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タイムトラベラー

 秋の日はつるべ落としとはよく言ったものだ。仕事終わりの早い時間に待ち合わせしたにもかかわらず、10月の街はもう夜の帳が降りていた。
 一週間前、友人から電話があった。聞いてほしい話があるという。人類の未来が変わるよ、と、やけに大げさな口ぶりだった。20年来の付き合いで、何につけてもそういうところがある性質なのは知っている。楽しい男だがいかがわしさも人一倍だ。今度は何を言い出すのだろう。
「遅いじゃないか」カフェのテーブルから彼が声をかけてきた。
「ごめんごめん、出掛けに得意先から電話があってさ」
 とはいえ、5分遅れただけだ。呼び出したのはそっちなのだから大目に見てくれてもよさそうなものだが。
「他でもないお前に、聞いてほしい話なんだ」
 まるで爆弾が体に巻き付いていて、起爆装置を解除するにはその要件を伝える必要があるかのような切迫感で、彼は話し始めた。
「マシンを使わないタイムトリップだよ」
「ごめん、いったい何の話だ?」
「おっと、頭の中で先走ってしまった。いかんいかん。まずは質問だ。長生きしたいだろ、お前も」
「ま、早死によりはね。年取ったせいか、長く生きたいと思うようになった」
「何のせいでもない、それが素直な本能だよ。それでだ、平均寿命が80歳だとして、俺の理論を使えば2倍の160歳まで生きられる、という話をしようと思う」
「いつからがん治療の研究をしてたんだ?」
「違う。さっきも言ったろう、タイムトリップの原理さ」
「あんなものSFだけの夢物語だろ」
「宇宙飛行士が光速に近い速さで宇宙を旅して、地球に帰ると浦島太郎みたいに自分だけ歳を取らないのは知ってるよな」
「相対性理論ぐらいは・・・」
「夢物語ではなく、定説だということを言いたいんだ。日常生活の中でも、速さによって時間の進み方に違いがあることがわかっている。事実なんだよ。もうひとつ、コールドスリープで100年間眠ったらどうなる」
「ある意味100年後にタイムトリップするわけだ、でもそれは160歳生きたことにはならないだろう」
「ああ、ならない。でも重要なプロセスなんだ。時間は一方通行だが、うまくスキップすれば長生きのような効果を見込める」
「じゃああれか?お前はこれから宇宙飛行をしたり人工冬眠をしたり…」
「しないよ、落ち着いてちゃんと話を聞け。原理はタイムトリップだが、スペースオペラみたいな冒険があるわけでもなく、タイムパラドックスがあるわけでもない。できるのは長生きだけだ」
 突然途方もない謎掛けをされて、答えが間違っていると慌て者と罵られる。ずいぶんな禅問答もあったものだ。
 問答といえば、妻とこの前喧嘩をしたのを思い出した。聞き上手を自認する俺としたことが、何であのとき「これだから女の話は」なんて言ってしまったんだろう。
 今日とまったく同じだ。妻の主張も、あとで冷静に考えれば納得できる部分もあった。ここはひとつ大人の分別を発揮して、彼の話にもう少し付き合うことにしよう。それにしてもタイムトリップできるなら、長生きもいいけれど時間を戻して欲しい場面の方が多い。まずは喧嘩をしたあの夜の9時とか。友人が続けた。
「最初、俺の嫁にこの話をしたら鼻で笑っていた。俺が自分を実験台に長生きライフスタイルを始めると、変わり者だとは思っていたけれど、ここまで変人とは思わなかったと言われて去年離婚した。生活スタイルがまったく合わなくなったから、まあ無理もない」
「男と女が噛み合わないのはよくあることだ。気にするな」
「気にはしていない。偉大な研究には犠牲がつきものだ。嫁はいなくなったが協力者の目星はつけてある。記録や文献も集めて論文もほぼまとまっている。あとは実例の検証だけだ。3年もあれば従来の老化との違いははっきりするだろう。そんなわけでお前にも声をかけた」
「体のいい実験台か。でも野良研究者のお前がそんな研究どこに発表するんだ?」
「確証が得られれば学会がどうかなんて関係ない。しかしいまの段階では口が固くて俺の話をまともに聞いてくれる人に打ち明けたい。だからお前なんだ」
「わかった。で、生活スタイルをどう変える?」
「時間の使い方を変えるのさ。さっきの話を思い出して欲しい。日常生活でも、スピードの違いで時間の進み方に差が出る。コールドスリープは、時間をスキップできる。このふたつを、生活に取り入れるわけだ」
