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子宮全摘出しちゃおう!の巻

子宮取っちゃお!までの道

あいも変わらずびっくりするほどセンスのない表紙だな。表紙?なんていうんですかこの最初の画面。見ていると目がくらくらするぜ。でもまぁ、頑張ったんじゃないでしょうか。

さて、子宮を全部取っちゃおう!ということで。

まさかのこれの続編である。
ざっくり申しますと、子宮の入口を取ったところに今まで観測されていなかった腺癌があった(あったけどこの前の手術で全部取りきれている)ので、慎重に経過観察をしようね、と先生に言われたのであった。先生と打ったら一番最初に「陝西」が出てきてびっくりした。生まれて始めてみた漢字です。

なるほどね。なんでだろ。調べたのかな。

とそんなこんなで、普通のガンであれば取れたねよかったねやっぴー!なのだが、腺癌というのはスキップ現象というものがまれに起きるらしく、読んで字のごとく子宮本体にガンがスキップする可能性があり、そうなるとなんか予後がよくないガンらしいのである。

先生が、ガイドラインだと子宮全摘だけど、まだ若いし半年に一回検査をしてうんぬん、というので「え、取ります!」と元気よく答えたところ、今すぐに答えることはない、明日運命の人と出会って子供が生みたくなるかもしれないから、よく考えよう! とのことだったので、10日ほどよく考えたふりをして「やっぱり取って!」と言った。

振り返ればそのあたりも色々となんかあったのだけれど、私は自分が子供を持つなどという恐ろしい事態に陥るのは怖いし、犬一匹飼えない経済力、気力、体力、精神力、財力、才能、自立心、お金、その他もろもろのあらゆる力的なものが不足した人生を生きているので、子供など生んだら子供が可哀想なのである。というより子供とかよりまず私が幸せになりたい。

そして何よりも自由に物を書けない環境になってしまえば、気が狂うこと請け合いである。これは比喩の気が狂うではなく、普通に精神病院に逆戻りになってしまうという意味である。文を書いているからギリギリなんとか健常者に見えなくもない障害者になっているので、文章書けなくなったら多分もう病院から出られなくなる。(ところで障害者を障がい者を書こうという向きがあることは存じているが自分から考えるとまじで害でしかないので障害と書きたいところ。めっちゃ大変なのに害の漢字がないとなんか大変感薄れません!?)

というわけで、見たこともない聞いたこともない存在しない子供より私のほうがどう考えても大事なので、あと生理が嫌いなので、願ってもないチャンス! と思って取りたいな―という話をした。

先生はよく考えてね、と言って私を帰し、一度母に説明を聞いてもらおうと病院に行ったときも、よく考えてね、と言い、でもどんな形の結論でも応援するからね、と言ってくれて、でもやっぱりちょいちょい、まだ若いので子宮を取るのはどうだろう、このタイプの症例で手術をして子宮に問題があったことは私の経験上は一回もない。と非常に取って欲しくなさそうであった。

それでも「取りまーす!」と最後に言ったときには「よく頑張って考えたね。応援するよ」って褒めて優ししてくれたので、好きです一生一緒にいてください!と過激に感激したのだった。

一度も必要と思ったことがないし、ずっと憎んでいたし、もう本当に考えたくない、できれば一度もそのことについて考えたくない子宮であるが、いざ本当になくなる、子供は絶対に産めなくなる、という事実が近い未来に置かれると、え、なにそれ? なんでそんなこと言うの!? と多少は思うわけである。

いらないし絶対に取るんだけど、一生のことなんだよ、とか言われると急になになになに!って思ってしまうよね。まぁでもこれは子宮にかぎらず、もう絶対に使わない小学校時代の大量の鉛筆だって捨てるのめちゃ迷うし、そもそも何かを決めるということが苦手すぎるのである。だから別に子宮だからどうこうというものでもなかったのだろう。

