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クレプスキュール中学生日記

Au jeu de Mikado / MIKADO

MIKADOは確かオールナイトニッポン(高橋幸宏のだったと思う)の中の新星堂(当時全国展開していたレコード店チェーン)のラジオCMで耳にしたのが最初。一番好きなバンドだったYMO解散直後(83年12月散開)で、これから何を聴けばいいのかと途方に暮れていた時だった。元々プラスティックス(これも当時既に解散)のシンプルなシンセサウンドが一番「テクノポップ」と呼ぶにふさわしいと思っていたのだが、チカトシの素っ頓狂なボーカルは完全にのめり込むには自分にはヒステリックにすぎた(ニューウェーブ感=最先端感は確かにあったが)ので、MIKADOのシンプルなテクノサウンドとオシャレなウィスパーボイスに一発で虜になった。

さて、当時新星堂はヨーロッパの民族音楽やインディーズレーベルの輸入と自店舗での独占直販を行なっており、ベルギーのニューウェーブレーベル「クレプスキュール」もその中に含まれていた。その代表的アーティストとしてCMを放送していたのがMIKADOだった。新星堂は家の近くのヨーカ堂の2階にあったので、すぐに買いに行った。


Par Hasard / MIKADO

当時MIKADOはクレプスキュールレーベルで3曲入りの12インチEP1枚を発表したのみで、まだ他の楽曲を聴く機会はなかった。とはいえ、その12インチに収録された楽曲はキラ星のごとくで、昨日までYMOなき後はシャカタクを聞くかカルチャークラブを聞くかと7インチEPを買い、でも何か違うよなコレ…と悩んでいた中1の心を鷲掴みにした。

ラジオCMで流れていたのは「MIKADO(後にAu jeu du mikadoに改題)」だったが、EPのメイン楽曲は「Par Hasard」。後にPARCOのTVCMで使用されたため、一般の認知度はこちらの曲の方が高いかもしれない。どちらも甲乙つけがたい、マスターピースである。12インチEPのジャケットはこちらのサムネイルのものがオリジナルで、ジャケデザインもとにかく隙がなくシャレのめされたものであった。


Camino del sol / ANTENA

さて。毎日来る日も来る日もMIKADOの12インチの3曲ばかり聴いていたが、もっとこういう曲を聴きたい欲求は募る。が、東京とはいえ、郊外の一般中学生に情報収集の手段はない(雑誌にもそんなニッチな情報は載っていない)。そこで、新星堂である。あそこに行けばクレプスキュールの輸入盤が、面出しの特設台で販売されているコーナーがある。とは言え何も情報がないので、その前でジャケや帯の解説を眺めて途方に暮れる日々。何度か足を運んでいると、店員の曽根さん(まだ名前覚えてる)から声をかけられた。

「試聴してみる?」

え。レコードって試聴できるんだとびっくりしたが(後に個人営業の店だとそういう店も多いことを知るが、チェーン店の新譜でそういうことができる店は当時あまりなかった)、曽根さん曰く「クレプスキュールのはウチで輸入してるからOKなんですよ」と。そうして試聴して、あああ。これで間違いない、と購入したのが、ANTENAのミニLP「Camino del sol」だった。


Silly Things / ANTENA

表題曲の「Camino del sol」をはじめ数曲は、完全にMIKADOの12インチと同じような印象の、シンプルテクノポップ+ウィスパーボイス。ただANTENAの方はそれだけでなく、この「Silly Things」のような、アコースティック系楽器がメインの似非ボサノバのような曲(今にして思えば、だが)も数曲入っていた。いずれにしろ、探していたのはこの空気感である。オシャレなジャケット、シンプルなサウンドと奇妙なコード進行、ウィスパーボイス。

そして輸入盤であることから1000円〜1500円程度のリーズナブルな価格設定(本とレコードには親がお小遣いを別枠で出してくれたのはありがたかった。と言っても月イチくらいのペースではあるが)であったことと、近所の新星堂で試聴・入手が可能であること。こうしてほぼクレプスキュールレーベルのアーティストしか聴かない、という特殊中学生が形成されていくこととなる。


Gentleman of Leisure / Soft Verdict(Wim Mertens)

MIKADOもANTENAもフランスのアーティストだが、クレプスキュールはベルギーのニューウェーブレーベルで、ウィスパーボイスのフレンチポップ専門というわけではない。とはいえ、当時のニューウェーブのインディーズレーベルと言えば、パンク〜ニューウェーブ由来の過激なヘタウマロック、みたいなものが多かった中で、やはりかなり異端な存在ではあった。

