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イスタナ・ブサールの茶室

「皇太子同妃両殿下(=上皇ご夫妻)からのご贈呈」との伝説がまことしやかに伝えられているイスタナ・ブサールの茶室。恐らく1970(昭和45)年のジョホールご訪問から連想されているのでしょうね。イスタナ・ガーデンが立ち入り禁止になって以来、ますます伝説に磨きがかかりそうなこの茶室。ジョホール日本人会との関わりをご紹介しましょう。

初代の茶室(四阿とも)は、スルタン・イブラヒムのご在位40年と62歳の誕生日を記念して、1936(昭和11)年4月15日にジョホールおよびシンガポールの日本人ゴム園栽培者が中心となり寄贈したものです。ジョホール日本人会、横浜正金銀行、台湾銀行、三井物産、三菱商事、日本郵船、大阪商船等の名前も寄贈者リストに見られます。設計は堺理喜太氏(元拓務省嘱託)。毎週木曜日と金曜日には午後7時~9時まで、灯篭が点灯されたそうです。

ご誕辰とご在位40年の祝賀会は1935(昭和10)年9月17日から三日間続き、在シンガポールの郡司総領事もご参列されました。サルタン・イブラヒムはたいそうお喜びになり「徳川義親侯爵と石原廣一郎氏へ勲一等をご贈与あそばされた」と「南洋の五十年」に書かれているのですが、お二人の肖像写真から拝察するところ、徳川侯爵はDarjah Kerabat勲章(一等)ですが、石原氏は恐らくDarjah Mahkota勲章だと思われます。 また、1977(昭和52)年には徳川侯爵のご子息である義知氏が、サルタン・イスマイルからDarjah Kerabat勲章(一等かニ等かは未確認)を授与されています。

二代目の茶室は、ジョホール日本人会の前身である三水会によって、サルタン・イスカンダルへ贈呈されました。贈呈の理由についての記録はありませんが、恐らくご即位(1981年5月)のお祝いではないでしょうか。設計はMados-Citoh-Daiken Sdn Bhdのパートナーである大建工業(株)に依頼し、大建ホームの影山取締役にご協力いただきました。

庭園はそのまま、門はほぼ原形をとどめていたので、補修して活用。10帖に炉を切った茶室に2帖のお勝手と水屋つき。1984(昭和59)年4月14日の贈呈式ではスルタン・イスカンダルがテープカットをされ、ご挨拶では「祖父の時代にジョホールが財政的に苦しい時期に、日本人が税金前納などの協力をしてくれた」などと、戦争前と変わらない日本との友好関係を示して下さったそうです。

そして二代目茶室は、日馬友好50周年記念事業として修復が行われて現在の形となりました。お披露目の記念茶会は、2008(平成20)年3月に武者小路千家第14代家元を亭主にお迎えし、サルタン・イスカンダルご一家と堀江大使ご夫妻がご臨席されて行われています。実行委員だった私は先発隊のお接待担当。前日まで準備に走り回り、当日はMCまで仰せつかって疲れ果て、茶室はご遠慮申し上げ日本人会のスタッフたちと野点を楽しんだのでした。

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