今考えると、非常に姑息な罠であった。
取ってしまった今、やったぜ!という気持ちが非常に強い。あのまま子宮を保持していたら、寂しい、苦しい、毎日こんなにさみしいなんて頭がおかしいんじゃないか、こんなことで老後はどうなっちゃうんだ、こわい、アイドルだけ見ていたい、でも体が老いてきている、一体どうすれば! などという気持ちでアプリに登録、怪しげな異性と知り合い結婚し、妊娠し、子供が――というようなバッド・エンドもあったかもしれない。

私はルート分岐に成功したのだ。
子供を望まないのであれば、所持しているだけリスクしかない臓器なので若くて元気なうちに取れてまじよかった!というのが所感である。だいたい人間の子供より犬の方がどう考えたってかわいい。犬は喋らないので傷つかないし、人間は大人のアイドルになったら犬と同じくらい良いものだけどそうじゃない時間が多すぎるし、そもそも自分から産まれて来てほしくはない。

そういうわけで、例のごとく入院手術日記を書こうかな、と思ったのですがなんと現状退院してから一ヶ月も経ってしまった。短めに短めに、と思いながら冒頭だけでかなり長くなってしまったが、ちょろっとだけ手術についてまとめてみようと思う。

入院から手術まで

入院期間は問題がなければ4泊5日ということで、前日に入院して、次の日に手術して、2日泊まって帰る。前回が2泊3日なので、ちょっと長いなという気持ちでいた。でも前回は入院ライフを楽しむ間もなく終わっちゃったのでちょうどいいかも、みたいなことを考えていた。

コロナ禍にかこつけて一人でいって一人で手術して一人で帰る予定。手術も付きそいなしでOKということなので、コロナ禍マジ最高!ありがとう!という気持ち。もっと老人になったら兄弟とかに手術の付きそいを頼まなきゃいけないのかなと思うと、吐きそうになる。そういうのはレンタル人間にお金を払って頼みたい。

手術後は多かれ少なかれ痛いとのことだったので、天才的な未来予知が働いた私は、ペットボトルに装着するストローみたいなやつ(うさこちゃん付き)を買って行ったが、病院のすべての水にはそれが合致しなかったのでうさこちゃんはずっと病院の引き出しの中で眠っていた。

他には前回もっていかなかったドラえもんを持っていった。持っていくべきかなぁどうかなぁと昔のバレー部のエースに相談したら、絶対に持っていくべき持って行かなかったら後悔するよ! とのことだったので持っていった。

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エースにドラの大きさがわからんと言われたので常備薬との比較写真を送った。大きいか小さいかわかんねえよ!というツッコミ待ちだったが、エースはボケの人だったので「でかいね!」しか返ってこなかった。どれと比較したら一番おもしろいかめちゃくちゃ考えて写真を撮ったので私は一体病院でなにを、という気持ちになった。

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バイト先の憧れのめちゃ素敵な人ががんばってね、ってラムちゃんくれたのでラムちゃんも持ってきた。これは持ってきて正解であった。袋状のもの、なんぼあっても困らない。ありがたい。そしてラムちゃんがかわいい。なんと中にはたべっこどうぶつビスケットなどのお菓子も入っている。なんて素敵なんだ!

今回はなぜか写真があまりない。その代わりスクショが大量にある。
というのも、私が入院中に暇だろうというので、明星さん(集英社)がジャニーズの1万文字インタビューを一挙公開してくれたのである。気になった文章をスクショにとって、所感と共に親愛なるヲタ友へコメントをLINEで送る、そうするとそれに対する親愛なるヲタ友からの所感が返ってくる、ということを延々やっていたら昼が終わり夜が来てご飯が終わり消灯となっていた。

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ご飯がうまい。そして多い!
前回は22時以降に経口補水液を二本飲んでください、だったので油断していたが、なんと今回は21時以降飲食禁止、水もだめだと言われた。にわかに不安で気が狂いそうになった。水が飲めないというのは、生命の根源にかかわる恐怖である。手術が終わったらがばがば飲もうと、ペットボトルを無駄に二本買った。ボルビックとエビアン。私はどうもエビアンが好きらしい。絶対にすぐ忘れるけれど。