次に試聴して買った「Soft Verdict(現在は本名のWim Mertens ヴィム・メルテン名義でリリースされている)」という(ソロ)ユニットの楽曲は、ライヒやグラスといった現代音楽のミニマル作品のようでもあり、映画のサントラのようでもあり(後にサントラも手がけるが、この時点ではまだ)、パンクやニューウェーブとは全く関係のないものだった。教授の戦メリなどのクラシカルな作品やトミタサウンド経由でドビュッシー、ラヴェルなどの印象派は既に好きだったし、ピアノを習っていた身としてはサティの曲なども自分で弾いていたりもしたので、こうしたサウンドにも心惹かれることとなる。また、この曲ではストリングスがシンセで演奏されていることで奇妙な音響効果となっていて、それもこの曲を魅力的に感じた理由の一つである。


Adoration / Paul Haig

もちろんポップなアーティスト/アルバムもリリースしていて、UKのネオアコ/ニューウェーブバンドのJosef Kの元メンバーPaul Haigはその代表格だった。「Rhythm of Life」は後にメジャーのアイランドレコードからリリースされたソロ名義での初アルバムで、初出はクレプスキュール。

全体のサウンドメイクはバンド時代とは違い全編打ち込みによるブルーアイドソウル〜ニューロマンティック〜エレポップで、当時の王道サウンド。これにデヴィッド・シルビアンや岩崎工のような、ヘタだけどそれが味、みたいなヘロヘロボーカルが乗るというものなのだが、この曲はイントロのコード進行が異常すぎて吹き出しそうになる。これはコードセオリー無視のニューウェーブ時代(Josef K時代)に作曲された曲を無理にセオリー内に収めようとしたための苦肉の策アレンジだったことは後に知ることになるのだが、この頃は「どうしたらこんな進行思いつくんだろう」と感心していたものである。


Running Away / Paul Haig

アルバムは当時の売れ線アレンジとなったPaul Haigもソロデビュー時はシンセ主体ではあるものの打ち込み要素はリズムマシンくらいのかなり簡素なテクノポップサウンドで、このスライのカヴァーもプラスティックスのモンキーズ、DEVOのストーンズのようなスカスカアレンジ。今聞かせると大概評判悪いのだが、当時は(今も)これはこれでカッコいいと思っていた。ジャケットは他のクレプスキュール盤同様文句なしに秀逸で、このサムネイルはUS盤のもので、新星堂で売っていた欧州盤は別デザイン。同様のデザインで写っているモデルが違ったりと、ジャケ違いだけで数バージョンが存在した。自分が買ったのもUS盤の方で、年一回地元のお祭りの日に行くことに決めていた六本木WAVEで購入。

細野晴臣のプロデュースした小池玉緒のオクラ入りしたアルバムに収録予定だった同曲のカヴァーもこの路線のアレンジで(小池玉緒は実際にリリースされた数少ない作曲・編曲がYMO名義のシングル「鏡の中の10月」も完全にMIKADOを意識したウィスパーテクノポップ)この時期細野さんはクレプスキュールを相当意識していたのではないかという様子が窺える。


Boo Boo's Gone Mambo / The French Impressionists

当時のインディーズレーベルというと、UKのネオアコ主体のレーベル、チェリーレッドの「Pillows & Prayers」シリーズなどのコンピが人気で、買う側としてもお小遣いをはたいて得体の知れないインディーズバンドのレコードを買う前に、まずそうしたコンピで名前と音を知ってから(他で聞ける機会もない)、というケースが多かった。クレプスキュールも御多分に洩れず多数のコンピをリリースしたが、自分もそれらのコンピで様々なバンドを知る。そこで、こういうインディーズのレコードは売れてるかどうか、人気があるかどうかは、何処どこのバンドの誰々がやっているとか、ライブの動員がいいとか、そういったことに左右されてるだけの話で、そのサウンドが自分に合うかどうかとは関係ないということを思い知らされることになる。

そうして出会った曲の一つがこれ。ラウンジミュージックブームに先駆けること十数年。後のそうしたサウンドを思い起こさせる曲だが、インディーズ盤ならではの演奏の稚拙さや録音の悪さが絶妙に良い方向に作用し、唯一無二の仕上がりになっている。


