈るというものでした。

私は、やはり二人というのがあまり気が進まなかったので
時期が大幅に遅れましたが、ある日曜日の午後行くことになった。

その場所とは、大阪の中央部より少し南側にある昔の遊郭が
あった場所です(今でもありますが)
そして、その近くにある、大学病院の小児科でした。

最初に大学病院へ行った。

病院に入り、確か8階だったように思いますが、
そのフロアに行きました。

(今考えれば、なんのセキュリティもなく入れた
 ことは少し怖い話ですね、でも今から20年ほど前
 ですから今は違うかな。)

Mさんは言いました
Mさん「ここは小児科で、この一角は、小児がんの子供たちが
    入院してるんです。あの子たちは、長い時間、勉強も
    できず、友達とも話せず大変寂しい思いをしてるん
    ですよ、大変なんですよ。」

私は、人より感受性が強い(弱い?)ので、頭で色々と
思い巡らしていると胸がいっぱいになり、涙が溢れてきた。
こういう経験は初めてで、ただ、病院に来て、子供たちの
状況を聞き、その子供たちの顔を見る。
そして、子供たちのために祈る。

こういう形の奉仕もあるんだと思いました。

ただ、誰の断りもなく来てるので、少しお尻が痒かったですが、
Mさんの霊視から、この慰霊(慰問)を行うことになったことを
信じれば、罪の気持ちも和らぐんですけど。

そうして、病院を後にして次の現場に向かった。

生い立ち

実は、次に行く場所が、今回のメインだったらしく
なぜ、そこへ行くのかを色々と話してくれました。

彼女の家は、その場所に所以がある家庭だった。
(話が前後するのであまり整理できてなく
 また古い話でうる覚えなので、思い出し
 ながら書いていきます。)
父は暴力を振るう今でいるDV、母親が庇ってくれますが
やはり女性なので非力なんですね、DVに関しては、
いろいろな事情があって起こされるものだと思います。

 私自身も経験者で、私の場合は母からのDVでした。
 腹違いのいわゆる連子でしたのでそれが理由でしょう。

話を戻しますが、おばあちゃんの存在が大きく起因して
ました。それは、その遊郭で働いていたというのです。
実際に売っていた人か客を引いていたかわ忘れましたが
その関係の仕事をされている方で、その影響が大きかった
そうです。

確か、Mさんも勧められたそうですが、なんとか逃げ切った
ような話をされてました。というのも、
「そういう家系だからお前も関わって行かないとダメなんだよ」
と言われていたからです。

そういう理由もあって、Mさんは、家から逃げ出し、
さんと二人暮らしをしていました。

さらに、父親の浮気もあり、その浮気相手は身籠った
経験があったとか無かったとか話されてました。

その水子?遊郭での水子、父の浮気相手の水子(真偽不明)を
供養というか、その水子のために祈ってあげてほしい
とのことでした。

一瞬、え?俺のこと?なんて思った私は、悪い人だったのでしょうか。

それはさておき、慰霊のコースは、その遊廓内を歩き
最後に、水子供養の観音様のところでロザリオを祈る
というものでした。

画像はイメージです 

そんな家族と由縁が深いところで、彼女自身の
信仰と相反する職業に、嫌悪感を覚え、また償いの
気持ちが増してきたのかも知れませんが、見える
存在からのプレッシャーもあったように思います。

ただ、この時を境に、Mさんは私との会話を
常に切望するようになってきたのです。

どこかへ行くことは、ありませんでしたが、
「話をしたいんです」
「どこかで会えますか?」
「お渡ししたいものがあるんです、会えますか」
平日は、仕事もありほぼ会えませんが、そんな時は
電話があります。

電話がかかってくると一時間は取られます。

男女の電話をみなさん想像してみてください
何を話しますか?
恋人同士なら、甘いささやきや、今度どこ行くとか
たわいもないことを話しますよね、
それでも退屈せずにもっと話したいとなりますよね。

それが、普通の男女ならどうでしょう。
電話で話すときは、何か特別な出来事を伝えるとか
用件を伝えるとか限定的なことになりませんか?

それが、割と一方的に、身の上話しや、私がどう思うか
とか、何かを共有しようと話題を探しながら話している
んです。普通の関係の異性がです。
私は聖人君子ではないので、少しハードルが高かったです。

次に、週末になるとミサがありその時には、会ってしまうという

そういう日々が続きました。

私は、時々ミサの場所を変え、会う頻度を減らしました。
私のプライベートな時間の幅がMさんが占め始めたからです。

当時名古屋のTさんとお付き合いを始めていたこともあり
会うことに関しては、男女が二人きりで、というのは恋人でもないので
あまり気が進みませんでした。

そういう風に、距離をとりながら、上手く付き合っていたんです。

幻聴の人

別の教会に行く中に、地元の教会や隣町の教会があり、仕事の都合や
時間の都合で、行く教会を分けていました。

その隣町の教会へ行った時、また事件が起こりました。

これは次に書きたいと思います。
私の信じているものはキリスト教であり、救いはここにあると
思い行動していますが、それが徐々に壊れていくのです。

・・・。


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