そういえば、前回の入院時にちょっと怖いな、と思った事務の方に今回も入院手続きしてもらったのだが、前回のもちゃもちゃの反省を生かして私が万全の体制で望んだからか、あるいは二回目で相手と私の人見知りが溶けたのか、事務の人は依然としてツンとはしていたが、とても優しかった。一枚書類が足りなくて、リュックをひっくりかえして「これですか!」と私が差し出すと「それです」とキリっと答えてから「シュッ!」と自分の口で言ってそれを引き抜いていて、あ、ヲタクなんだなと思った。同郷。

で、ベッドについてカバンをおろしたかおろさないか、くらいのタイミングでもう看護師さんがやってきて、その看護師さんがめちゃくちゃきびきびしていて、かといって威圧感はなく、すげー仕事ができる人という感じがして、はわはわした。はわはわしている間に、ズボンを脱げと言われ、はわはわしている間に毛を剃られた。そんな、出会ってまだ5分も経っていないのに!? と思った。やっぱり病院って非日常だね。病院も故郷みたいなとこあるから、やっぱり好きと思った。

手術の説明を受けたとき、手術した日はそのまま安静にして、次の日に立って歩ければ尿管カテーテルを抜く、と言われた。私が「歩く」と意味なく復唱すると、不安に思っていると思ったのか、そのできる看護師さんは早口に「歩けなくても全然問題ない。なにも心配いらない」と言って、もう一度「なにも問題ない」と力強く言ってくれて、不安じゃなかったのに不安が解消されてよかった。ずっとここにいて欲しいと思ったが、忙しそうだったのでやめた(なにを?)

で、そのあと麻酔科に行って、前回の手術がわりと直近だったので、大丈夫っすかねーといういい塩梅の先生の説明に「はい大丈夫です!」と答えたのだが、そういえば前回麻酔前にパニック発作が起こって、起こっている間に麻酔がはいったので事なきを得たが怖かったのだ、と急に思い出して、麻酔科の看護師さんに「酸素の口に当てるやつが怖くてパニックだったんですが麻酔の前に安定剤飲んでもいいですか」と聞いたら「それは先生に確認してくださいねー」と優しくやんわりと言われて、そりゃそうだ、と思った。

そのあと安定剤は取り上げられ、先生に聞く段階にもいけず看護師さんに聞いたら処方でてないのでだめですね~と言われた。サプリも飲んじゃだめなんだからそりゃそうか、と思って急に手術が不安になってきた。仕事のできる看護師さんは退勤していた。

手術は16:00だという。そんな夜まで飲食禁止なのか、とまた不安になって、手術までの時間、ずっとアイドルのインタビューを読んで涙をながす日々を過ごした。四人部屋で、その日に正面の人が退院して、私以外の二人は自分ひとりでは動けない人なので、かなり看護師さんたちと仲良しそうだった。

私の隣にいるのは若い女の子らしく(カーテンはずっと締めてなきゃいけないので顔もわからない)ものすごく看護師さんに気安く「池谷がまだいるの? 人いないの?」みたいなことを言っていて、昔を思い出した。

私は小学生のときにひどめの交通事故にあい4ヶ月ほど入院していたのだが、その時もそんな感じだった。看護師さんの名前はみんな知ってるし、新人の介護士さんが来た時、わからないことがあったら、私に聞けば良いと看護師さんが言って、まだ冗談が分からない年頃だったので、とても誇らしかったのを覚えている。

で、その隣の女の子が治療を拒否していた。
昼ごはんの前に今日はなにか治療があるらしく、点滴をあとで打ちにくるから、と看護師さんが言っていたのだが、再び来た看護師さんが「○○ちゃん。おーい。おいおい」と声をかけるが答えがない。え、今さっきまで起きてたけど? イヤホンしないでユーチューブみてたけど??と思ったが、看護師さんが「おい、たぬき寝入り、おい」と軽い口調で言うので、ああそういうやつなのか、と思った。

