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How interactive is the interaction?

Title image by Freepik, with modification.

プレイヤー間の相互作用/インタラクションはマルチプレイヤーゲームの華です。インタラクションの低いゲームをマルチプレイヤー・ソリテア/多人数ソロゲームと揶揄する風潮もありましたが、最近はマルチプレイヤー・ソリテアという言葉も必ずしも悪い意味ではなく、ひとつのジャンルとして受け入れられるようになってきたように思います。というか2010年代半ばからは積極的にインタラクションを抑えたゲームを志向するトレンドがあって、ソロプレイルールの重視・ロール&ライト系ゲームの興隆もその表れであるように感じています。だからといってインタラクションが嫌われているかというと必ずしもそうではなくて、適切なレベルのインタラクション(あるいは“インタラクトしているという感覚”)は常に必要とされていると思うのです。しかしこの“適切なレベル”というのが曲者で、インタラクション自体が明確な定義のない曖昧で恣意的に使われがちな概念である上に(先日も“ゲームバランス”について書きましたが、この手の用語についてはまだまだ未成熟で議論や批評には向かないように感じています)、“適切なレベル”はゲームによっても、プレイヤーによっても、あるいはその日の気分や場の雰囲気によっても異なるものなのです。今回はインタラクションというものを分析して、それを評価する方法を提案しようと思います。これによって、自分の好みやゲームに期待する要素が多少なりとも明確になり、言語化できる助けになればと思います。

最初に(注意書き)

本稿で対象にするのは「3人以上のプレイヤーによるマルチプレイヤーゲーム(形態は問わない)」であり、「一定以上の複雑性のあるルールシステムと戦術性を持つゲーム」である。つまり以下のようなゲームは想定していない。

  • ソロゲーム:そもそもインタラクションが発生しない

  • 2人プレイゲーム:ゼロサムゲームであれば基本的に自分の利益=相手の損失になるのでインタラクションというよりも両者の差分という形でモデル化が可能であることが多い。このため以下の議論がどの程度意味を持つかはケースバイケースである。(ダミープレイヤーを含む)環境・システムを介した間接的なインタラクションとして適用可能な部分は大いにあるし、心理的な部分でインタラクションを検討する意味はあるいと考える……が、一方でプレイヤー間の関係が良くも悪くも“見えやすい”ので工夫が必要であろう。

  • 協力型ゲーム:競技性のないゲームにおけるインタラクションは性質が異なるため本稿の直接の対象とはしない(そもそもゲーム自体の面白さのポイントが違うので……)。同様にチーム制のゲームも基本的には対象としない(3チーム以上のマルチチームプレイであれば、チーム間のインタラクションをプレイヤー間のインタラクションと似たようなものとして扱うことは当然可能である)。

  • ソーシャルゲーム:人狼系の対話をベースとしたゲーム、ワードゲームやDixit系のアイデアと発想を楽しむゲームなども想定しない。

また、議論の単純化のために以下の点については意図的に無視している。

  • 非最適行動:マルチプレイヤーゲームにおいて、プレイヤーは必ずしも勝利に最も近付く選択肢を選ぶわけではない。特定プレイヤーを牽制するために別のプレイヤーの利益になるように動いたり、あるいは序盤で目立つことを避けるためにわざと得点を稼ぎすぎないように抑えたり、といった行動を選択することがある。こうした駆け引きも当然プレイヤー間インタラクションの一種ではあるが、これは必ずしもシステム的に設計されているわけでもなく、人と場に依存する性質が高いため、本稿では基本的に想定しない。

  • 定量性:ゲーム中の行動に対する評価は理想的には定量化できるものである。しかし、正確に定量化することは難しい(ゲーム中の行動選択はそれぞれの選択肢をいかに正確に定量評価するかの問題である、とも言える)。以下の議論の中で定量化をして数値的な評価をしている部分も、基本的には大雑把な推定でしかなく、どちらかといえば定性的な話であると捉えて欲しい。

日本語では単数複数の区別が明確でないことを良いことに、単数複数を曖昧なままで議論を進めている部分も多々あるが、これも煩雑さを避けるためと了解いただきたい。

インタラクションを分類する:評価軸の提案

まずはインタラクションを分類する際に、どのような評価軸を設定することができるか、について考えてみたい。

Direct or Indirect:直接的か間接的か

直接的なインタラクションか、間接的なインタラクションか、というのはよく使われる表現だ。最近だとBruno Faidutti氏の記事とか(和訳はこちら。余談だが、Faidutti氏の記事を長く見続けている私に言わせれば、氏の立ち位置は業界標準とは少しズレているのでそれを勘案した上で読むべきと思う)。しかしこれも実のところあまりはっきりしない概念である。Faidutti氏の記事中では、直接特定プレイヤーを対象にして影響を与えるか、あるいは場に影響を与えることで間接的に他のプレイヤーに影響を与えるか、で区別しているが、同記事内で指摘されているように、この基準で分類された“間接的なインタラクション”には実際にプレイヤー間のインタラクションとして機能する場合もあれば、事実上ランダムに場が変わるのと同じで意図的なインタラクションではない場合もあるわけで、こうした分類にどの程度意味があるのかというとなかなか難しいところではないかと思う。

