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コタティンギのからゆきさん

渡辺治水(知頼)のゴム園についてのリサーチのために「南洋の新日本村(大正8)」という本を読みました。ジョホール河沿いにある日本人経営のゴム園について詳しく書かれている本です。

著者の佃光治氏が、船中から同道した吉井信照元大尉とマワイ園の當房氏とコタティンギに着いたのは午後1時頃。中華飯店に飛び込んだものの臭いが嫌だとかで、行った先はコタティンギ唯一の邦人娼家だったそうです。

「親切な日本ムスメ達」という章には以下の通りに書かれています。                真昼中に「飯を々々」と飛び込んだ吾々を厄介者扱いにもせず、親切さうに待遇して呉れる。一體南洋辺陬の地に旅行する者は女郎屋の世話になる。敢て漁色の為でなくとも宿も借りれば食事も頼む、彼らも亦同様に対する当然の義務の如く心得ているらしい。

お仕事前でくつろいでいた彼女たちはサロンクバヤ姿だったそうです。コタティンギの街のどこに娼館があったのか。100年後の今では知ることは叶いませんが、メインストリートから奥に入った橋の近くに並んでいる古いショップハウスのあたりではないか?と推測しております。

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