でも昼ごはんは食べていた。
どうも足が動かないとかで、治療を頑張れば歩けるようになるクララ的なことらしく、私もまったく同じような状況でリハビリを拒否していたことがあるので、かなり苦しかった。

「もう歩けなくていい。足いらない」

彼女が言ったことをかつて私も言ったことがある。何も悪いことをしていないのに、自分だけが歩けないというのは、なんというか、非常な厭世観につながるのである。ものすごく痛い思いをして、ただ歩くというそれだけのことにさらなる痛みを受けねばならず、そうなるともう、こんな足はいらない!という思想になるのである。

だから私はハイジがクララに弱虫とか甘えん坊とか言った時、ものすごく純粋に「殺す」と思ったのだった。いいよなあ!お前はな!だって歩けるんだもんな!なんの苦労もしないでも歩けるんだもんなあ!?おい!!聞いてるのか!?!?!なに自分は正しいみたいな顔してんだただの想像力欠如野郎のくせに!!!おい、答えろ!!!!と今でも殺意を持っている。ころすぞ、と強い気持ちで思い返している。

なので、はらはら隣の子の動向をさぐっていたのだが、入れ替わり立ち替わり介護士さんとか看護師さんとか若手医師とかが来て、最終的に主治医が来て「あっそ、じゃ退院だね」つって去っていった。えっえっ、と私だけが混乱して、ただ時間が過ぎた。でもそのあと来た看護師さんが色々諭していて「もう成人も過ぎてるんだから~」成人しとるんかい!「そんなんじゃ彼氏もさ~」リア充かい!と思って急激に興味を失った。

再びの手術室だ!

そんなこんなで手術の時間になった。前回と同じように色々準備して自分で手術室までいく。前回と違うのは点滴が前日から入っていることで、それをからからして動くのが、病院!という感じでテンションがあがる。

手術室まで付き添ってくれた看護師さんは、人見知りながらも患者さんをリラックスさせようとしてくれる感じがすごく、とても優しく、私がもっていっていた『こんとあき』の巾着に「こんとあき!」と言ってくれて「本好きなんですか」という話をした。なんとかという絵本作家さんのワークショップに行ったことがあって、という話をしながら銀色の宇宙船の中みたいな手術室ゾーンへ入っていく。

あそこまで無機質にするのには何か理由があるのだろうか。はやりキレイめカジュアルな現場だと手術する側の油断を誘うからだろうか。私の名前と病状が書かれた手術室の前の銀色の無骨なラックの中に管やら線やら機械やらが詰め込まれている。「最後の二個になってから補充!」とどこの現場にもあるような張り紙がしてある。あとスピーカーがおいてある。なるほど、これで好きな音楽を流しながら手術をするのだな。と思った。

なかなか中に入れないですね、というような話をしてから、私がラックに気を取られていると、急に後ろで「きゃっ」と声がする。え、私の看護師さんに一体何が!? と思って振り返ると、看護師さんの後ろに私の主治医が隠れていて、何かちょっかいをかけているらしい。

「いるのわかんなかった? わかんなかったでしょ!」
「あ、はい。はは」

主治医と看護師さんは別に仲良しというわけではないらしい。主治医はキャッキャしていたが、看護師さんはただただ困っていた。困りながら精一杯ニコニコと相手をしていた。主治医が「あははー」と口で言いながら手術室の中へ入っていった。看護師さんがすみません、というような目線を送ってくるので、ええ分かっていますよ、という顔をして、少し待って、私も中へ入った。

すると突然主治医がなんの脈絡もなく「私が犬さんくらい身長あったら絶対モデルになる~」と言い出した。トイレで突然話しかけてくるおばさまに言われる言葉選手権第2位のやつだ!と若干混乱した。ちなみに第1位は「なにかスポーツやってたの?」である。正確に数えても体感5億回は言われている。