というのが実際のFaidutti氏の論旨であって、要するに“間接的なインタラクション/Indirect interaction”という言葉には一定の商業的な価値はあるが、実体としての(あるいは分類としての、批評としての)価値がないのでは、という問題提起なのであろう。

とはいえ、システムへの実装が異なれば当然プレイヤーの受ける印象は異なるので、プレイヤーにどう見せるか/どう感じさせるかという意味で工夫のし甲斐がある開発ポイントではないかと思う。例えば典型的なワーカープレイスメントシステムでは「○というアクションを行う」「他のプレイヤーはこのターンで○というアクションを行うことができない」という2つの効果を同時に発生させているわけだが、これを「共有ボード上のアクションスペースが有限である」という形で実装することにより“アクションを行った結果他のプレイヤーのアクションを阻害する”という間接的なインタラクションとして表現されているわけだ。しかしこれをカードゲームとして「他のプレイヤーは○というアクションを行う手札を捨て札にする」「自分は○というアクションを行う」という形に実装すると、これは直接的なインタラクションとして、より“攻撃的な”印象を与えるであろう。

Selective or General:選択的か全体的か

特定プレイヤーを対象として選択的にインタラクションが発生するか、あるいは全プレイヤーに影響を与えるインタラクションか、というのは前述の直接的/間接的と似ているようで少し違う。直接的/間接的という分類がシステム的な実装という形式によって分類するものであるのに対して、選択的/全体的という分類はより機能に着目した分類といえよう……まあ両者はかなり相関していると思うのだが(相関係数でいうなら0.6-0.7くらい?の感覚)、直接的かつ全体的なインタラクション(全員から金をもらう系の効果とか)や間接的かつ選択的なインタラクション(盤面の特定箇所をブロックするなど)も成立するのでまったく同じ概念というわけでもない。
誰に影響を与えるかをプレイヤーが意図的に“選択する”という行為はそれなりに重く、責任を伴う。選ばれた側には選んだ側に対する個人的な感情が生まれるし、それがその後の選択に影響することもある。それは必ずしも悪いことではなく、そうしたゲーム内で発生した人間関係を楽しむのもテーブルゲームの楽しみの一つであろう。ただし、この10年ほどのユーロスタイルボードゲームのメインストリームの方向性とは異なっており、そうした選択によって生まれる関係性の面白さをどうやってゲーム内に盛り込むか、という点については配慮が必要であるように思う。もっともこれはシステム側だけが配慮すべき問題ではなく、プレイヤー側の意識や好みの問題であったり、あるいは心構えの問題だったり、そうした環境面の要素も大きそうではある(あと業界やコミュニティ内の流行とかもね)。

Primary or Secondary:主作用か副作用か

別の見方として、ゲーム中の行為が、他者に対する影響を主たる効果としているのか、あるいは自分に対する影響の付随効果として他者に影響を与えているのか、という分類がある。特定プレイヤーを妨害するような効果、いわゆる”Take That"系の効果は典型的な主作用のインタラクションと言える。一方でワーカープレイスメントやドラフトなどによるインタラクションは基本的に副作用としてのインタラクションである。自分にとって有利な行動を選んだ結果、他プレイヤーの選択肢を狭めることになる、という形式だからだ。一方、ワーカープレイスメントにおいても他プレイヤーをブロックすることを優先する場合もあるし、ドラフトにおいても下家に流さないようにカードを選ぶ(いわゆるヘイトドラフト)もあって、主作用か副作用かの区別も実プレイの現場では明確ではないことが多い……妨害だけの機能しか持たない、主作用としてしか機能しないインタラクションも存在するが、昨今の主流は、副作用としてインタラクションを実装しながら、プレイの現場ではプレイヤーがインタラクションを優先して判断することを許容する(あるいはそうした判断を誘発する)デザインではなかろうか。

Positive or Negative:正か負か

プレイヤー間のインタラクション、と聞いて多くの人が思いつくのは、対戦相手の行動を阻害する、あるいは対戦相手に不利益を与える効果ではないだろうか。これは対象に対して負の効果を与えるという意味で“負のインタラクション”と言える。一方で、自分も得をするが対戦相手(たち)にも利益を与える行動は“正のインタラクション”であると言えよう。例えば、「自分が金5を得る」に対して、「自分が金3を得る。他のプレイヤーは金2を捨てる」は負のインタラクションがあるアクションであり、「自分が金6を得る。他のプレイヤーは金1を得る」は正のインタラクションがあるアクションである。行動したプレイヤーの相対的なアドバンテージは同じ(+金5)であるが、ゲーム内での効果も心理的な影響も異なるわけで、このあたりはまだまだ色々開発の余地があるような気がする。正のインタラクションはむしろ協力型のゲームにおいて発展しているようにも思われるが、90年代後半~2000年前後のユーロスタイルのボードゲームには少なからず交渉の要素が含まれていて、あれはあまりシステム化されていない形の正のインタラクション(を指向していた)ものと解釈することもできる。実際の運用上はあまり“ポジティブ”な印象にならないことが多かったような気もするが。

インタラクションを分類する:組み合わせによるタイプ分け

既に前項で書いた通り、こうした評価軸は二項対立するものではなく、むしろ連続的であったり、あるいは状況によって変動する類の指標であると捉えて参考にしていただきたい。

(以下もう少し具体的な話を書いていきます。近日公開予定)

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