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【御朱印巡り】水天宮

新社殿になってから初めて水天宮を訪問しました。
この日は戌の日では無いにも関わらず、境内は安産祈願をする参拝者で溢れていました。
ところで、なぜ水天宮で安産祈願をするのでしょうか?
気になったので、調べてみました。

御朱印

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御祭神

水天宮には四柱の御祭神が祀られています。
・天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)
・安徳天皇
・高倉平中宮(建礼門院、平徳子)
・二位の尼(平時子)

水天宮の歴史の話

水天宮総本宮(福岡県久留米市)
御祭神でわかる通り、水天宮は安徳天皇と平家一門の霊を慰めるために、福岡県の筑後川のほとりに水天宮を祀ったのが始まりです。
水天とは、インドの水の神様なので、壇ノ浦の戦いで海に身を投じた平家一門に通じたのだと思います。

日本における水天
日本では、神仏習合時代に「水」つながりで「天之水分神・国之水分神」(あめのみくまりのかみ・くにのみくまりのかみ)と習合しました。
水分神(みくまりのかみ)は子供とは関係ないのですが、「みくまり」の発音が「みこもり」(御子守り)に通じるというので、水天は安産・子育ての神・子供の守り神として信仰されるようになりました。

ということで、なぜ水天宮は安産の神様なのか?という疑問は、日本人が大好きな連想ゲームから来ているということがわかりました。

水天宮と安産祈願の関係はわかりましたが、せっかくなので東京の水天宮の歴史も確認しておきましょう。

東京水天宮
東京の水天宮は、文政元年(1818年)に、久留米藩藩主の有馬家により、三田の久留米藩江戸上屋敷に分祀されたのが始まりです。
その後、明治4年(1871年)に、有馬家屋敷の移転とともに赤坂に遷座、翌明治5年(1872年)に有馬家中屋敷のあった日本橋蛎殻町に移転し、今に至っています。

まとめ

水天の変遷を見てみると、
インドの水の神様だった水天が、「水」つながりで水分神(みくまりのかみ)と習合させられ、
水天と子供は関係無かったにも関わらず、発音が「みこもり(御子守り)」に通じるからという理由で安産・子育ての神にさせられ、
神仏分離の時には、水天のもともとの神格が始源神であることから、記紀神話における始源神・天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)に当たると解釈されて、水天宮の祭神は天御中主神に変えられる。

水天宮は、受け入れたものを原型を留めないほど魔改造をしてしまう日本人らしさを象徴した神社と言えるのではないでしょうか?


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