「どうやって?」
「24時間でひとつのサイクルになっているいまの生活を、48時間で1サイクルにする。24時間寝て、24時間活動する。ロングスリーパー気味の配分になるが、時間スキップのためにはなるべく長く眠りたいからな。1日のサイクルを2倍にするわけだから、計算上2倍の時間生きても不思議ではない。お前も俺も、もうだいぶ生きてしまったから160歳は無理かもしれないが、まあ100歳は超えられるだろう」
「ちょっと待て。ここまで能書きをたれて、結論はニート生活のススメか?そういうの引きこもりって言うよ、世間では。引きこもって100年生きるのか」俺は呆れたが、彼は構わず続けた。
「ニートみたいなダラダラした生活じゃないんだ。起きている間、なんでも素早く行動する。結構大変だぞ。歯磨きも、食事も、散歩も、入浴も、もちろん仕事もなるべく高速でする。フィジカルのスピードアップには限界があるが、少なくとも脳内だけは高速フル回転で動かすのさ。最初は別に何も変わらないように思うだろう。しかし何年後かには相当な差になって現れる。
マウスですでに実験は済ませてある。強制的に長時間眠らせ、起きたら回転ケージにモーターを付けて早回しにする。食事時間も極端に短くする。見事に長生きする」
 実験台のマウスに同情した。毎日死にたい気分で長生きしたのではないだろうか。
「で、人間だ。残念ながらというか当然というか、会社勤めはあきらめないといけないだろう。24時間睡眠は社会システムと馴染まない。それから乗り物は飛行機がデフォだ。空港があれば遠回りでも飛行機で移動する。そうやって全てにおいて従来より素早いスピードの行動を心がけなくてはいけない。俺は2年前から実践中だ。俺の中ではもうだいぶ違うぞ。おかげでいろいろ急かすような感じになっていると思うが、申し訳ない」
 焦燥感にかられ行動が先走ることを「生き急ぐ」なんて表現することがある。まさかそれが長寿につながるなんて思いもしなかった。
「高速で移動する手段がなかった時代より、俺達はみんな長生きだろう。食事とか衛生面とか医療の進歩のおかげだと思っていないか?違うんだ、俺達はみんなほぼ強制的に忙しく生かされている。だから与えられた時間が多くなっている」
 生命の実感とはまるでかけ離れた話だ。もっとゆったりのんびり生きたら、さぞかし寿命も伸びそうなものだが、彼はまったく逆のことを言っている。
「証拠がある。お前も知ってると思う」
「俺は160歳まで生きた人なんて知らないよ」
「いや、前に長寿日本一のおばあちゃんがいただろう」
「・・・あ!2日寝て、2日起きるおばあちゃん。長寿世界一でギネスにも載ったけど生年月日不詳で取り消されなかったか」
「記録はさておき、生活パターンは俺が考えた理論と同じだ。おばあちゃんの方は96時間サイクルだがな。おっと待ってくれ、後付けじゃない。これはあのおばあちゃんが有名になる前から温めてきた理論なんだ」
 俺は何も言葉を返さなかったが、まあ、そこは疑う根拠もないので信じることにしよう。
「おばあちゃんはおそらく深い考えもなく、感性でそういうサイクルで生きていたと思う。長寿の人は、だいたいロングスリーパー気味になることは統計で分かっている。そもそも老人の方が時間スキップの効果が高い。生体活動が活発でないほうが、擬似的なコールドスリープに近づく」
「老化現象の結果としてそうなるんじゃないの?まさか相関関係と因果関係の区別もつかないようなお粗末な研究者だったのか?」
「原因か結果かはどちらでもいい。睡眠時間4時間以下のショートスリーパーに長寿は少ないという反証の方が重要だ」
「それも統計的に結果が出てるんだっけ?まあ寝ないのが体に悪いのは調べなくてもわかるけど」
「高齢になれば、もう覚醒時の高速行動は無理だ。長生きのために実行できるのが結果的に睡眠だけになる。みんな老人になると、寝たままになるのが怖いのか、つい早起きして睡眠時間が短くなりがちだが、長生きしたかったら逆だ。これは体調管理の問題じゃないんだ。時間をスキップできるかどうかなんだ」
 10代の頃は、50歳ぐらいまで生きられれば充分だと思っていた。しかし、その年齢に近づくに従い、これで終わるとはなんて中途半端なことだと思うようになった。減るほどに欲しくなるのが寿命というものらしい。100歳を超えて生きるとしたら、人生のシナリオをだいぶ変更しないといけない。