主治医は「顔には自信あるのかよって話だよね~」とキャッキャとしているのに、中にいる麻酔科たち、看護師たちは誰も何も答えない。嘘だろ? と思いながら、まな板の上にいるような状態ながら私は急いで「あはは」とADの笑い声を足した。誰かちゃんと返事して!?と思った。

すると麻酔科の先生が「以前、このマスクが苦しいということだったので」と急に仕事をしはじめ「これくらいなら大丈夫ですか? 苦しい?」とものすごく口から離れた場所にマスクをしてくれる。これ意味あんのか? と思いながら、あの時ちょろっと私が放った不安を受け止めてくれる麻酔科、仕事人だぜ、好き、と思いながら大丈夫ですありがとうございます、と何度も言った。

前回はまな板の上に寝転がってから、左の手の甲だかなんかに直接麻酔が入って、ふわふわ~~って気持ち良くなり、気がついた時には麻酔から覚めており、その時の得も言われぬ快感? 魂が体から離れている気持ちよさを感じ、いかないで!というようなことを思っていたのだが、今回は違った。

じゃあ点滴から麻酔を流します、と言われた時、急激なめまいと吐き気が沸き起こった。え、あ、むりです! と言おうとしたらもう眠っていたらしく、起きた瞬間、その吐き気の続きが訪れて、あ、もう無理です、気持ち悪い、箱根の山道を夜通し5往復したくらいの気持ち悪さです、と思ったのだが、そんな長文を話すことができず、えっ、と思った時には体がめちゃくちゃ痛くて混乱した。

現代医療は発達しているので、手術なんてなんてことないぜ! という油断を前回の手術で得ていた私には処理できない痛みと吐き気であった。なんの痛みか全然わからない、所在の分からない痛みの上に吐き気が覆いかぶさって、めまいもするし、吐きそう、むり、でも私は吐けない人間なんです、みたいなことをどうにか伝えたかったが、あまり声にならず「座薬ですか?」「座薬だね」と看護師さんがごにょごにょ言って、尻に座薬を打ち込まれ、頭の横に小さい吐くようトレーが置かれた。

風の便りで辛ければ我慢せず痛み止め追加してくださいって言えばおk、もし眠れないようなら睡眠薬もらったら解決、ということを聞いていたので、その段になっても私はまだ若干油断していた。

しかし、座薬は最強の痛み止めだったらしくこれ以上ないというし、睡眠薬は「処方出てないのでむりですねー」とのこと。ひとり身動きの取れない激痛を抱え、次の日の朝まですごさねばならぬという。

時間が経つと、痛みの所在がハッキリとしてくる、それは下腹部、つまり取られた子宮のあたりではなく、穴の空いた腹でもなく、腰なのだ。腰痛! まさか、こんなところでこのような激しい腰痛が!? 手術の痛みよりも痛い腰痛がこの世に存在するのか? と思ったが、存在するのである。

上をむいていることしかできないので腰痛の激痛はいっさい薄まらない。痛み止めがきいているからか、他の部分は時々「へ!?」と思う激痛が一瞬通りすぎるだけで、腰痛ほどに痛むことはなかった。体中に管が巻き付いていて(横になっていることしかできないのでどこに何がどうなってるのかわからない)動くことができない。でもこのままじゃ腰が、私の腰が千切れ弾け飛んでいってしまう! と思ったので、管がどうにかならない程度に横になったりなどして、ほぼ眠れずに時を過ごした。

しょっちゅう来る看護師さんがそんなに来なくなりはじめたころ、世が明けて、その時になってはじめて「横向いてもいいですか?」と確認したら「全然いいですよー」と言われて「(全然よかったのか!)」と思った。もっと横に向けばこんなに苦しむことはなかったのかもしれない。

朝になると、腹がちょっと痛い。これは、ペロッ、切り傷! と思いながら、体を起こしてみましょうか~と言われるので、もう今すぐに起こしてくれ、このような管は全部抜いてくれ!と思って速やかに起きようとしたけど止められた。すぐに起きると頭から血がいなくなって危険? わかんないけどなんかパラマウントベッドをウイーンとやって起こして、しばらく放置された。横の女の子はまだ退院していないらしい。次こそ頑張ると約束して、入院継続しているらしい。そんなことはどうでもいい。