Like the Others / Winston Tong

もっとも、インディーズ盤というのは得体の知れない音楽を求めて聴いている、という面もあるわけで、結果そういうものに惹かれていくというところもあった。このWinston TongはアメリカのニューウェーブバンドTuxedomoonの元メンバー(クレプスキュールからも多数アルバムをリリースし、他の中心メンバーであるBlaine L. Reiningerもソロアルバムをリリースしていた。バンドは現在も活動中)で、他の曲では打ち込み主体のもう少しポップ要素(?)もある楽曲もあるのだが、この曲は調律も調性もおぼつかないピアノとリズムマシンとパーカッションと、古いサウンドトラックらしきSEのみというアレンジで超ダウナーな世界観となっている。


Sorry / Border Boys

その一方で、いかにもインディーズレーベルらしい過激なニューウェーブバンドや、後にネオアコと呼ばれるギターポップバンドのレコードも多数リリースされている。前述のTuxedomoonなどは過激派ニューウェーブの代表で、楽曲もアレンジも演奏もかなり支離滅裂なものが多いのだが、穏健派=ギターポップ側の代表の一つがこのBorder Boys。メンバーは後にLouis Philippeとしてel'レーベルの看板アーティストとなり、コーネリアスのトラットリアレーベルを支えることとなるフィリップ・オークレー。この曲はel'時代にKing of Luxenburg名義でサイモン・フィッシャー・ターナーにカヴァーされることとなる。


(There's Always) Something On My Mind / The Pale Fountains

後にネオアコバンドの代表として(そしてフリッパーズギターの元ネタとして)人気となるThe Pale Fountainsのデビュー12インチ「(There's Always) Something On My Mind」もクレプスキュールからのリリース。ジャケットのサムネはそのクレプスキュールからリリースされたEUバージョンで、他にUK盤バージョン(Operation Twilightレーベル)も存在した。


Wait / Pleasure Ground

いかにもインディーズ然、素人然とした前二者よりも楽曲としての完成度は高かったものの、ここまでの経緯やその後の音沙汰などについてはよくわからないままなのがPleasure Groundの「Wait」。ジャケサムネはレーベル発足10周年記念コンピのCDのもの。もちろん当時のレコードのコンピにもこの曲は収録されていた。


Sabway / Thick Pigeon

ニューウェーブ系の佳曲もいくつか。Thick Pigeon 「Subway」はミニマルなシンセのコードと単純なベースラインの他はモダールなシンセパッドとハイハットのみ、という、これまたインディーズ感丸出しのいい意味で手抜き、悪く言えば適当なアレンジで、前出のWinston Tongの曲にも通じるダウナー系ニューウェーブの楽曲。


Trust, In Love / Anna Domino

ANNA DOMINOは後にスイングアウトシスターやエブリシング・バット・ザ・ガールのようなボサ/AOR化してイザベル・アンテナ(ANTENA名義の頃は3人組のユニットだったが、ソロ名義となってイメチェンした)と並ぶクレプスキュールの歌姫、ということになっていくのであったが、デビュー時のこの12インチでは他のクレプスキュール作品同様ダークなニューウェーブサウンド。


Sleep Will Come / Durutti Column

クレプスキュールは、ニュー・オーダーのブルー・マンデーで有名になったUKマンチェスターのインディーズレーベルFactory RecordsのEUディストリビューター「Factory Benelus」の運営もしていたため、Factoryのアーティストもクレプスキュールからリリースしていた。その代表格がヴィニ・ライリー率いるThe Durutti Column。Factoryの代表的バンドである「Joy Division」のリーダーで、若くして自殺したイアン・カーティスの恋人は、クレプスキュールレーベルの創設者でもあった。


Shack Up / A Certin Ratio

UKファクトリー組では「Brazilia」やA&Mに移籍してからの「Good Together」など多数の佳曲を残す、A Certin Ratioもクレプスキュールからリリースしている。この曲はギクシャクした人力ニューウェーブファンクがカッコ良い。


What If / Jane Kelly Williams

ここまでは80年代前半の中学時代にリリースされた楽曲たちだったが、前出のレーベル10周年記念コンピの頃にはアンテナやアンナ・ドミノら看板アーティストがシティポップ・AOR化し、耳障りの良いポップアルバムをリリースするレーベルという感じにシフトチェンジしていく。その10周年記念コンピに収録された、その時代(90年代)を代表する佳曲がJane Kelly Williamsの「What If」。この曲はダウンタウン東京進出当時の深夜番組「夢で逢えたら」のスポンサーコールのバックでBGMとして使用されていた。

というわけで、中学生時代、ほぼそればっかし聴き続けていたクレプスキュールレーベルの思い出でした。

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