 彼の理論によれば、老化イコール毎日少しづつのタイムトリップということだ。ご長寿の皆さんは僕らが想像もできない過去を経験して、あのおばあちゃんも100年の時を超えて現代で生きていた。長く生きるということは、優秀なタイムトラベラーと呼んでもいいのではないか。老いにネガティブなイメージしかなかったが、経験豊富なタイムトラベラーだと思うと印象が違う。残り40年の人生と、80年の人生を選べと言われれば後者だろう。想像もできない未来を見てみたいという思いが、俄然膨らんできた。
「・・・試しに、明日から24時間寝てみるか」
「最後はそう来ると思ってたんだ」
「会社は無理か・・・時給が高いバイトを探せばいいか。深夜勤務から早朝勤務ぶっ続けのシフトにしてもらうとか」
「とかとか」
「でも起きている間にペースを速めるのはできるかなあ」
「寝ている時間が長いと、自然とその分を取り戻したい気持ちが出てくるよ」
「そういうものか。100歳を超えたら、世界はどうなってるかな。子供の頃は、携帯電話だって想像もつかなかった。どんなことが起きるのか」
 もっと言えば、子供の頃は自分が大人になることさえ想像できなかった。さらにいまは1年後の自分も想像できない。いや考えたくもない。泥より重い現実まみれの明日の自分。遠い未来のことを考える分には、自分が身軽でいられる気がした。
「ま、30年後でも充分エキサイティングだとは思うが」と彼は言った。
「10年も経てば、他の人とはだいぶ老化の進行が違っているんだろう?本当だな?だとしたらその頃にお前ノーベル賞も狙えるんじゃないか?」と、こちらから彼を煽ってみた。
「おいおい、さっきとはえらい変わりようだな。そうあせるなよ。人類は老化のメカニズムすら正確には分かっていないんだ。その解明にも役立つだろう。固定電話はもう契約解除だな。昼間寝てると電話で起こされるぞ。宅配便も日付を指定しないと家にいても不在にされる」
 そうだ、妻になんて言おうかな。まったく同じ生活スタイルに変えてもらうか、離婚かの二択になるのか。子供がいないから、彼女ひとりでもなんとか生きていけるだろう。でも24時間寝る以外はまともなんだから、別れなくてもいいとも思う。俺が若ぶって喜んでる間に、普通におばあちゃんになって行くだろう。一緒にいても、別れても、彼女だけおばあちゃんになるのが耐えきれない気がしてきた。
 仲間を置いて行ってしまうようなこの孤独感とどう向き合うのか。浦島太郎だってせっかく故郷に帰っても、知った人間がいなくて絶望したではないか。自分だけ長生きして何になる?
 俺の友人が見逃している相関関係がある。ご長寿の人たちは、みな子供や孫が多い。地域の仲間も多いようだ。家族や仲間に囲まれて楽しく生きる。それこそ長く生きる秘密じゃないのか。
 さっき急激に膨らみかけた遠い未来への希望は、それを上回るスピードでしぼみ始めた。
「ごめん、やっぱやめとくわ」
 椅子からずり落ちそうになっている彼を置いて、俺はさっさとカフェを後にした。
 彼の研究がうまく行って欲しいのも偽らざる本心だ。彼なりに真面目に取り組んでいるのは、友人だからわかる。成功したあとで、みんなで安心して長生きすればいい(さらに忙しくなるのは確実だが)。ただいまのところ、俺には俺の人生がある。
 いまから電話すれば、妻は晩飯を待っていてくれるだろうか。まずはこの前の喧嘩を謝らなければならない。そのまま放置しておけるほど、俺の人生にゆとりがあるわけではない。先のことより、いましなくてはならないことのほうが多いのだ。
 そして、3カ月後のこと。
 首都高速での派手なクラッシュのニュースがテレビで流れた。カーブを曲がり損ねたクルマが、フェンスを突き破って下の道路まで転落した。クルマはまったく原型をとどめていなかったが、単独事故でたまたま下にいた人もクルマも巻き込まなかった。運転していたのは友人だった。残念ながら即死だった。高速行動の落とし穴が、最悪な形で表面化してしまった。彼の理論が、人類の偉大なる前進の第一歩だったのか、誇大妄想狂の出任せだったのか、いまとなってはもう誰にもわからない。

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