歩ければ股の間の管が抜けるというので、無理しないでくださいね~という看護師さんの言葉に「(する!!!)」と思いながら気合をいれて立ち上がったが、全然なんの問題もなくふらふら歩けた。どこまで歩くんだ? どこまででも歩いてみせるよ! と思って看護師さんの顔を見たのだが、あ、もう大丈夫でーすと病室に戻らされた。

じゃあ抜きますねーと急に股の中に何か、なんだろう管をどうにかする処置をしてくれたのだが、え、痛いなら言って、痛いなら先に、という私の心の声が聞こえたのか「痛くはないと思いますんで~」と看護師さんが言ってくれる。確かに痛くはなかった。例えるなら、体の中に入っていた太りぎみのカエルの足を引っ張って引き出したときみたいな「にゅるん」という感覚がした。

足についていたシュコーシュコーっていう血栓防止のマッサージャーみたいなやつも取れて、晴れて自由! そして朝食と相成った。もうご飯食べれるのか~おかゆかな~と思った覗いたら大量の米、大量のいんげん、味噌汁、牛乳、超大人用の朝食が現れた。

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これである。超元気な体でも朝からこんなには食べられない。というか、この病院は料理がめちゃくちゃに多い! と思っていたら、後になってやってきた栄養士さんに「体が大きくていらっしゃるので、大盛りになっているみたいです」と言われ衝撃を受けた。もしかして、体が大きいと、その分エネルギーを消費するとかいうあれなのか!? 少食なので少なくしてもらった。で、そのあとプラス240円で朝食を洋食にできます!と言われたので「パン!」となったため次の日からプラス240円の朝食になった。

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はちみつのうまさに目覚めた朝であった。いや、メープルシロップだったかもしれない。全部うまい。毎朝たべたい。

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あとスイカについて、昔は好きでありがたがって食べていたが、自分の金で好きな嗜好品を食べるようになってからは、なんであんなきゅうりに甘味を足したようなものをありがたがって……? と思い、全然食べていなかったのだが、病院で食べたスイカがとてつもなくおいしく、自分の思慮の甘さを痛感し「うまい」「うまい」と小声で言いながら食べた。

さて、手術後の初朝食に時を戻すが、この時にはまた新たな痛みの所在がはっきりとしてきており、私は割合切り傷に強いので、腹とか下腹部の痛みは「いた~い☆」みたいに可愛く痛がることが出来るが、内臓やら神経的な痛みには非常に弱く、とにもかくにも横隔膜と胃が痛くて死にそうだった。絶対折れてるんですけど?見てくれません?と何度か言いたかったが、もぞもぞして言えなかった。結局言ったら「ああそれね」みたいな感じで、なんでも手術に使う炭酸ガスが抜けるまでは、横隔膜やら肩が痛いらしいのだ。肩はまったく痛くなかった。ただただ胃の周辺が痛かった。完全に折れてる時の痛みなのだ。

この痛みは結局退院の時まで残っていて、すごく辛かった。なので手術の主な痛みは腰痛、横隔膜痛、そしてくしゃみをした時の腹痛である。切ったところはさすがに痛いが、切り傷がわりと好きなのでくしゃみをするたび「腹が飛ぶほど痛いぜ!」とげひゃげひゃ笑いが止まらなかった。楽しかった。

わー、もう1万文字だって!

