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おはな殺害事件

1931(昭和6)年。ムアー日本人会の会長のドクター中村および有志より、一人の日本人死刑囚への減刑を願う手紙が、ジョホール政庁へサルタンイブラヒムを経由して提出されました。

死刑囚@ジョホールバル監獄の名前はキタガワカナジ。罪状は殺人罪です。ドクター中村の経営する日本醫院で5年間働き、その後はバトパハとムアーの間にあるSemerahで医薬品関連の小商いを2年間していたそうです。手紙には「仕事にも社会的にも責任感のある人である」と書かれていました。

殺されたのはおはなさん。住所はNo.51, Jalan Trus, Johor Bahruです。現在の華美の斜め向かいあたりですから、日本人のお店が多かったエリアですね。
恐らくおはなさんはからゆきさんだったと思われます。

なお。キタガワカナジは「年齢を偽っていた女に、感化されコントロールされていた」と減刑されて懲役10年となりました。しかしムアー日本人会はあきらめず、サルタンイブラヒムのご在位40年のお祝いでは恩赦を願い出たそうです。

ムアー日本人会の同胞を守るための一致団結ぶりは素晴らしいですが、被害者だって日本人です。おはなさんはちゃんとお弔いをしてもらって、ジョホール日本人墓地でやすらかに眠っているのかな。今は立派なお墓しか残っていませんが、発見当時には木の墓標もいくつかあったそうです。次回の法要では、invisibleではあるもののおはなさんや朋輩たちのお墓にもそっと手を合わせたいと思っています。

参考文献:Penglibatan Orang-orang Jepun Dalam Sektor Ekonomi Di Negeri Johor Pada Wal Abad Ke-20 (Kassim Bin Thukiman)









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