手術後のことについて

書きたいことはたくさんあるのだけれど、なにしろ一ヶ月の療養でバイトにも行っていないので、色々なことがあった。しかしもう文字数、そして療養期間に終わらせるぞ! とこの世のすべての締切を9月末に設定しているので、めちゃ忙しく、それどころではない。

もし機会があったら書きたいとおもう、と言うとき、人はそのことを書かない。まぁ本当に書きたいとは思っているのですが。

そうそう、一ヶ月無職なわけで、私にはお金がない。明日食べるパンも自分の金では買えない。色々切り崩せば金がないということはないが、そもそもバイトでちょろっとしか稼いでいないのに無職というのは、かなり貧しい。とてもさもしい。だからあまり手術なんてするもんじゃない。でも入院は楽しいから定期的にしたいね。

そんな感じで、今日は朝方激しい物音がして、天井裏を(母が)確認するとねずみがねずみとりにかかっており、まじでむり、本当にむり、貧しいと家を直すもできない、と思いながらゴミ箱に捨てられるねずみを眺め、布団に戻り、睡眠不足こわい、と震えて眠り、また起きたが気圧も相まって最悪だぜ!という気分で、それならちょっと美味しいものでも食べて元気を出しますかねと思って玉ねぎなどを切っているとまた物音がする。うそだろ、いや嘘に決まってる、と思いながら天井を眺めてじっとしていると、やはりたしかに物音がするのだ。そんなはずはない、そんなはずはないが、と母に確認してもらうと、やはりねずみが取れている。うそだ。あれから一時間半くらいしか経っていないのに?それともループものに突入したのか、こんなループは嫌だ、と思いながら、ねずみとりにかかったねずみをじっと眺めていた。それは本当にねずみで、毛はつるつると綺麗な甘茶色の混ざった灰色をしており、尻にはどう見てもみみずにしか見えない長いしっぽが付いていて、まじむり、この世の動物の中で一番むりかもしれない、と思ったりなどした。ねずみはかかったばかりなのかとても元気がよく、しかし体の左反面がプロ用ねずみとりのベタベタにくっついているので全然、あとはもう死ぬしかないのであった。ものすごく鼓動が早く見え、ビニールごしに触ってみるとものすごく鼓動が早かった。ねずみは生きていて、顔をあげようとこちらを見た。目が黒い。ただただ黒い。別にお前が悪いわけではないが、と思いながら私はその腹部を突き、こいつと先の一匹には本当に関係がないのだろうかと考えた。一時間半前に見た時にはかかってなかったというから、すれ違いで捕まったのには違いないが、もしかするともう私の家はそういったねずみの家になっているのかもしれず、そうなるとこの二匹は顔見知りであるのかもしれない。で、それがなんだというのだろう?私の家に立て続けに二匹もねずみが入ってどんどん捕まっていった、という事実とねずみしか私の前には残っていない。なぜだか今回のねずみは鳴かなかった。今朝のもう一匹も鳴かなかった。口が張り付いて鳴けないのかもしれなかった。シューシューと聞いたことのない音を立てていた。私の家には年に三回はねずみが入る。これから寒くなるのでねずみが家に入るよシーズンである。だから夏がいいのだ。秋になって台風がどんどこくるとみんな私の家に避難する。本当に憂鬱で、私は本当にねずみが嫌いだと思った。ねずみは貼り付けにされたまま外のゴミ箱に捨てられた。ゴミ箱の中に最初に捨てられたねずみは物音がしなかったのでもう死んだと思われる。田んぼの水が止まったので水攻めで殺すわけにはいかないと母が言った。私はなんだかもう疲れてしまって、美味しい玉ねぎを食べる気がまったくなく、それでも食べたら美味しかったので、色んなことが嫌になってしまった。締め切り前だというのにまったく筆ものらず、大学の授業も進んでおらず、もう一回最初から療養をやり直したいと思った。こんなに色々進まないのなら、最初から何もせずに楽しいことだけをして過ごせばよかった。でもまぁ、人生とはそういうものなので諦めて、今日はなんとか少しでも何かを進められたらいいと思う。

と、こんなところまで読んでくれていた方がいたらマジでありがとう!絶対にがんばって金持ちになるから見ててくれよな!よろしくたのむぜ!!!

以上、家にねずみが入った話でした。

あるか分かりませんが、サポートがあったら私はお菓子を食べたいと思います!ラムネとブルボンが好きです! あと紅茶!